佐賀県神埼郡吉野ヶ里町
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所在 |
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 |
文化財等 |
選奨土木遺産 |
ランク |
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管理者 |
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福岡・佐賀藩境に位置する蛤岳からの水は、もともと福岡藩側、那珂川上流の大野川に流れていた。一方、佐賀藩側の田手川下流域では夏場の水不足が深刻化していた。鍋島藩家老成冨兵庫茂安は佐賀側に導水するため、大野川上流に井手(ため池)を築堤、そこから田手川上流の坂本川まで、蛤岳周囲に約1260mの水路を完成させた。これが蛤水道である。当初、蛤岳からの豊かな水量は、たとえ蛤水道ができても、福岡側の水稲の作付けには十分であると思われていたが、結局、大野川が枯れる事態となり、このとき、黒田藩側のお万という女性が抗議のため乳飲み子とともに井手に身を投げるという事件が起こった。その後、水路途中の4箇所に「乗越(のこし)」という横越流堰が設けられ、増水時には水勢をそぎ、余分な水を大野川に流す仕組みを造った。現在は昭和27年の改修によりコンクリート製となっている。毎年5月になると井手ほとりにある成冨兵庫記念碑の前で「兵庫祭」の祭事が行われている。