|
※このページの文章は,土木学会誌2001年5月号に掲載されたものです。執筆者の肩書は執筆時のものです。
|
|
|
|
土木技術はその第一義的な機能を超え、その存在自体が麗しい国土と都市をつくる。時を超えて育まれるこの国土美こそ国民の恒産を成し、一国の信頼に係わる大事であることは疑いえぬ事実と思える。社会資本形成の最終目標は麗しい国土の実現にあるのではないか。この至上の文化価値は経済活動の余剰として実現されるのではなく、経済活動の目的でなければならない。
公共事業の存在理由の問われるいま、文明の目標としての美しい国土の実現を誓うより他に国土運営を委任された土木技術者への信頼を繋ぎとめる手はない。
その目標へ向け旅立つにはいわゆるデザインという文化的営為が不可欠である。しかしながら機能や経済性、環境、美観、社会性、歴史性という多様な価値の連合的精華であるデザインは機械的な基準によって自動的に生成されはしない。それは混沌から新しい秩序を求める生命の証しであり、創造的技芸であって、その成就はすぐれて生きる個人の知力と識見に依存するところがおおきい。
それゆえデザイン技術の繁栄は個人の恵知を自由に競わせ、すぐれた個性を見い出し、育てる社会制度を必要とする。
ここに、すぐれたデザインを選定するとともに、そのデザイン作業に筆を執って立ち向かった個人を特定し、顕彰する褒賞制度を発足させるゆえんである。デザインは実用と無縁の余剰ではない。混沌の海に揺らぐ無数の与件と目標を、有意義な形にまとめてゆく精妙な秩序化の作業はそれ自体で充分に“芸術的”である。この極度に冗長な心理論理プロセスを美意識という揺らぎ感覚の介入なしで収束させることの不可能は、熟達した設計者のみの知る真実であろう。このことからして「実用設計と美的設計の差はない」と言える。
このようにして成った印象深い景観は大仰で人目をひくとは限らない。朝夕接して飽きることなく、いつしか人々の血肉となる渋いデザインこそ至高のデザインと言える。彫琢して朴に還る、という荘子の言葉はこのデザインの機微を言いとめている。
この事実はデザインにおける個人の創造力についていささかの反省を催させる。
芸術文化の地平で言えば、ルネサンス以来の、創造する個性の全能を讃える時代は去ったと言ってよい。それに代わって、宇宙法則の胎内で成立する人間の技術、生態系のうちでのみ生存を許される個体生命、そして歴史的空間や社会システムの懐で生きる個人。つまり近代的な個我を超えた、超越的な時空からの照射によって生かされる脱人文主義的人間像が浮かび上がる時代に我々は入った。
技術美は、この新しい文明パラダイムのなかで、自然征服の象徴ではなく、人間の恣意を超える美的秩序の象徴として再評価されるであろう。デザインにおける個人の創造力は、脱人間中心主義との葛藤のなかで新しい方向を探ろうとする。もとよりデザインの審査は数量化された客観基準の充足を検証することではない。別に示される選考基準は、多岐に亘る審査対象のおおよその評価視点を示すにすぎない。従ってそれは基準というよりも応募の動機づけに他ならないであろう。
審査委員は、作品から独立した不動点に立って評価するのではなく、作品の内側に入って、無私のうちに作品の空間を生きる。この、一種の創造的解釈のなかから有効な批評の言葉が産まれくることが期待される。しかしながら創造的解釈としての審査が公共の信頼を得るにはいくつかの条件が必要になる。
第一に状況に応じ、専門家の意見聴取が行なわれること(専門技術検証性)、第二に審査委員は匿名でなく、作品への期待と評価理由を署名入りで公表しなければならないこと(審査の署名性)、第三に、審査プロセスにおける議論と反論、ならびに結果への各委員の所見のいっさいは、公表されるべきこと(審査の透明性)、第四に審査内容は極力、明示的に言語化され、審査結果それ自体が人々の批評の対象になるべきこと(説明性と批評可能性)。
つまり、審査の全プロセスを一つの開かれた批評テキストにしたいと思う。批評する言葉の飛び交うデザインコンクールという知の祝祭をとおして、土木の出自と可能性を問いなおしたい。そして、土木設計を閉ざされた言語空間から救い出し、その文化的活力をとり戻そう。
土木デザインにおいて特定の個人(複数でもよい)を顕彰することの困難は承知の上で本賞は設けられた。その趣旨をご理解のうえ、土木学会の会員はもとより、隣接分野の方々にもふるって参加していただきたい。 |
|
|
|
|
|
日本の国土に美しい環境を創り出すためには、土木の分野にもデザインで競い合う土壌が必要である。そのためにはデザイン賞のようなものを設けるのが一番よいのではないか。これはまた土木の新しい魅力の一つとなり、土木をめざす若い人達に夢を与えることにもなるのではないか。このような趣旨で、中村良夫景観・デザイン委員会委員長の指名を受け、私が景観・デザイン賞授賞制度準備小委員会を立ち上げたのは2000年9月であった。集まった小委員会のメンバーが賞に期待するイメージは様々であり、数多くの議論が重ねられた。「土木の作品には設計者の顔が見えない。もっと設計者個人に光が当たるようにすべきだ」。「建築は作品と設計者が直結しており、その中からスターを生み出す土壌が用意されている」。「海外(特に欧州)の橋梁デザイン界では、なぜ我国にくらべ一歩先をいく着想と洗練されたデザインが次々と生み出されるのか。その源泉は、メン、カラトラバ、シュライヒ等々のエンジニア・アーキテクトによる厳しい競争にある。賞よりもコンペを普及させるべきだ」など様々な意見をふまえながら、建築学会賞、造園学会賞、日本グッドデザイン賞など他分野のデザイン関係の褒賞制度をできるだけ広く勉強し、参考としながら議論を煮詰めていった。その中で一番の苦心は、端的にいえば、賞を個人に与えるのか作品に与えるのかという点であり、議論も白熱した。冒頭の趣旨から言えば個人ということになるが、我国の土木のシステムはすぐれて集団でものを作り上げるように出来ており、作品に対する特定の個人の寄与を明確にし難い場合が多いので、個人賞には無理があり作品賞にせざるを得ない。建築学会賞も形式は作品賞である。しかし、その中にあって何とか個人に光を当てる方向を模索した結果が今回の賞の姿である。
|