視察参加者:計13名
随行者:計7名
矢作川では,9/12午前,岩津水位観測所においてピーク流量約4,300m3/sの既往最大の出水を記録した.第2回目の視察においては,今回の出水による矢作川流域における河道災害を中心とした被災状況の視察を行った.現地の案内は,建設省中部地方建設局,岐阜県恵那郡建設工事事務所,愛知県豊田土木事務所にお願いし,災害の概況及び当時の状況を含め,情報提供いただいた.さらに,旭町役場では,災害発生時のビデオを見せていただいた.ここに謝意を表す.以下,主として合同視察及びその前後の調査で得られた情報をもとにした被災状況の速報である.
9/11未明から降り始めた雨は,夜になって非常に激しくなり,12日の朝まで続いた.特に,上流部の槍ヶ入観測所では,最大時間雨量80mm,累計雨量600mmを記録した(図1).流域における累計雨量の等雨量線図を図2に示す.
図3に,高橋水位観測所(約41km地点)ならびに岩津水位観測所(約30km地点)における水位と流量の時系列変化を示す.ピーク流量は高橋水位観測所において約4,000m3/s,岩津水位観測所において約4,300m3/sと既往最大の流量を記録した.
図4は,矢作ダムにおける流入流量と放流流量の時系列変化を示す.ダム流入量は9/12 2:00から4:00にかけて急激に増加し,ピーク時には計画高水流量2,300m3/sを大きく上回る約3,200m3/sを記録し,異常洪水時の操作を行った(操作規定でいうところの但し書き放流).結果として,矢作ダムのピーク流量カットは約800m3/sであった.
今回の矢作川流域における災害は,既往最大級の出水という計画規模に迫る,あるいは地域によっては計画を大幅に上回る出水という特徴を有する.これを次に示す地域ごとに分けて,それぞれの地域での災害の状況を示す.
岩津水位観測所(約30km地点)における水位,流量時系列図(図2)を見てもわかるように,ピーク流量は既往最大を記録しているにもかかわらず,ピーク水位は計画高水位よりもかなり低いものとなっている.建設省豊橋工事事務所によれば,岩津地点における流量は既往最大であるものの水位は過去10位程度にとどまったとのことである.これは,明治用水頭首工より下流部における近年の激しい河床低下に起因して河道の疎通能力が上昇していたためと推定されている.
この地区では,古くより明治用水頭首工の上流に位置する「鵜の首」と呼ばれる狭窄部が治水上のネックとなっている.さらに,この地区では河床を玉石が覆っていて下流部に比べれば河床低下がそれほど顕著には進んでいない.
この地区では,41km付近右岸側において堤防天端まで約50cmのところまで水位が迫ったほか,42km付近右岸側では一部越水があり土嚢が積まれた.さらに,39km付近右岸側では,堤内地において噴砂,埋め込みカルバート式水路(安永川)の浮き上がりが生じた.左岸側では広範囲で越水による氾濫が生じた.これに伴い周辺住民9200世帯に避難勧告が出された.しかし幸いなことに,住宅の密集する領域での越水と破提という最悪の事態は避けられた.
矢作川に合流する支川のうち,約42km地点で合流する篭川においては,側岸侵食による大規模な破堤が生じた.周辺の果樹園を侵食して河道幅を大きく拡大したものの,周辺地盤が高く,大規模な氾濫は生じていない.破堤前に越流はないこと,破堤地点は護岸がない土堤状態であることから,湾曲部における外岸側の河床洗掘による側岸侵食の進行により破堤が生じたものと推定される.
この区間では,川が谷あいを流れ,川沿いの道路には山付きの護岸が施されている.今回の出水では,計画規模を大幅に上回る流量によって河道に沿った護岸,道路,民家に甚大な被害が生じた.藤沢町では,河道をあふれ出た濁水が道路沿いの集落に直撃したり,旭町では,河道沿いの低地に建設された幼稚園が河岸侵食によって流出,付近の小学校や体育館も濁水にさらされた.
矢作ダムでは,約110万m3の土砂が主としてダム湖流入部に堆積した.矢作ダム建設後約30年間における累計土砂堆積量は約400万m3であり,今回の出水で10年分に近い量の土砂が一度に堆積したことになる.堆積土砂は,約5mm程度以下の粒径の土砂が主で,シルトが3割程度混じるとのことである.
約4万m3という大量の流木も矢作ダム湖に流れ込んだ.これは,年平均流木流入量の約40倍に相当する.流木には放置された間伐材と生木の両方が含まれている.今後の流木の処置については,できるだけ捕獲して,肥料原料として再利用を図りたいとのことであった.
堆積土砂,流木の処置が緊急の課題となっている.
矢作ダムより上流部の地域では,土砂,流木,濁流が相乗して災害をひきおこしており,流域のなかでももっとも甚大な被害を受けた地域である.特に,上矢作町内の国道257号,418号は橋梁流失,道路欠壊が続出し,いくつかの集落が一時孤立状態となった.
豪雨による「沢抜け」と呼ばれる沢沿いの斜面の崩壊による大量の土砂と流木の流出,計画規模を大幅に上回って増水した濁流が河岸侵食によって川幅を普段の2倍以上に拡大させたことが,この地域での災害をもたらした.
2000.10.24作成