◇ 特別講演会・特別討論会終了後に寄せられた意見 ◇
- 現状認識,国土の活用,人口の動向等の設定に批判はあるが,この宣言を,今,出すことは意義があると思う。我々土木の仕事にたずさわる人間として目を開かせられるものが多い。土木学会の会員すべてが,本宣言の半分,いや,せめて1/3でも本気になって理念を理解し,方策を実践するようにとりくめば業界はさらに良くなり再生・活性化することが期待できると思う。
- 社会資本の重要な内容として制度や法律,条例,etc.を位置づけてほしい。
- 社会資本という言葉,たしかに特に一般市民にも何を指すか判りにくい。提案のあった社会基盤施設等の表現を検討されたい。
- 樋口教授の講演はCIVIL ENGINEERを勇気付ける。またパネルの斉藤氏の発言も土木技術者にとっての示唆に富んでいた。他分野の権威の方にお話を聞く機会の価値を実感できた。
- 私は斉藤氏のおっしゃる通り,今の時代において実行プランの示されていない宣言の有用性・有効性を疑問に思います。お題目に終わらないでしょうか?!
- 特別討論会について 熱の入ったディスカッションで良かった。斉藤パネラーの提案に同感した。学会としての行動目標を提言すべきでないか。
- 活発で良かったと思います。コスト縮減とP.I.のためにVE制度を本格的に実施してください。(そのために官側の内部改革が必要です。)
- 賛同すべき部分はあるが,不足や不明な部分も多い宣言であることがわかってきたという意味でとても有意義なPDでした。やはり21Cにつなぐ意味でもビジョンもセットで考えることが必要なのではないでしょうか。それは今すぐつくれというわけではないのですが。課題があるテーマであるけれども,今それを考えなくてはいけない共通の認識はとてもよく理解できた。パネラーの皆さんごくろうさまでした。
- 特別講演で土木屋でない方(今回でいう樋口氏)の講演は今後も絶対につづけてほしい。というのは外部の人の意見を聞ける貴重な機会であるから。会長が特別講演することは次回以降見直し・考え直すべきだ。特別討論会は会場からの意見は最低でも10人からの意見が出てしまうものなので時間配分を(もし,次回行う場合だが)見直す必要があるのでは。こういった討論会は若手の意見は間違いなく反映されない。もっとも若手にはそこまで考える能力がないからだが。
- 先導型から後方支援型への転換を前提に考えると,土木学会の活動のどの部分を先導型とし,どの部分を後方支援型とするのかを考える機会となった。言葉(規定や宣言)の理解の程度が実践に結び付くことのプロセスをじっくり考えていきたい。
- 倫理規定や世間一般に言われている内容と大きな違いがないのでは?使われている言葉や表現が建設白書等とあまり違わない。土木学会の立場は官のように感じるが?仙台宣言は誰に対して出すのか?市民であれば今の表現は一般論すぎて残らないのではないだろうか?
- (1)樋口氏「国民(市民)の責任と専門家の責任」に感銘 (2)宣言の「豊かな社会」強調する意見の多いのは可
- テーマが広すぎて焦点がぼやけてしまったように思う。ところであの総会屋みたいな人,何とかならなかったでしょうか。
- お題目に終わらないような具体的企画,方策を期待します。
- 本日,離仙のためパネルディスカッションには参加ができませんでした。
- 大変勉強になった。
- 樋口先生のお話は大変面白かった。ただ,あるべき市民とあるべき国民が同じようなものだという論は少しもの足りない。所詮,国民は国家権力の,そして世界的資本主義に丸裸で対抗し,順馳され,えじきとならざるをえない。これに対抗するためのシェルターが都市であり,それを内から支えるのが市民の交流と団結であると考えているのだが。パネルディスカッションについては,土木計画学研究委のWGで議論するためのたたき台・私見がありますので添付(B4両面)します。
- 「仙台宣言」のパネルディスカッションを通じて多くの会員が技術者としての責任や使命を認識し意見交換出来たことは大いに意義があった。宣言内容の個別事項について,会員の総意をまとめることはできないだろうが,最低のコンセンサスとして意味がある。
- 1.第2項の?持続的発展を?→社会の持続的発展を?とするべき。2.少子老齢化社会の到来の認識に欠ける。1項の文言は贅沢な目標になりかねない。多額の財政負債の解消の途筋も考えていくべき。3.民間の技術者の声も反映するべきである。官側,大学側の建前が先行している。4.若者に夢と希望を与えるものになっているか?5.個性ある自律的な地域社会の形成には人材の流出を止める施策と環境の整備が必要である。
- パネルに於いて,パネラーの話す時間が長すぎる。もっとフロアーの意見に時間を使うべき。
- 宣言を文章にするとどうしてもぼやけてしまいますので解説をさらに充実していただいて,前面に出してほしいと思います。
- 去年まで芝浦工大に在籍していた者ですが,去年高橋先生の講習でもおっしゃったのですが倫理規定を用いた案として1項で述べている言葉の問題で「美しい国土」「安全にして安心できる生活」「豊かな社会」といった言葉1つ1つが,ばく然としていて分かりにくい。若者はこういった言葉に対してどう対応していけばよいのか分かりにくく,具体的にどういうことかを記す必要があると思います。若者にもっと浸透していけるように分かりやすく詳細にしてください。
- 「仙台宣言(案)」は良い企画だと思います。とりまとめの過程をもっと知ることができればよいかとも思います。2週間以内の締め切りで短い時間ですが是非意見をまとめたいと思います。
- 宣言は,具体的な施策,方向性が不足しているのではないか。果たしてどうやって具体的に実行していくのか不明。学会内の自己満足に終わっているのでは?
- パネラーに対して会場の質問者に意味不明の発言があり,宣言が理解しにくくなっている。宣言の文言は,会員としては止むを得ないことと思う。評価が明示されていないのが残念である。
- 「仙台宣言」について (1)土木学会と土木界は必ずしも同じではないはずである。土木学会の果たす「社会との関わり」のあり方についての姿勢をもう少し示すべきではなかろうか。例えば5項(方策)でいう「社会からの負託性」を担保し「中立的」にチェックする役割としての土木学会という視点をもう少し明確化した方がよいのではないか。(2)本宣言の末尾に以上のことを学会の立場から定期的に点検する役割を果たすことを謳ってはどうか。
- 討論会での足立の発言を参照して下さい。森杉先生のReplyには不満です。(もっと強調していただきたい)
- 最近のマスコミ等で,いわゆる有識者と云はれる人々の論調には,公共事業に対する評価が低くなったどころか,悪者扱いにしたものが多く見られる。現状を見るに残念乍ら,特に「発注?受注」における受注企業の選抜プロセスの不適切さ等に起因した不都合が多くある様に思われる。これを是正するために,特に2000年仙台宣言(案)の方策-4(公正な評価と競争)の実現と推進が切望される。(土木工学,建設産業の健全な発展のためにも)公共工事に対する悪いイメージを生んだ諸悪の根元は,方策-4の欠かんによるものと思われる。
- 仙台宣言のパネルディスカッション大変よかった。なにがよかったか,即ち一つの社会資本に関わる5氏の話題提供者でさえ総論はイコールでも各論に於いてこれほど物の見方,考え方の相違があって大変参考になった。特にも斉藤氏(NHK)ほどの人でさえあの程度の認識か。いかに市民に実情を知らしめて認識させるかなど大変参考になったし貴重なパネルディスカッションだった。
- 会場からの要望も含めて非常に活気があって良かった。
- 21世紀に向かっての宣言であれば今までに行ってきた土木事業の再評価を学会(中立機関)として行うべきである。確かに批判はあるが,戦後50年の多くの部分は先人が多大な努力を払って達成したものである。このままでは土木技術者の信頼は元より自信の喪失につながる。我々の失地回復と反省を促す内容に願う。
- 今日の宣言と倫理規定はある意味で,土木学会会員に対する業務への責任の重さを示す意味では,意義ある宣言であると思う。しかし,NHKの斉藤氏が指摘されたとおり,この宣言をもっと公に公表(積極的に行う必要がある。世間に対して宣言する)する必要があると思う。国民の目を常に背後に受けることが重要であると思う。これは,技術者自身の使命感,あるいは,国民の理解の重要性にもつながると思う。宣言文(方策-1)の中で,社会資本整備計画段階のみの社会対話だけでなく事業実施時,事業後も必要であると思う。それとこの仙台宣言は土木学会だけが主体性を示すのではなく,行政も積極的な態度を示す必要がある。そうすることでもっとこの宣言に対する具体策が議論できると思う。「絵に書いた餅」にならない様に,土木技術者個々が努力しなければならないことは言うまでもないことである。
- おもしろかった。土木の世界における女性の視点ということを考えてしまいました。橋・道・建物?
- 新たな試みで興味があったが今後も新企画を実施してほしい。土木という職に関連する者として仙台宣言を重視して今後とも襟を正して業務に担りたいと考える。
- 土木について普段あまり考えたりはしないことを改めて考えることにより,今までの土木とこれからの土木を見据えてどうすべきかの何らかの指標のようなものを把握できました。
- 「社会資本」という言葉を新たな理念を含めた言葉として,表現を変えるべきである。「社会基盤」はどうか。「新しい酒は新しい袋に入れる」といいます。
- 産学官共通の認識という意味で宣言するのは意義があると思う。しかし最も意識の低いのは学じゃないのですか。もう少し土木学会全体を考えて勉強して欲しい。産側の立場としてあまりにも低い話に腹立つ。
- 多くの人から厳しい意見が出された。その各々は多分に納得出来るものであった。しかし,ここで考えなければならないことは,この宣言の位置づけを考えておくことが必要であろう。私は,これは,どこまでも土木技術者の反省と認識と決意であろうと思う。宣言の末尾の文章に土木学会会員を代表してとはっきり立場を明確にしておく,そのため学会は・・・するは不要であろう。土木技術者が官学産を超えて?市民の中の一人の専門技術を以て社会に貢献する個人の発言と考えておくことがよい。そうであれば,その宣言中に土木技術者個人として,そこは言うべきではないという箇所はないと思う。このように文章化することで我々は思いを新たにすることが出来る。折々に見て,自戒すべきであり,個人としての技術者の座右の銘とすべきものであろう。仮令こんな認識もないのかと言われることを恐れる必要はない。社会から尊敬信頼される技術者にならなければいけない現在です。凡そ土木屋は悪いことばかりしていると言われかねない現状に立つと,身辺をととのえなければならない。これとは別に,社会に対し,土木技術は提供するのかは,これとは別に表明すべきである。それは,官の意見も産の意見も,政治の意見も含めた上で表明する必要はある。それをどこがやるのか土木学会が産官学と綜合してやることが好ましいが官・政・産の意見を果たして整理して表明出来るであろうか。まずは政治が社会資本の整備についてのビジョンを示すべきである。
- 「時代性,具体性に乏しい」との指摘は的確である。
- 仙台宣言はあたり前といわれることが,ら列されているだけで何の理想・ビジョン,そして土木技術者を激励し,前進させるニュアンスが感じられません。ことに地球環境を視点にすえた土木工学のあり方について全くふれられていない。まわりくどく情熱が感じられません。
- 宣言にある「理念」「方策」はこういう問題,課題をこの業界が抱えているという現実を改めて土木界全体に認識させるという目的のためにあるのでは?だからこの宣言に具体性を盛り込むのは必要ないと思う。それ以前に不可能に近いと思う。(←斎藤氏「具体性のない理念は無意味」に対する気持ち)具体性,それは結局個人の問題になると思う。
- 仙台宣言は誰が,誰のために行う宣言か,もう少し明確になった方がよいと思われる。(読み手の受け止め方も,個人個人によって大きく異なる)。「土木」が社会的ジレンマに囲まれている中で,構造的方策,心理的方策などの位置づけを明確にすべき。
- 異なる世代,女性,異なる職業の人々の意見を入れて宣言を作るべき。21世紀のあるべき社会資本を作成すべき。
- 昨今の様々な社会的背景の中で個人である技術者と組織としての企業が一体となって土木のシステムを再構築し,公益を確保することが大事だ。土木学会がこうした宣言を出すことによって議論をもり上げ社会にオープンにし始めたことは意義深いと考える。
- 21世紀に向けて時代の変化をどうとらえるか,時代の変化に対応してこれまでの方向性をどう変えるのかを明確に書くべき。また,事業が社会・地球環境にどのような影響を及ぼすかの研究・認識・評価に力を入れ,それに基づいた事業評価を行うことを原則とする。
- 「仙台宣言」について,各項について,付属の説明資料を学会誌の中でも発表される事を期待したい。
- 理念-1 地球環境問題の扱いが弱い「(地球が有限であることを前提とした)地球環境の保全と持続的発展を達成するという制約のもとで,現在のみならず,将来世代の安全,福祉,健康を増進することを図る」 宣言そのものについて 土木技術者が内々決意したものを公表するというものと認識します。これが社会が期待しているもの(斉藤氏の見方)とは少し違うかもしれないと思います。
- これまで各所で言われてきたことをあわててつなぎ合わせたような宣言である。土木の世界の人達だけには通じるが一般の方々には無意味なものである。8.の技術者資格制度がすでに具体化しているらしいが,混乱を起こす。全く一人よがりの動きであり恐ろしいことだ。技術士会の動き等も踏まえた協調が必要であろう。
- (1) 宣言は果たして「土木技術者の宣言」なのか。ほとんど「行政者」が認識しておくべきものでは。たとえば「行政」が決め発注した無駄な公共工事を土木技術者が変えられるのだろうか。(2) 斉藤さんの認識に賛成。ゼネコン汚職(談合,既得権者),阪神大震災(技術)(NHKテクノ パワー,1995.1.17以降でも放映できますか?)公共事業批判(ムダな公共工事)の総括が先決ではないか。(3) 「土木」は何ごとについても「批判」が少ないと思う。土木学会誌に国家プロジェクトの批判が載ったことがありますか?
- 土木学会の目的を改めて考えさせられました。土木技術者が一般人の考え方とかなりずれていることを再認識すべきであり,もっと広い視点で考えるスタンスを再確認した方がよい。
- 土木技術者がどれだけ自然を理解しているのか疑問に思います。例えば,緑化というと外国産の強い草木が植えられている。このことは自生の生態系をこわしていることになっています。本当の意味で自然を理解すべきだと思います。我々,若い世代にとって「美しい国土」を見たことがありませんし,目指すべき国土がイメージできません。どういう姿が「美しい国土」か示して欲しい。
- 今回のシンポジウムは会場との対応で様々な意見が出て,従来のなれ合い的,おとなしい内容とは異なり興味深いものであった。もう少し時間をとって,パネラー同志,会場とパネラーとの意見交換ができれば,更には全体で宣言の方向性を集約し,会場で作り上げることができれば,イベントとしては成功なのかも知れない。今回のディスカッションは本当に勉強になった。もっと時間があれば良かった。時間の短さを感じる久しぶりのパネルディスカッションであった。
- 1.NHK斉藤氏の言ってるのが筋が通ってもっともだと思う。2.宣言の倫理規定は倫理規定になっていない,市民の目での宣言になってない。
- 宣言としては宜しいかと思いますが,これをこの後どの様に生かしていくかが重要かと思います。
- 1.文章が長い,もっと簡潔に,平易な文章で 2.具体性に欠ける。例えば決意の前文と社会資本の整備の意義のみにとどめる。以下の2?9は見出しのみを個名書きで,以上で500字
- 理念-2 かつて土木学会が全国画一的な整備方針を出していたというのか?転換するとはどういうことか?なんで学会がこんなことをいうの? ※土木学会は学会であって行政ではない あたかも行政も同一であるかのような宣言はおかしいのでは 学と業,政があまりにもゆ着しすぎている NHKの人の話を聞いているとまさに行政批判であって学会が受けるべき内容ではない 学会は学会であるべきではないか,どんな社会システムを作っていくのかと問われてもちょっとそこまで問われるのはコクではないか。 鈴木会長の講演はあまりにも建設省の代弁すぎる,学会としての独自性,もっと技術者としての方針を 方策-3→時間管理概念を入れるなんていうのは土木学会がいうことではない 方策-4→受注企業という言葉が出てくるなど学会は発注団体なのか ※土木学会は原点に戻って業界・政界との距離をおくべき あまりにも時の政治に引っぱられすぎている。建設省のコントロール下にあるのがミエミエ独自性がない 全体的に日本語として悪文である一読して何を言っているのかよく分からない 土木学会は良いものを作る技術の研鑽を図ることに専念すべき やたら反省するのは無責任,マスコミに迎合するもの もっとホコリを!土木学会も自虐史観になってきた?何のためにこんな宣言をするのかわからない もっと他にやることがあるのでは
- 我が国の社会資本整備が変わりつつあることは少なからず感じてはいた。しかし,本宣言により今後の業務のあり方を私は個人的に理解できた。我が国の土木学会が国際的に認知され,技術が経済を支配できるようになれば,今後の社会資本整備の発展も望まれるためそれに期待したい。
- 土木全体に係わる宣言であるので議論する時間が短すぎるのではないか。
- NHK斉藤さんの指摘のとおり,土木業界の現状認識を掘り下げた議論が必要。
- 土木学会は大学,研究主体であるように思われる。もちろん業界の方々も入会されてフェローとなっている人も多いと思います。しかし会費が高くて入れないという人の声も多いことも確かである。会費を下げてスソ野をもっと広げられたらどうかと考える。
- 斉藤さんのご意見に全面的に賛成。これで若い世代へ国際的に情報発信が可能か。ITの役割が必要。
- 一般論としては,理念先行の感はまぬがれないように思った。土木学会員に問題を認識させる意図は分かるが。この機会とは別に土木のビジョンを明確にする必要があろう。
- 社会に向けて発する宣言としては1つの経過点として評価したいと思います。もちろん,様々な意見が出たように,現状と問題点,土木に対する批判を踏まえた突っ込みが足りないという感はありますが,さらなる検討を期待したいと思います。
- 特別講演は社会資本の現状を示して頂いたことで大変有意義だったと思いますし,技術者の使命と人間社会との関係を理解させて頂いた点有り難く思いました。パネルディスカッションは,ショーとしては面白く思いましたが,宣言をまとめるためにはあまり役立っていないと感じました。尚,高橋先生の話には深い感銘を受け,土木技術者として改めて覚悟をするキッカケになりました。
- 樋口陽一の講演は評価できる 高橋裕の「倫理規定から「国家」は外した」はとんでもないこと,正に日本滅亡の元兇 他は全て1気休め,2保身,3面子,4我のみ人の思い上がり5市民無?知の教授達 斉藤宏保氏の「現状評価がない」「なぜ苦言がない」はその通り
- 特別講演:civilの意味をどうとらえるかかねがね思い悩んでおりましたので,樋口先生のお話は大変示唆に富むものでした PD:宣言の内容は「ごもっとも」でもあり「パンチ不足」とも感じました。ここに至るまでには実に多くの議論があったのだろうと思います。宣言の前提となる「倫理」について一言。「倫理を語る」ことは快いことでありますが,倫理が実質的な意味を持つのは進むか退くか,判断を迫られた辛い局面で影響をどうもつかということではないかと思います。技術者倫理ということで常に思い出すのは,スペースシャトルチャレンジャーの事故に際し,発射承認を下したローリングの技術者の判断であります。これを「良心に反することをしたから結果も不幸なものになった」と一刀両断するのは容易ですが,そういう決断をせざるを得なかった「状況」に思いを至さなくてはなりません。倫理的でない判断をした結果が明白に不具合となって現れることは氷山の一角であり多くのおもてに「現れない非倫理的決断」がなされているのが実状と思わざるを得ません。「倫理的であれ」というのは,時として職場で「浮く」覚悟をせよということなのであり,そういう現場の悩みをサポートできる「形」あるいは「伝わる想い」なしに高所から倫理を説くことには空虚さがつきまとうのではないでしょうか…
- (1) 質問者には2分と限るべし,正面に時間(時計)を設けるべし (2) プロジェクターに話の判る男をはりつけるべし (3) 質問者はその要旨をメモに書いて事前に提出させる (4) 質問ダラダラ長く回答時間少なく残念。
- 土木技術者のコンセンサスとして高邁な精神を示した宣言を高く評価します。また,その労をおとりいただいた方々に敬意を表します。一方,斉藤NHK解説主幹のご指摘やいらだちももっともです。宣言の他に具体策も示すべきであり,それは,産学官でそれぞれ示すべきであろうと思います。薬害であれば厚生省,エネルギー問題であれば通産の見解・VISIONを市民が求めるように,建設省・運輸省が具体的な発言を求められています。その意味で青山技監の発言や,仙台宣言学会誌特集てい談での発言には若干の失望を禁じ得ません。
- Service業である認識が明示されるべき。決めるのは市民,技術者は一連の代替案を提案し市民が正しい判断が出来るよう,工夫と間違いのないprofessionalな知見と判断を示し,わかりやすい形で説明するのが職業的義務商品。
- 「2000年仙台宣言(案)」についての意見
「2000年仙台宣言(案)」について,私の意見を纏めました.
- 「主語がない」
この宣言(案)には,どこにも主語がない.全体の主語が「土木学会」あるいは「土木技術者」あるいは「われわれ」かと思ってよんでゆくと,(9)項になって突如「土木技術者は」となる.つまり,それまでの主語は「土木技術者」ではない.では,主語は何だろうか.討論会の会場でも「この宣言文には個性がない」などの意見が出たのも尤もと思う.
- 「具体性に欠ける」
コメンテーターのNHK斉藤氏からも,会場の中からも魅力に欠ける,個性がないなどの意見が出された.
会場からの意見の一つに,これまでの土木技術が我が国に果たした役割の正ないしは陽の部分も、負あるいは陰の部分も明確にせよとのことがあった.
すると,森杉氏は,そのことはどこそこに含まれているといわれる.だが,それは言い逃れとおもう.具体的に書いて欲しい. また,意見が一つに集約できなければ,それらを列記すればよい.
「個性がない」とは,「主張がない」に等しい. - 「個の尊重の精神に欠ける」
この宣言文を読んで一番引っかかるのは,考え方の多様性に対する配慮が無いことと思う.土木ナショナリズムあるいは土木帝国主義が感じられる.
「土木学会」の内に属する私としては,こんな宣言に自分が縛られるのは嫌だなと思う.
また「土木学会」の外にいるものにとっても,なにやら土木学会あるいは土木屋が,一体となって,一つの意思を押しつけてくる感じがするだろう.
なるほど,項目3には「個性ある自律的な地域社会」とは言っているものの,項目5では「社会との...合意形成に努める」となっており,多用な意見があることを尊重する姿勢が感じられない.土木以外の観点もありうるし,土木屋の意見が他の人々意見といつも同じとは思えない.
ここは,社会の選択にまかせるべきであろう.たとえそれが,土木の観点と異なり,後の歴史がその選択が最善でなかったと判定するとしても.
合意形成あるいは最終判断は政治の問題であろう. - 「項目数が多すぎる」
あの事も,この事も入れようとしたのであろう.項目数が多すぎる.半分くらいに圧縮し,主張を明確にすべきだ.
- 「このままでは反対」
もっと時間をかけ,違った意見もいれて(聞いてではない),練り上げて欲しい.
会場での吉原氏(鹿児島大)の意見は,発言の仕方のせいか困った発言と捉えた人もいたようであるが,尊重すべき点が多々あったし,(耳が多少悪いためか)発言者の名前を聞き取ることは出来なかったが,日本の土木事業の負(陰)の面も明記せよとの意見に、その事は宣言文にいれてありますではなく(そうは読めないのだ)きちんと対応して欲しい.
そうでなければ,宣言文の作成に携わった人たちの自己満足,名誉欲の顕示に終わるであろう.
- 「主語がない」
- 『 2000年 仙台宣言(案)について 』
時間管理は極めて必要な事項であることは宣言のとおりである。しかし、「時間管理概念」なる言葉は判りにくいし、誤解を生む可能性もある。下記のように書き換えてはいかがか?
時間管理概念
↓
時間的管理と評価
- 1点を除いて宣言案に賛同します。
それは第8項公正な評価と競争ですが、14ページの解説の方がわかりやすい言葉で書かれている。
15ページには「公共事業について批判がきつい。談合があるのではないかという極端な場合から、」という認識がある以上、談合という言葉から逃げてはいけない。
指名競争入札に原因があるのか。いや、一般競争入札の中部国際空港でも起こっている。談合情報どおりに落札している。日本を代表する建設会社が関わっている。詳しくは9月6日付け中日新聞を見てほしいが、空港会社の平野社長が「談合をやっている。証拠がないだけだ。業界は恥ずかしくないのか。」と述べている。
この問題に対し、大学関係者は肌で感じていないかもしれないが、一般の工事のみでなく、日本を代表する大規模プロジェクトでも起きたこの問題を放置したままでは、土木技術者として恥ずかしくて21世紀宣言なんてやっていられない。このことを徹底的に議論してほしい。
談合は慣習、制度、会社や個人の倫理と色々と原因が複合していると思われるが、なくすためには制度的な改革とともに少なくとも個人の意識としてはやってはいけないこととの思いがあるはずであるので、ぜひ宣言に明確に加えてほしい。