1914(大正3)年、第一次世界大戦勃発による鉄鋼需要の激増に対処するため、八幡東部を貫く板櫃川の渓谷を堰止め、1919(大正8)年に工事着工、8年の歳月を費やし1927(昭和2)年3月に東洋一のダムとして竣工した。この貯水池を構成する(1)堰堤(2)河内5橋と呼ばれる道路橋群(3)水路橋及び歩道橋群(4)亜字池と呼ばれる暴気処理池(5)附属建屋群(6)水路の各設備に、北河内産の石を色々な形で適用している事や、橋・建物等のデザインに工夫を凝らし、一大野外芸術群を創出している。
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所在 |
福岡県北九州市八幡東区河内 |
文化財等 |
選奨土木遺産 |
ランク |
A |
管理者 |
北九州市 |
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貯水能力700万m
3、頂上長さ189m、頂上幅3.5m、最大底幅35.1m、堤高さ44.1m堰堤容量68,400m
3、前後面石積みの重力式含石コンクリート造り。温度荷重対策として、伸縮継手が堰堤縦断面方向に水平距離22.5mの間隔で6箇所設けられ、7ブロックに区分されている。継手面にはコンクリートブロックが積まれ、その一部に凹部を設け、漏水防止用の銅板が埋め込まれている。同時に他の空隙部には絶縁用塗料が充填されており、70余年を経た現在も、この継手からの漏水は認められていない完璧な構造である。工事は人力作業を主に進められ、延べ90万人と称される程膨大な数に昇ったが、殉職した人がいないという。まさに希有の事として称賛に値する土木事業であった。
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所在 |
福岡県北九州市八幡東区河内 |
文化財等 |
国登録有形文化財
選奨土木遺産 |
ランク |
A |
管理者 |
北九州市 |
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径間60m、幅員4.1mのレンチキュラートラス2連からなる鉄骨造の橋。通称は魚形橋または眼鏡橋と呼ばれている。橋脚と橋台はダムと同様に切石積みコンクリート橋である。