「社会資本と土木技術に関する2000年宣言(案)」解説
森杉壽芳 Hisayoshi Morisugi
正会員 工博
東北大学教授 大学院情報科学研究科 人間社会情報科学専攻
昨年6月に制定された「土木技術者の倫理規定」を踏まえて,このたび「社会資本と土木技術に関する2000年仙台宣言」の表明へ向けた検討が進められている.明治維新や戦後の混乱期にも次ぐ大変革期と言われる現状にあって,社会資本整備のあり方,公共投資の仕組みに対しては,近年,厳しい批判がなされてきた.そうした中でわれわれ土木技術者が,最低限あるべき姿として定め,自己を律したのが,先の「倫理規定」であった.
今回の「宣言」はこれを受けて更に具体化するものである.厳しい風に身を正すばかりでなく,より積極的に,われわれの基本的な立場・意見を呈示し,そして世問に対して宣言した限りは,そのために果たすべきことを果たし,内なる自覚を高めるための綱領とすべきものと考える.
原案の作成に携わった者の一人として,私見ではあるが,その内容についていささか説明を加えさせて頂きたい.
前文について
第1節「社会資本は…」において訴えているのは,社含資木整備の重要性と,そのためにわれわれ土木技術者は懸命の努力を続け社会に貢献してきたということである。日本の社会資本整備の歴史は極めて浅い.基本的な整備が欧米諸国に比べ大きく遅れをとっていた戦後日本の現実.さらに急峻かつ複雑で狭隘な地形,軟弱な地盤,火山帯の上に地震,豪雨,渇水などの災害が多発する脆弱な国土条件.そうした制約条件下で道路,治水,上下水道,空港,港湾,鉄道など近代的生活に欠くべからざる土木施設が,驚くほどの速度をもって着実に整えられてきた.
戦後の復興期に始まり,高度成長を達成した1960年代までは道路・港湾など産業基盤整備が,そして1970年代後半以降は,道路とともに公園,下水道など生活関連分野への投資による生活基盤整備が,それぞれ重点的に実施されてきている.
こうして,社会資本整備の遅れの克服に努め,世界にも例を見ない速度で整備を推進してきたがために,わが国の土木事業量は,対GDP比でみると欧米先進諸国に比して遥かに高い水準にある.政府投資額の対GDP比は,欧米先進国が2〜4%であるのに対し,日本は7〜8%にのぼる.この事実をもってしても,現在もまだ,日本の社会資本ストックは欧米先進諸国と比較して,充分とは言えない状態である.欧米並の水準に追いつくために,わが国の土木技術者・研究者たちが使命感を持って取り組んできたその努力.そしてその結果,わが国の社会資本整備が一定の概成水準に達したことを,「われわれの大きな誇りである」と明言しているものである.
しかしながら,高度成長下にあって急速な整備に邁進した日々は,さまざまな不備・未熟さや問題点をも生み出した.安定成長期に至ってから,昨今続けざまに多くの不首尾が露呈し,長びく不況のもとに公共投資のあり方が厳しく問われる状況下で,一般には社会資本整備そのものが悪であり,不要とも言われかねない極端な風潮に傾いている。われわれ土木技術者においても,至らぬ点,未熟であった点は,ここで率直に真摯に反省をしなければならない.
土木学会は,他に先駆けで早く1938年に土木事業を担う者の倫理規定としての「信条および実践要綱」を発表している.土木技術者は高い識見と高潔な姿勢を保つべしと,自負心をもって自らに戒めを課すものであった.こうした精神が,いつしか空洞化しつつあったと認めなければならない。社会に対しで必要不可欠な社会資木整備であったとしても、その実施過程で倫理感の不足や技術力の不備,経済効率優先の姿勢,さらには社会との対話の不足が露呈すれば,多くの問題点と不満が生じる.個人技よりも組織的な技術を尊しとするあまり,ともすれば土木者集団としての独善に走りがちであったこと.整備の目標,事業の遂行過程が不透明であったこと.また時には一部の技術者とはいえ社会的責務に反する行為をなしてきたこと.それにより社会からその姿勢を批判され,また技術に不信を抱かれることも少なくはなかったことを,率直に認めなければならない.これら社会よりの批判の多くは"誤解"によるものであろう.しかし批判を受けている現状を真摯に反省する姿勢を示さない限り,いかなる宣言も虚言に等しいと見なされるばかりであろう.
上記の認識のもとに,土木技術を担う技術者,土木工学に関わる研究者が職務上の責務を遂行するに当たって自らを律する姿勢を示したものが,1999年6月に制定した「土木技術者の倫理規定」であると位置付けたい.そして,それを受けてさらに具体化を目指して今検討を進めている「社会資本と土木技術に関する2000年仙台宣言」は,今日われわれ土木技術者が思い描く社会資本整備の目標・理念と,その実現のための方策・技術に関しての基本的見解を,社会に対して宣言するものである.
次に続く各条項において,まず第1項では社会資本整備の根本意義として,「美しい国土」「安全にして安心できる生活」「豊かな社会」をつくり,はぐくむこと,と定義している.第2・3・4項ではその大原則を受けて,(自然との調和,持続可能な発展)(地域の主体性の尊敬)(歴史的遣産,伝統の尊重)といった理念が謳われる.第5項から9項は,以上を具現化するための方策である.第5項(社会との対話,説明責任の遂行),第6項(ビジョン・計画の明確化),第7項(時間管理概念の導入),第8項(公正な評価と競争),第9項(社会資本整備のための技術開発),さらに,土木技術者の集団たる土木学会の姿勢を「本趣旨を踏まえ,土木学会は,社会資本の整備に関する諸制度の改善に向けての提案,土木技術者の能力向上の支援を積極的に行う」と示して、結んでいる.
各項について
・第1項(社会資本整備の意義)
社会資本整備は,「美しく安全で豊かな社会生活」の実現を達成するための手段である.ゆえに今の日本にとって真に「豊かな生活」とはどの辺りに求めるのか,という議論がまずなされなければならない.
産業基盤であるインフラの整備水準が充分に確保されてこそ,「安全にして安心できる生活,「豊かな社会」が実現する―戦後の復興期以来,わが国の社会資本整備の根本にあったのはこの認識であった.豊かな社会・富める国への渇望がエネルギーとなって,整備実現へと突き進んだ日々.当時は省みられることもなかった多くの問題点が,一息ついた今日,眼前に露呈し,その是非が問いかけられようとしている.
経済効率性を追求するあまり,従来「美しい日本の自然」や人びとの「安全」・「健康」といった面は,ややもすれば軽んじられてきたことは否めない.多くを失ってしまったかつての美しい国土や,安全にして安心できる生活を,GNP追求のためにこれ以上犠牲にしたくないというのが,大方の風潮であろう.
しかし世の中,不況の只中にある.ここまできた今の生活水準を下げることを,甘受できる日本人がどれほどいるであろうか.大半の人びとはもっと高くとは望まぬまでも,今の水準は下げたくない,快適で豊かな生活も,安全で健康的な環境も,美しい自然も欲しい,というのだから,ことは複雑にならざるを得ないのである.
「自然」を人間生活に必要不可欠なものとして尊重し,「安全」に留意しながら,豊かな社会を支えるための経済活動をサホートする社会資本を整備するという,バランスが問われることとなる.その困難に立ち向かう気概を,われわれ土木技術者は持っているはずである.
・第2項(理念―1.自然との調和,持続可能な発展)
土木構造物は人びとの生活や自然環境に関し,複数の世代にまたがり影響を与える.ゆえにその技術者は,未来の世代の生存条件を保証する責務を負うことを,基本認識として今一度,確認しなければならない.
人間および他の多くの生命体に快適な環境なくして,有益な社会資本整備はありえないという事実は,今後ますますその重要性を増すこととなろう,従来の「大量生産・大量消費・大量廃棄」型のシステムは「物質循環・自然との共生を確保」するシステムヘの転換を余儀なくされることとなる.社会資本整備そのものが目的なのではなく,あくまでも人間生活の安全,福祉,健康増進が最優先された上で,持続的に良好な自然環境を保った発展が求められる.自然・地球環境の保全と活用という,ともすれば相反する要素の調和が問われるのは,第1項に共通する点である.
・第3項(理念−2.地域の主体性の尊重)
いかなる社会資本もその役割において,広域性と地域性を併せもつ.全国画一的な整備方針や量的な充足目標設定方式では,さまざまに住環境の異なる地域すべてが充足感を持つことは望めない.中央指導の一方的なお仕着せでなく、地域住民の意向を汲みとって,きめ細かな対応をすることが求められている.
しかしながら広域性を主とする社会資本にあっては,ある特定の地域が負担を強いられるものもある.また,受益と負担がクロスする資本もあり調整が必要となる.ローカルなものについては住民の主体性を尊重し,広域に影響を及ばすような施設においては,中央の指導のもとに進めざるを得ない.
ただし,主体性を発揮するということは,自らが責任も負うということでもある.何事も中央政府に寄り掛かる体質を排し,地域住民の独り立ちを促す意味もある.
・第4項(理念−3.歴史的遺産,伝統の尊重)
近・現代の土木事業により,少なからぬ歴史的遺産,地域固有の文化・風土,伝統といったものが,省みられることなく失われてしまった.しかしまた,土木構造物こそが文化形成の役割も果たす.未来世代への生存条件の保障のうちには,今現在遺されている,こうした大切な人類資産を損なうことなく未来へ伝えるとともに新たな文化を創造する役目をも負っている.こうした伝統と融合する社会資本の整備のあり方が,新たな文化・文明を生み出すという自負を持って事業に当たらねばならない.
・第5項(方策−1.社会との対話,説明責任の遂行)
すべての社会資本整備事業は,社会から負託されたものである.先の「倫理規定」には,技術的業務に関して雇用者もしくは依頼者の誠実な代理人あるいは受託者として行動する―と述べられている.そもそも専門家とは,その専門性において社会から依託を受けている者である。依託された目的を正しく認識し,総合的な見地から土木事業を遂行すること.社会との積極的な対話をはかり,情報公開,成果の公表をもって,信頼を保ち,合意を形成する努力が求められる.また社会との対話の場においては,批判を受けた点は改善することを検討し,一定期間内に合意を得るべく努めなければならない.
この情報公開という点においては,「現状においても行っている」との見解が往々にして主張される.近年の行政改革によって,公共事業の執行前に,この市業がその額だけの税金を使うに値するかどうかを事前に評価する事前評価,あるいは事業の途中で学識経験者を集めて,これを継続するか中止かを再評価する.あるいは過去の事業実績の正当性・成果をチェックするという事後評価も行われるようになってきた.
このように,行っているか否かと問えば,確かに行なわれているのである.いまだ実行されていない面においても,これからの説明責任と公開を目指して,さまざまな件が検討中である。しかしその公開の仕方の現状には,やはり不満が残る.求められれば出しますというのではなく,もっと積極的な開示,訴えかけでなければ,広く人びとには届かない.
・第6項(方策―2.ビジョン・計画の明確化)
不足する社会資本の急速な整備とともに,景気対策としての側面も担ってきた日本の公共投資は,年間50兆円もの事業枠を生みだしてきた.
しかしながら国家財政難は深刻化し,現在645兆円という巨額の借金財政となって,国民の将来への不安を煽っている.この借金の70%が公共事業であることから,そのあり方に批判も集中している.この財政深刻化に加えて,高齢化社会の進行による社会保障費増加の圧力,ならびに建設投資水準の欧米諸国との比較などにより,今後は急激に投資水準が低下することは避けられない.2020年には,現状の6割(30兆円)程度になるというのが大方の予想である.
また,既存の社会資本ストックの維持・補修も,大きなウェイトを占めることとなる.1960年代以降に急激に形成された日本の社会資本ストックは,劣化の時期も一斉に押し寄せる.適切なメンテナンスこそ欠かせぬ重要な課題であり,維持補修・管理活用に多くの費用を振り向けざるを得ない.大幅減となった公共投資予算では,2020年以降は新規投資余力はほとんど見込めないと思われ,のみならず,2050年を迎える頃には,更新投資,維持投資でさえ賄いきれない状況に陥ると予測される.
限られた財源の中で投資をいかに効率的かつ効果的に配分し,重要な分野へと重点化して活用するか,その能力が,今後はより求められることになる.そのためには国および地方公共団体は,予算重視の目先の施策でなく,将来に繋がる国土づくり,地域づくりの目標とそこへの道筋を明快に示す中長期ビジョンを積極的に提案し,続一性のある,効率的な事業計画を進めることが肝要となる.すべての事業計画は,過程や結果のすべてを社会に公表し,社会資本整備のあり方について,社会全体が目標と責任を共通認識するよう努めなければならない.
中長期ビジョンを運用する上で障害となるのが,単年度予算主義である.公共事業は大半が数年がかり.単年度主義にはムダが多いことこの上ない.それを解決するためには,3年くらいの単位で予算をつけるというようなことをやらねばならない.あるいは予算の翌年度繰越しや,逆に前倒しで使うことも認めるなどが検討されてしかるべきである.一方,この方法には,また逆の懸念が生じる.いったん決めたら3年なり5年,ずっと予算確保しなければならず,チェックが行き届きにくいなどである.この観点からの批判が現在の公共投資批判の根底にある.しかし,中長期ビジョンをしっかりと立案し,それを明らかにした上で批判を仰ぐという姿勢を示したい.その上で世間の了解が得られれば,単年度を越える予算枠を取っても認められるのではないか.
・第7項(方策−3.時間管理概念の導入)
事業経営においては,経費節減と時間効率の管理が厳しく問われるのは当然のことである.国および地方公共団体の事業においても,限られた財源を正しく,効率的に使うために,時間管理概念は当然要求されなければならない.
中長期計画においては,社会情勢の変化を考慮した上で,行政手続きに要する時間の適切性,着手・完工時期の時宜,事業期間の長さの妥当性などが問われなければならない.事業中において妥当性に欠けると見なされた場合は,進行状況をも考慮して計画の見直しが行われることとなる.
万一遅延が発生した場合は,例えば文化財が発見され発掘のため遅延を余儀なくされるケースでは,予算増によって発掘に要する時間を短縮するべく、弾力的予算措置をとることが図られる.裁判,土地収用,漁業補償などにより遅延が生じ膠着状態となった場合,このトラブルひとつで工期が遅れ,無駄な費用・時間を費やすことに対し,調停制度を充実させることで解決を図ることも検討されてしかるべきであろう.当然のことながら,このような強権的手段は取らずに合意形成に努めることが必須である.しかし,工期が延びることが社会的な費用を増大させているということを,事業担当者も住民も認識することが必要である.
事業担当者の努力により管理執行が効率よく進み,当初予算よりも大幅に削減できた場合には,担当者に対し公務員であろうとも,翌年の企画予算配分に反映させるなど能力主義的措置があってもよいのではないか。
・第8項(方策−4.公正な評価と競争)
今,最も求められている,公共事業の透明性・公平性を達成するために,人材の正当な評価と登用,受注企業の自由な競争選抜の実現は,早急に真摯に取り組まれなければならない。厳しい国際的競争を生き抜くための力と倫理感のある人材,ならびに技術を開発することも急務である.
公共土木事業量が減少へと向うなかで,技術,技能,知的創造力の適正な資質を持つ技術者を適正な人数,適正に配置することが,コスト縮減のためにも,国際的競争に打ち克つ力をはぐくむためにも必要な方策となる,細分化された発注単位,特定企業のみが有する技術は採用されないなど,公平性直視の行き過ぎが,技術力による競争を妨げ,コスト削減の余地を小さくしてきたと考える.実力主義へと移行を図らなければ,われわれが未来に依って立つところはない.「より良いものをより安く」提供する競争力のない企業は淘汰される,自出競争の世界へ移行しなければならない。
能力・資格のある人材はよりよく処遇する、能力・実績主義の導入も求められる.画一的システムの中で,あるいは景気振興策としての救済的事業ではもはや成り立かないことを,各人が認識しなければならない.
・第9項(方策−5.社会資本整備のための技術開発)
土木技術者の社会的責務である技術聞発があったからこそ、戦後の荒廃から立ち上がり,電源開発,高速道路,新幹線などのプロジェクトに伴う,巨大ダム,長大橋,長大トンネル,軟弱地盤工法などの技術を実用化して高度成長を支えた.しかしその一方で,公害と自然破壊をもたらす結果ともなった.
この反省に立つとき,今後の技術開発の方向は,まずは、土木技術の原点である要素技術を統合する技術の確立であると考える。個別施設・構造物をトータルシステムとして扱う技術=プロジェクトマネジメント能力の向上をめざす必要があると考える.土木技術は総合工学であり,土木技術者は棟梁,司として諸技術を統べるという気概を待って進んでいきたい.
次に,効率的でかつ環境と調和するための技術の開発であると考える.すでにそのインセンティブとして土木学会に環境賞が設けられている.コスト縮減とリサイクルの両者を達成する技術の開発が,国際的にも求められている.このためには、高度成長期に作られた規格大量生産による社会資本の質を高めつつ、半永久的に利用できるように改修するための技術の開発、また,新規に整備を行うに当たっては,廃棄や再構築をできるだけ伴わないようにフレキシビリティを高めることで,長期の使用に耐え得る構造物を実現する技術の開発が必要と考える.
従来,われわれ土木技術者は,使命感を心底に縁の下の力持ち的な立場であるべしとして,「不言実行」の努力を重ねてきた.それが時に,独善との批判と不信を招く結果を伴ったことは否めない.今後は,われわれの立場と方向性を常に明示し,表明すべきことは表明する「有言・実行」をもって,国民の総意と責任のもとに事業を推進する姿勢を示さねばならないと考える。
(土木学会誌/2000年9月号)