JSCE
土木学会

企画委員会

なぜいま「2000年仙台宣言か」


森地 茂 Shigeru Morichi

副会長 フェロー会員 工博

東京大学教授 大学院工学系研究科 社会基盤工学専攻


 土木学会では,「社会資本と土木技術に関する2000年宣言−土木技術者の決意−」と題する宣言を社会に向けて行うことを決定した.これは学会の倫理規定を,社会資本整備の意義,理念,方策として具体化したものである.

 本年3月17日,企画委員会と全国大会実行委員会(東北支部)が共同で作成し理事会に提出した本企画の提案書には,次の提案趣旨が記されている.「社会資本整備に関わる社会の批判に対応して,土木学会の「倫理規定』(1999年6月制定)を社会にアピールし,同時に学会員に対して土木技術者のあり方をより具体的に訴えることを目的として,社会資本の整備の意義,理念と,その実現のための方策に関する基本的見解に関する「宣言』を制定し,公表することを提案する.」

 2000年という特別な年の全国大会が仙台で開催されるに当たって,それを記念する企画を考えるべきだという議論が,昨秋,東北支部,全国大会実行委員会で始まった.単にミレニアム記念という発想ではなく,社会資本整備に関する議論や批判が展開されているこの数年の状況に対して,学会はいかなる役割を果たすべきかという発想も,仙台での議論の背景にあった.さまざまな議論は,昨年12月に「社会資本と土木技術に関する2000年仙台宣言(案)」としてとりまとめられ,企画委員会に持ち込まれた.学会の宣言として出す以上,理事会承認が必要であり,企画委員会(森杉壽芳東北大教授が東北支部から参画)がその検討舞台となったのである.以来,本年3月の理事会への報告と検討を経て,「宣言(案)」として4月21日理事会で承認されるまでの4か月間,土木技術者のあり方,学会のあり方に係わる根元的議論が続くこととなった.

 5月の土木学会総会まで企画委員会委員長を務めたことから,筆者が本宣言案の背景と意義を解説する.


土木学会倫理規定

 土木技術者の倫理規定が1997年5月7日に制定された(土木学会理事会決定).その前文は以下のように記述されている.

1.1938(昭和13)年3月,土木学会は「土木技術者の信条および実践要綱」を発表した.この信条および要綱は1933(昭和8)年2月に提案され土木学会相互規約調査委員会(委員長:青山士,元土木学会会長)によって成文化された.1933年,わが国は国際連盟の脱退を宣言し,廬溝橋事件を契機に日中戦争,太平洋戦争へ向っていた.このような時代のさなかに,「土木技術者の信条および実践要綱」を策定した見識は土木学会の誇りである.

2.土木学会は土木事業を担う技術者,土木工学に関わる研究者等によって構成され,1)学会としての会員相互の交流,2)学術・技術進歩への貢献,3)社会に対する直接的な貢献,を目指して活動している.

土木学会がこのたび,「土木技術者の信条および実践要綱」を改訂し,新しく倫理規定を制定したのは,現在および将来の土木技術者が担うべき使命と責任の重大さを認識した発露に他ならない。

 そして,前文に続く基本認識には,

 1.・・・技術力の拡大と多様化とともに,それが自然および社会に与える影響もまた複雑化し,増大するに至った.土木技術者はその事実を深く認識し,技術の行使にあたって常に自己を律する姿勢を堅持しなければならない,

 2.現代の世代は未来の世代の生存条件を保証する責務があり,自然と人間を共生させる環境の創造と保存は,土木技術者にとって光栄ある使命である,

とうたわれている.

 続いて,倫理規定として,「土木技術者は」という書き出しで,15項目が箇条書きされ,第4項には「自己の属する組織にとらわれることなく,専門的知識,技術,経験を踏まえ,総合的見地から土木事業を遂行する.」,第14項には「自己の業務についてその意義と役割を積極的に説明し,それへの批判に誠実に対応する.さらに必要に応じて,自己および他者の業務を適切に評価し,積極的に見解を表明する.」と規定されているのである.


 わが国の工学系学会として初の倫理規定を戦前に制定した歴史を誇る土木学会が,新しい倫理規定,特に上記第14項を踏まえて,公共投資批判の強まっている今,社会資本整備に関する見解を宣言することは,時宜に合ったことと考えたのである.

 ところで,宣言を出すことの是非を含めてさまざまな議論があった.東北支部からの提案に対する第1の論点は,現状認識である.この数年間の社会資本整備に対する批判には,誤解に基づくもの,政治的宣伝として行われているものも含まれてはいるが,土木技術者として倫理規定に照らして,

 (1) 社会資本整備を,それが国土や国民生活に与えた影響から見ていかに評価すべきか,

 (2) 社会資本整備の歴史的・社会的意義や個々のプロジェクトについての利害得失に関する社会との対話は十分であったか,

 (3) 建設至上主義と社会から批判され,また技術に不信感を持たれることも少なくなかったことをどう認識するか,

 (4) 事業の遂行過程が不透明であったこと,およびその結果として社会資本整備事業の社会的意義にまで誤解が広がったことをどう認識するか,

等々の現状認識が,議論の第1点である.

 第2の論点は,倫理規定の存在が社会に広く知らされていない状況に鑑み,また社会資本整備に対する国民的議論がなされている状況下で,学会が何をなすべきかである.学会の社会的役割が,一義的には安く良質な社会資本を提供する技術を開発し,提供することであることは言うまでもない。それに加えて,狭義の技術領域にとどまらず,土木技術者が関与する分野に関し広く時報発信すべきことを倫理規定は定めている.とはいうものの,本企画の意義,効果や影響,それに対し学会がとりうる責任等まで勘案した上での,この宣言を出すことの是非論がある.また,個人の功名心とは無縁に社会の縁の下の力持ち的な位置づけをよしとしてきたわが国の土木技術者の風土からして,多くの土木技術者からも,また社会からもスタンドプレーと受け取られ兼ねない宣言という行為に対し,多くの学会員の賛同が得られるかどうかの判断が求められる.

 第3の論点は,倫理規定を具体化するものとして,われわれ土木技術者の思い描く社会資本整備の意義,理念,その実現のための方策に関する基本的見解をいかにとりまとめるかである.4万人の学会員にとどまらず,全国20万人余の土木技術者と,広く国民に土木技術者のあり方が理解され,そのことを通じてよりよい社会資本整備に帰結することが本宣言の目的である.したがって,少ない項目で,明快にわかりやすく,この基本的見解がまとめられる必要がある.

 第4の論点は,学会の宣言として認知する手続きである.結論的には,東北支部からの提言を受けて,企画委員会,理事会での議論を経て,大幅に修正を加えた「宣言(案)」の内容と,それをもとに次の手続きを踏むことが理事会で承認された.すなわち,「宣言(案)」を題材に学会誌の特集企画を組み,また全国大会で特別討論会をこのテーマで開催し,さらにホームページ上で意見を公募し,それらの意見を受けて修正を加え,最終的に「宣言」として理事会決定することとしたのである.

 第5の論点は,宣言とは別にいかなる努力を学会が行うべきかである.この点に関しては次節に述べる活動を行っている.


 以上が今回の宣言(案)をとりまとめるに至った経緯であり,その過程で行われた議論の概要である.


社会資本に関する最近の学会活動

 この宣言を出すこと自体が目的化して,本来土木技術者が社会資本のためによりよく貢献する努力が後追いでは本末転倒である.また土木技術者や土木学会を単に宣伝するために本宣言を出すと社会から見られるのは不本意である.当然過去もわれわれは,国民にとって望ましい社会資本を提供するために努力してきたと自負しているし,自己満足に陥ることなくさまざまな批判に応えて研鑚を重ねてきた.社会資本の計画,設計,施工に関する研究は,社会の要請に応じてその対象領域の幅と成果の深みを増し続けているし,社会的制度や社会資本の内容および質も変革されてきている.本宣言が,それに先立ち学会の実行してきた努力をも背景としていることを,説明しておく必要があろう.もちろん,土木学会の活動のほとんどすべてが社会資本の改善に関係しているが,特にここではこの2年間に学会が行ってきた諸活動の中から以下の4種類の企画を紹介したい.


1)社会資本整備プロジェクトの事前評価に関する国際シンポジウム開催

 1998年,当時の岡田宏第86代会長より,数年来批判が多かった公共事業プロジェクト評価に関して,学会として明快な成果を示すようにとの指示があった.土木計画学研究委員会を中心に,この分野に30年以上取り組んでおり,その成果は政府のプロジェクト評価に生かされており,橋本政権以来の評価マニュアル制定にも多くの研究者が参画してきた.企画委員会では会長指示を受け,森杉壽芳教授を中心とする専門チームによる検討を経て,各省の費用対効果分析マニュアルの課題の検討を目的とする国内シンポジウムと,欧米各国および国際機関の同様の評価方式と日本の方式との比較評価を目的とする国際シンポジウムを1999年4月に開催した.土木学会が発案して,学術会議,国連大学と共催したシンポジウムは,各省や民間コンサルタントの専門家,大学の研究者にとって実り多いものであり,その後のマニュアル改訂,研究の進展に寄与するところ大であった.


2)21世紀における社会基盤整備ビジョン並びに情報発信に関する特別委員会

 同じ年,当時の次期会長(第87代会長)岡村甫教授を委員長とする上記特別委員会が設置された.その成果報告書がまとめられ,2000年4月に特別シンポジウムが開催された.この報告書はもとより,それに加えて橋本大二郎高知県知事をはじめ学会員以外のパネリストによる社会資本整備に関する批判や示唆は,400名余の参加者にとって極めて印象深いものであった.また,委員会活動の一環として,「失われた地方都市の個性を取り戻す方法についてのバーチャルリアリティーによる体験装置」が開発され,シンポジウム会場で公開された.土木技術者の努力を社会に説明する新たな方法の提示でもあった.


3)土木計画学ワンデーセミナー「土木計画における公平性を巡って」の開催

 大都市と地方部の公共投資の公平性は,効率性と並んで社会的関心事である.公共投資の公平性に関しては,社会科学,人文科学を中心として土木工学の分野でも長年にわたり多くの研究が重ねられてきたが,学問的にもいまだ決定的な合意は得られておらず,したがって公平性の名の下に明快な基準なく投資の配分が決定されている現状にある.このセミナーは,上田孝行東京工業大学助教授の企画により,土木計画学研究委員会の主催で2000年4月に開催された.京都大学小林潔司教授ら土木計画学分野の専門家に加え経済学者の参加も得て,これまでの多くの学問的蓄積が整理,総括され,プロジェクト評価における公平性の扱いに多くの示唆が与えられた.


4)企画委員会レポート2000−土木界の課題と目指すべき方向−の発行

 企画委員会の主たる役割は,土木学会の長期的課題を検討することにある.1998年以来,7種の調査・分析をもとに、

 (1)公共事業への市場システム導入拡大と競争力のある研究開発体制の構築

 (2)展望と魅力ある教育の実現

 (3)優秀な人材確保と有効活用


の3つの課題に対する土木界の改革方向を提示し,2000年4月に報告書を学会出版物として発行した.結論をまとめる前に2回の公開討論会を開催して,多くの議論を呼んだ.現在の鈴木道雄会長(第88代)は,その就任に当たり,この方向での実行を宣言され,本年5月の学会理事会において,その実行組織として

 (1)技術者資格評議会(委員長 岡村甫前会長)

 (2)技術者環境に関する特別委員会(委員長 岡村甫前会長)

 (3)社会資本整備と技術開発の方向に関する特別委員会(委員長 鈴木道雄会長)

の設置と委員長が決定された.当然のことであるが,これらの目的はよりよい社会資本をより安く効率的に提供することにあることはいうまでもない.個々の技術者や建設関係企業にとって短期的には痛みを伴うこともあろうが,国民にとって必要な改革であり,また結果的には技術者や企業の世界的競争力を高めることと期待される.


 土木学会は,これらに代表されるさまざまな活動を通じて,社会資本整備に対する批判に応える努力を続けてきたが,それらの情報が全国の土木技術者にさえ十分伝わらず,まして国民にはほとんど伝わらない状況にある。そのような背景の下,土木技術者の社会資本整備に対する思いを具体的に提示しだのが、本宣言(案)である.


本宣言に期待すること

2000年という記念すべき全国大会を機会に本宣言(案)を題材とする特別討論会を開催することは,先に述べたとおりである.多くの参加者を得て宣言(案)に関する意見を広く求めると同時に,4万人弱の学会員のみならず,広く20万人余の土木技術者に,今一度その責務を再確認すること,また土木学会および土木技術者の努力を社会的にアピールすることに寄与できれば幸いである.それが21世紀のよりよい社会資本整備に向けて大きな意義を有すると考えるからである.

(土木学会誌/2000年9月号)


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