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横瀬二連水路橋 |
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評価情報 |
【はじめに】大分明治水路は明治33年に幹線水路が完成した。由布市挾間町から大分市皆春・三佐を結ぶ30kmに及ぶ灌漑水路である。図1に示す横瀬二連水路橋は、この明治大分水路の20区に分割されたなかの3区目に架橋された二連アーチ水路橋である。その位置は図2に示すように大分市中心部から南東方向に約8kmの由布市との境近くである。明治大分水路は大分県内に数多く開削された井路の中でも最後に開削されたものであることから、道路を渡るサイホンや長大な水路トンネルなどの当時の最新技術が使用されている。横瀬二連水路橋は、その中でも最も規模の大きな施設であり明治大分水路の技術的なシンボルとなっている。日本の近代土木遺産(土木学会編)では第三区明治大分水路橋という名称でBランクに位置づけられており、『橋上が階段状(6段)になった特異な構造』というコメントが記されている。 この水路橋の重厚な意匠を地域資源として活用しようと全景を見渡せる広場が整備されたが、その後の整備がなされずに現在では藪に覆われている。水路の受益者も減少傾向にあり管理組合はメンテナンスに苦慮している様子があるが、それでも定期的な清掃と通水記念日の祭事が行われている。 【名称表記】日本の近代土木遺産(土木学会編)では『第三区 明治大分水路橋』、大分の石橋探訪(岡崎文雄著)では『明治大分水路第三区水路橋』と記されるなど、文献によって呼称が一定していない。管理者である明治大分水路土地改良区に確認したところ、『幹線水路 横瀬二連水路橋』が同区としての呼称であるとのことから、本稿ではこの名称を使用する。 【諸元】横瀬二連水路橋の諸元は以下の通りである。 橋長:32.2m 径間:7.5m(2連)、橋幅:4.7m また2つのアーチの間隔は約8mあり、図1に示すように2つのアーチの間には土台状の構造物がある。この構造物によって横瀬二連水路橋は2連アーチと言うより2つの単アーチ橋が連続して架橋されているような構造となっている。このような構造になった理由は不明である。左岸側のアーチのみ下に小河川が流れており、右岸側のアーチの付近は地盤がマウンド状に盛り上がっている。 【架橋の経緯】横瀬二連水路橋の経緯は複雑であるが、詳細な記録はほとんど残っていない。同橋に関する時系列を以下に示す。 明治33年 幹線水路竣工 明治37年 左岸側竣工 明治39年 右岸側竣工 幹線水路の竣工年は明治大分水路土地改良区が発行した文献で、左岸と右岸の竣工年は図3,図4のように扁額から確認をしている。現在は橋全体が草木に覆われて扁額は不明瞭なので、岡崎の文献を参考にしている。 以上のことから以下の2点の疑問が生じる。 ・幹線水路竣工後に水路橋が完成している ・右岸と左岸のアーチの竣工年が異なる 右岸と左岸のアーチの竣工年が異なることについては岡崎が指摘をしているが、その理由は不明とされている。幹線水路の完成後に水路橋が完成したことにも含めて改めて管理者に問い合わせてみたが、その理由は不明であり資料も残っていないとのことであった。また河川が流れていない右岸側は盛り土で十分なのにアーチ橋として架橋されている理由も不明である。以下は推薦者による考察である。 幹線水路竣工後に水路橋が完成した理由 限られた工事費で可能な限り早く幹線水路を完成させて受益者に給水をする必要があった。そのため難工事で費用もかかる横瀬二連水路橋の施工は後回しにされた。横瀬二連水路橋の完成までは谷の上流部に水路を迂回して仮設の木橋などで水を渡していたと考えられる。 右岸と左岸のアーチの竣工年が異なる理由 工事費の制約から河川が通っている左岸を先に着工して、予算が確保でき次第右岸の施工にとりかかった。または当初は左岸のみをアーチとして河川が流れない右岸は盛り土にする予定だったが予算の確保や意匠への拘りなどの理由によって途中で右岸もアーチとして施工されたと考えられる。いずれにしても、前述したように横瀬二連水路橋は2連アーチ橋であるが構造的には単アーチが連続して架橋されたような特異な構造となっている。 以上の推察は、少ない情報の中で推薦者が考えた理由であり橋梁工学の専門家などの知見が得られれば、これらの疑問の正解に近いものが得られるかもしれない。 【推薦の理由】 ・多くの井路が開削された大分県の中でも明治大分水路は比較的新しい時代のものであり、成熟した伝統的な工法が用いられている。その中でも横瀬二連水路橋は最大規模で明治大分水路のシンボルとなり得る構造物である。 ・すでに日本の近代土木遺産(土木学会編)においてBランクに位置づけられている。 ・左右のアーチの間に橋台のような構造物を有するという独特の構造をしている。 ・左右のアーチを別々に建造するという特殊な施工方法を採用している。 ・横瀬二連水路橋を大切に使用しており同橋が選奨土木遺産に認定されればアクセスの改善などにより地域資源としての活用が望める。 ・減反や米価の下落により明治大分水路の受益者は減少していることから管理者の財政は厳しくなっており、選奨土木遺産の認定によって保全しなければ低コストの施設に改修されてしまう恐れがある。 以上のような理由から明治大分水路の第三区に位置する横瀬二連水路橋を選奨土木遺産として推薦します。 所有者・管理者:明治大分水路土地改良区 参考文献:土木学会編:日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2800選- 岡崎文雄:大分の石橋探訪, オオイタデジタルブック,vol.28 大分市, pp14-15, 2007 |
(写真) |
横瀬二連水路橋の下流側から見た全景 |
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架橋直後の横瀬二連水路橋(撮影時期不明) |
橋上の水路下流側の隧道 |