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九州の近代土木遺産

洗玉眼鏡橋(せんぎょくめがねばし)

福岡県八女市上陽町北川内689の3 付近
洗玉眼鏡橋
所在

福岡県八女市上陽町北川内689の3 付近

文化財等

上陽町指定重要文化財、選奨土木遺産

ランク B
管理者

八女市

洗玉眼鏡橋は、明治26年(1893)5月3日、熊本県矢部町の通潤橋(国指定重要文化財)を手掛けた橋本勘五郎が最後に架けた石橋と言われている。福岡県で最大級の石造アーチ橋である。

 アーチ要石には「肥後上益城矢部吹上兄弟橋、八代種山棟梁 橋本勘五郎、倅 源平、孫 為八」と刻まれており、通潤橋との構造的関係性や橋本勘五郎(当時70歳)が総監督として息子や孫と洗玉眼鏡橋を架設したことが推測できる。

 八女市上陽町の郷土史資料によれば、現在の洗玉眼鏡橋は2代目であり、初代は明治12年に橋本勘五郎(57歳)の指導監督の下、架設されているが、明治24年6月22日の大洪水により流失したと記されている。さらに2代目は、建設途中で崩落事故を起こしたと記されている。この2代目は、橋本勘五郎の弟子に当たる萩本卯作・橋本八十松が架設の任に当たったとも記されている。 

 昭和36年新橋(鋼橋)が架設され、洗玉眼鏡橋は解体撤去の計画であったが、地域住民の強い要望により文化財として保護されることとなった。(上陽町指定重要文化財)


アクセス

  • 八女市役所支所から県道52号線を800m東進、左手 に架かっています

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