信濃川河口に開けた新潟の街のシンボルとして、初代の万代橋が架けられたのが明治19年です。
明治41年の新潟大火で木橋であった初代の橋は焼失し、翌年2代目の橋が復元されました。
大正時代に俳人高浜虚子が新潟を訪れた時に詠った句碑が橋のたもとに建てられています。
現在の万代橋は、明治末期から続けられていた信濃川の大河津分水事業が完了したのを受けて、
昭和4年に架け替えられた鉄筋コンクリート造のアーチ橋です。
関東大震災直後に震災復興局で橋梁技術を支え発展させた当時のトップクラスの技術者たちが、この橋の建設に関わりました。
完成時には鉄筋コンクリートアーチ橋としては、日本一の支間(スパン)長を誇り、軽快感と安定感を意図したデザインがとられました。
さらに、橋体側面や高欄、親柱などに御影石を使って重厚さを持たせています。
また、基礎工事には隅田川の永代橋で試されたニューマチック・ケーソン(空気潜函)工法が使われましたが、
これは日本人技術者だけで使われた最初の例であり、また当時日本一の規模で建設されました。
万代橋の名声を一躍高めたのは、昭和39年に起きた新潟地震で連続アーチ部分の被害がほとんどなく、落橋を免れたことです。
万代橋は、初代から数えた昭和61年に架設百周年記念事業が市民によって行われ、市民募金によるライトアップが行われるなど、
市民に愛され信頼させる名橋です。
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