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赤尾木港の 岸岐と築島 |
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評価情報 |
【概要】赤尾木港は奈良時代から室町時代にかけて南海交通の要衝として利用されてきたが、周辺には岩礁が多く、冬場の季節風や台風によって船が難破する被害も起きていた。これに対応するために、1781(天明元)年に長さ三十間余り(約54m)の防波堤が築造された(築島)。その後、1862(文久2)年には対岸にも防波堤が築造され(岸岐)、築島も増築された。築島は間地積み、岸岐は巻石構造である。この巻石構造は明治期に鹿児島港第一防波堤にも用いられている手法で、藩内における石積技術の影響を示唆するものである。岸岐の完成と築島の増築は、当時種子島の当主であった島津道久の正室であった松寿院手が、道久の没後に島主となって手掛けたもので、河川改修、塩田開発と合わせた3大事業として伝えられている。2010(平成22)年3月9日市有形文化財(建造物)。 【変更点】岸岐と築島は複数回の複数回の補修や変更を受けているが、その詳細な履歴は今のところ不明である。赤尾木港(現西之表港)に関しては先述の築島の増築のほか、1924(大正13)年に西之表港第一期修築工事、1932(昭和7)年:西之表港第二期修築工事が実施されている。 所有者・管理者:西之表市(管理)、鹿児島県(所有) 参考文献:1)鹿児島県土木課:『鹿児島県維新前土木史』、1934年 2)北俊夫監修:『郷土の発展につくした先人@開発』、 偕成社、2021年 3)鹿児島県建設技術センター:『鹿児島県土木史年表(明治以降)』、2017 |
(写真) |
赤尾木港全景(左:築島、右:岸岐) |
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築島 |
岸岐 |