会長からのメッセージ

第97代会長
第97代会長
近藤 徹

「社会からの謙虚な受信と、社会への積極的な発言」をしていくなかで、「会長の顔が皆に見える学会」にすることは重要であると考え、土木学会誌奇数月号に会長から会員、社会に向けたメッセージを伝えるページとして、「会長からのメッセージ」を掲載する。
土木界が激しく変化しているいま、このページを通じて、われわれの学会の会長が何を考え、どこを目指しているかを知っていただき、各会員が今後の土木界を考えるきっかけとしていただきたい。


社会資本の「コンクリートから人へ」

昨年の政権交代で、「コンクリートから人へ」のスローガンが掲げられた。コンクリートは社会資本整備に必要不可欠な材料であり、コンクリートに象徴される社会資本は人の生活のために整備されてきた。にもかかわらずなぜこのスローガンが掲げられたのだろうか。
 私たち土木技術者は、これまで"社会資本"と"公共投資"とを区別せずに使ってきた。だが"社会資本"に違和感はないが、"公共投資"には嫌悪感をもつ人がいるらしい。社会資本とは、住民が安全で豊かな生活を享受でき、社会の経済活動が円滑に維持できるための基盤であって、社会の持続的な発展のために必要不可欠なストックである。
 ところで社会資本の整備には、受益が広く社会全般にかつ次世代にまで永続的に及ぶ場合が多く、一般的には国、自治体等の公共体が費用を支出するので、公共投資と呼ぶ。他方公共投資は、公共体が実施する経済政策のフローとして重要な役割を果たしてきた。近年ストックの効用がなおざりにされ、フローのみが過剰に注目されて、産業保護、雇用政策と矮小化され、ときには利権のイメージで話題になっているのが、誠に残念である。
 フローは時限的効用に過ぎず、ストックこそが本来的に国民生活、社会経済活動に永続的効用をもたらすのである。公共投資=フローとしてではなく、どのような社会資本=ストックが今後も必要とされるのだろうか。わが国は今後高齢社会の進展、地球温暖化の進行という社会・自然条件の変化に確実に遭遇する。老年人口1人当たりを何人の生産年齢人口が支えるかという比率をみると、2009(平成21)年で2・8人、2050年には1・3人となる。現状を放置すればわが国は、急激な衰退のスパイラルに陥ることが確実である。その事態を回避するには、国際競争力を効率的に確保するための社会資本を整備することが急務である。またIPCC第4次報告書は、今世紀末までに世界の平均気温は1・8〜4・0℃上昇し、洪水・渇水の災害リスクが倍増することを予測しており、防災インフラの増強も急務である。
 近年先進国のみならず、近隣各国が世界を視野に積極的に社会資本を整備している。わが国が国際競争力を確保し続けるためには、従前道路、港湾、鉄道、空港等が整備者視点で縦割りに交通量・輸送量を処理してきた方式から、関係する社会資本が利用者の視点で一体となって、世界に伍していかに人が目的地に早く到達できるか、いかに荷物が速く届けられるかに応える整備方式に転換しなければならない。また防災面においても河川・海岸等の防災施設に加えて、道路、都市施設、土地利用計画等も一体となって、住民側の視点でいかに住民の生命財産の安全度が確保できるかの整備方式に転換しなければならない。
 コンクリートは今後とも社会資本整備には必要不可欠な建設材料である。スローガンは、"コンクリート"すなわち社会資本整備者の視点から、"人"すなわち人間生活にどんな社会資本が今後も必要か、利用者の視点をさらに重視しようとの趣旨と理解しよう。

土木学会誌 2010.3

安全の神はいないが

 「私はこの世を私が生まれて来たときより良くして残したい」1) 青山士2) がモットーとしていたこの言葉で、新年のご挨拶を申し上げる。私たち土木技術者は、国民がより安全で豊かな生活を享受できるように社会資本を整備して、その恵沢が次世代へ及ぶように努めることを使命としてきた。その使命は、青山士の時代も現世代もなんら変わっていない。
 安全工学の権威の弁「八百万の神の中にも、安全の神はいない。安全祈願祭は、工事期間中だけでも荒ぶることのないように神にお願いするに過ぎない」発生頻度は極めて小さいが、一旦発生すると利用者、公衆の身体等に甚大な被害を及ぼすおそれのある旅客機、鉄道、原発、化学プラント等の工学分野では、安全を追求する"安全工学"が発達している。ここではおよそ絶対的な安全はありえないので、危険度を如何に小さくするかを命題としている。土木工学にも共通の命題である。
 ここでクイズを一つ。「サイコロの目が1以外は総て勝となる最強の賭師1人と、1以外は総て負となる弱者6人の集団が戦うとする。強者は弱者全員に勝ち残れば勝、それ以外は弱者集団の勝とする。強者の勝率はいくらか」答えは0.335 3) 。強者の完敗である。これを安全工学流に解釈すると、個々の要素(部材等)の安全度 (信頼度)は高くても、要素が直列に連結(どれが欠けてもダウン)していれば系全体の安全度は小さくなるし、個々の安全度は小さくても、要素が並列に連結(すべてダウンしない限り機能発揮)していれば安全度は劇的に高まる。如何にバックアップシステムを組み込むかが、安全度向上の要諦である。
 これを治水システムで考察してみよう。連続堤防(系)は部分の堤防(要素)が連結した構造で、どの部分が破堤しても、大災害を惹き起こす直列型システムである。堤防延長が長いほど系全体の安全度は急激に低下する。他方で洪水調節ダム、遊水地、二線堤、輪中堤等はそれぞれ機能には限界があるが、堤防のバックアップシステムとして、治水システム(系)を並列型システムにすることにより安全度を向上させるサブシステム(要素)である。 最近、土木技術・工学者と言われる人が、堤防を補強すればダムは不要とか、水源林を整備すればダムは不要と主張し、マスコミ、政策決定者に影響を与えかねない事例が見られる。技術の粋を尽くして堤防補強するのは当然の前提であるが、どの工法であればサブシステムを不要とする程信頼性を高めることが出来るのか。森林整備によりサブシステムを不要とするほど確実な定量的効果を保証出来るのか。これらの仮設は、誤っている場合には住民、地域社会に回復不可能な被害を及ぼすだけに、慎重な検証が必要である。少なくとも土木学会等の専門家集団の場で公表し、多くの専門家の検証を得て定説となるまでは、"学界の定説"であると誤解を招く言動は慎むべきである。それが技術者の倫理である。 本年は神が荒ぶることのなきよう祈るとともに、土木工学の基盤をより充実して発展させ、私達が生まれて来たときよりこの世を良くして残すため、会員の皆様と努力したい。


1) 内村鑑三『後世への最大遺物』
2) 第23代土木学会会長
3) サイコロ・クイズの解答
サイコロの目は等分に出る前提とする。
強者はサイコロの目1・2・3・4・5・6の6通りの内、1以外の5通りの目が出れば勝だから、ゲーム当りの勝率 5/6
強者が2ゲーム連勝する確率は 5/6 × 5/6 = (5/6)2
同様に6ゲーム連勝する確率は (5/6)6 = 0.335
弱者集団はそれ以外が勝ちだから 1-0.335=0.665

土木学会誌 2010.1

地域と生きる土木の景観設計

 「銀座通りを、シャンゼリゼ通りに負けない都市景観につくりかえるんだ」佐藤秀一(当時建設省東京国道所長)さんは、熱っぽく語った。私が銀座共同溝工事の中間検査に行ったとき、佐藤さんは検査をそっちのけで、早朝から翌朝未明まで時間とともに変化する銀座の表情を観察しながら、地上から地下まで引っ張りまわし、このまちの景観をどのようにデザインするのか、その構想をひたすら語ってくれた。
 電力、電話、水道、ガスなどのライフライン管理者を都市づくりへの貢献と説得し、老舗の集まる商店会と意見を交換しながら、自動車交通最優先の時代に車道を狭めて歩道を広げる、都電廃止で生まれた御影石を磨いて歩道の敷石ブロックに敷き詰める、伝統のまちの風情を活かした街灯をデザインする、女性の口紅が一番美しく見える照明光を採用する、警察所管の信号も道路管理者の案内標識も統一したデザインとする、地下鉄の出入口もまちの景観に沿った形状に改造をお願いする、一事務所長の熱意と美意識が、単なる共同溝設置で満足することなく、日本の表玄関として銀座通りの都市空間をデザインしたのである。
 土木技術者には景観設計に挑戦する場面がきわめて多い。私にも思い出がある。ダム工事の設計係長の頃、コンクリートダムの岩着部に曲面を取り入れたフィレットを設けて、荒々しい岩盤とコンクリート人工面とがなじんだ景観とすること、ダム天端のパラペットは、打放しコンクリートではなく曲面仕上げのプレキャストを真っすぐに通し、照明も内蔵させ、それなりに景観を演出した。しかし予備ゲートの巻上機は天端に突出させたままだった。他のダムで、天端から上にはゲート巻上機も、エレベーターシャフトも突出させない設計にしているのを見ると、担当者の美意識が読み取れてうらやましくなる。
 佐藤さんが中国地建在任時に企画した祇園新道には、後年私が赴任したときかかわった。広島都心と郊外を結ぶ大動脈計画だが、都心部の新交通システムを、高架構造か地下構造かで、地元を巻き込み紛糾していた。広島城に合わせて石積みの高架案まで出されたが、「景観は地元の財産だから、地元の望む地下構造にしようよ」と担当者を説得して、お城の景観を守った。若い頃、佐藤さんに育てられた景観設計の心を引き継げたと、自負している。
 ある著名人が、故郷に架設されたループ橋を見て、「自然に働きかけて、新たな美を生み出す土木構造物は、書画、文芸に勝る壮大な文化資産だ」と、述懐されたことがある。土木技術の粋を尽くした構造物の景観に、感動されたのだと思う。
 土木は建築に比べて、デザインの面が劣っていると卑下する土木技術者がいる。本当にそうなのだろうか。どちらかというと景観を創造するという自己主張の強い建築の景観設計に対して、あくまで周囲の景観と共生しようとする土木の景観設計は、地域とともに長く生き続け、愛されるのではないか。またそうでなければならないと思う。

土木学会誌 2009.11

失敗から学んだこと

 「馬鹿ーッ、学校でちょっと教わったからって、わかった気になるんじゃないッ」満座の中で怒鳴られた。大学を卒業して、ダム工事事務所で2 ヶ月経った頃のこと。仮排水路トンネルの設計のため、水位流量グラフを描いていた。そこへ所長が部屋へ入ってきて、私の机上をのぞき込んだ。トンネル水路は水深が径以下の場合は開水路、径以上になると管水路の流量公式で算定する。水位が径付近で不連続のグラフになった。所長は「不連続のところは適当に滑らかに書いておけよ」と優しく教えてくれた。「適当に」を新人の私は「誤魔化して」と受け取ってしまって、生意気にも「理論的には違うんじゃないですか」と反論してしまった。すかさず「馬鹿ーッ」が落ちた。技術者人生最初の失敗だった。およそ公式には適用限界があり、限界付近では公式とは違う現象が起こるだろうという洞察力を持てという所長の真意だったのかも知れない。それを知るまでに、その後多くの経験と時間を要した。
 ダム技術者で2年経った頃。私が設計した付替道路の橋梁を受注したメーカーから電話がかかってきた。仮組み検査をしたが、座屈の心配があるという。大学で橋梁を専攻していた私は、当時ブームになったプレストレスコンクリートと鋼橋の設計を組み合わせて、プレストレスの鋼橋を設計した。所長は「ダムの安全にかかわることは、絶対許さないが、それ以外の道楽には付き合ってやろう」と許可してくれた。メーカー担当者は「鋼橋標準示方書は、プレストレスを予定していない基準だから、最小ウェブ厚や最大スティフナー間隔の規定は、そのままでは不足しているのではないか」と注意してくれた。技術の適用限界に対する考察力が不足していたのだ。そもそも圧縮荷重に強いコンクリート材の理論を、引張荷重に強い鉄材に応用しようとしたのだから、技術の基礎が根本的に間違っていたのだ。未熟者の生兵法が犯した大失敗だった。
 理学部長経験者から「工学部長から聞いたが、鉄道の車輪は理論式では設計できないそうだね」と、言われたことがある。土木工学と機械工学とは専門分野は違うが、実用に供するにあたって、理論式に頼るだけではなく、確実に安定的に機能を発揮できるかをとことん追及する点では、相通ずるものがあるのだろうと思った。
 工学は、理学が解明した理論式をただちに採用するのではなく、破壊実験、試運転などで検証したり、経験で補強しながら、安全率や、余裕を見込んで設計して、はじめて実用に供する。経験には、他人には言えないような馬鹿馬鹿しい失敗もあるが、失敗から学ぶことは多い。新人だから何とか見逃してもらえた苦い失敗からも有益な教訓を得た。
 この会長からのメッセージの稿は、次世代を担う土木技術者には参考に、熟練技術者には共感していただければ幸いとして記すことにする。

土木学会誌 2009.9


Last Updated:2015/06/12