■加治川(旧)運河水門 土砂吐水門 |
【写真1 全景】 |
1.施設の概要
かつて加治川は加治川分水路が完成するまでの間、大きく屈曲し阿賀野川に合流していた。そのため、流れが悪くなり土砂体積が生じる等から、下流域において水害が頻発していた。このため、加治川を日本海へ短距離で流すための分水路工事が明治41年に着手され大正3年に完成した。 運河呑口に設置された石造りの運河水門には、4つの門が設けられ、高水時にはこの門扉が閉塞され、平時は開放されて、灌漑及び通船の用に供された。また、分水路呑口には土砂吐水門が設置され、平時は閉鎖され運河へ流入する水深を調節し、出水時には開放され運河水門前面の堆砂を分水路へ排出した。この土砂吐き水門も4つの石造り水門からなっている。その後、舟運の衰退があり、水門施設は利用されていない。 現在、この水門の周辺は桜の名勝地加治川治水記念公園として整備され、加治川の治水史を今に伝える歴史的遺産として存置されている。
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【写真2 全景】 |
2.施設の諸元
合計8門の大型石水門 運河水門 :全幅18.80m(4門) 土砂吐水門:全幅14.60m(4門)
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【写真3 全景(遠望)】 |
【写真4 全景(遠望)】 |
【写真5 全景】 |
【写真6 全景(水底部)】 |
【写真7- 運河水門と分水路土砂吐水門(竣工当時)】 |
【写真8- 水門全景(大正〜昭和初期頃)】 |
【図面1- 水門構造図】 |
【図面2- 運河水門構造図】 |
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