日時:2000.4.18 14:00〜16:30
場所:都市センターホテル
午後2時 開会
○司会 定刻となりましたので、ただいまより「21世紀の社会基盤整備のあり方に関するシンポジウム」を開催いたします。
まず最初に、土木学会会長で、21世紀における社会基盤整備ビジョン並びに情報発信に関する検討特別委員会の委員長であられます岡村甫高知工科大学副学長より、基調報告をお願いしたいと思います。
それでは、岡村会長、お願いいたします。
土木学会会長・高知工科大学副学長
私が土木学会会長に就任すると軌を一にして、社会基盤整備ビジョン特別委員会「望ましい社会基盤整備に向けて」を設けていただきました。その1年間の締めくくりが本日のシンポジウムです。この特別委員会の目的は、21世紀に望まれる人々の暮らし方、住まい方と、これを支える社会基盤整備の方向を探るということです。また、この委員会の特徴として、広く社会の意見に耳を傾けるとともに、土木技術者として社会に情報を発信するということです。
この委員会では、昨年の7月に第1回の委員会を開催し、主として大都市と地方の問題に関して、その論点あるいはその論点に対するさまざまな考え方を議論していただきました。第2回の委員会を昨年の12月に開き、来るべき21世紀の社会像「我々がどのように暮らし、どのように働いているか」を念頭に置いて、それを望ましい方向に向けるには、社会基盤整備をどのようにすればよいかについての議論をいただきました。
そして、これら2つの委員会でのご意見を取り入れて、幹事会の方で、本日お手元にあります冊子「望ましい社会基盤整備に向けて」をつくることができました。その内容を簡単に紹介をさせていただきます。
結論の1つは、この指針を提案し、今後土木学会会員に働きかけていきたいということです。
第1点は、将来の人々にとって望ましいものをつくることが、本来の土木技術者の使命であることを再確認することです。社会基盤整備には長い時間がかかります。短くても10年、長ければ20年、30年とかかります。そして、でき上がった時以降に役立つことが重要です。そのためには、20年後あるいは30年後の社会を予測する必要があります。それを確認をしたということです。
2点目は、我々土木技術者は、ともすると専門領域に深くかかわるために、社会システム全般についての問題に対しては、発言を控えてきたといえます。将来の人々にとって望ましいものをつくるためには、社会システム全般について十分な理解と知識がなければいけないということを確認したいということです。
3点目は、そのように社会と密接な関係がある専門家集団として、我々が持っている専門的な知識、情報を多くの人に知っていただく必要があり、積極的に発信していきたいということです。吉野川の河口堰その他多くの問題についても、専門家として情報を発信し、合意形成の一助となるように、我々としての責務を果たしていきたいということです。
近未来の社会像をどう描くかということによって、社会基盤整備のあり方が変わってきますので、近未来に予想される社会現象と、それに対する社会基盤整備の課題について整理しました。
確実に予想されますのが、我が国の人口減少と高齢化社会の到来です。西暦2007年に我が国の人口はピークになり、2050年には現在の約80%になると予測されております。また、65歳以上の高齢者の人口比率は、現在16%ですが、2050年には32%になると予測されています。少子化も進むと予想されています。14歳以下の人口比率は2050年でも13%と現在の15%とあまり変わりはないのですが、人口そのものが80%になりますので、14歳以下の人口は現在の70%になるということになります。その他、世帯が小さくなる、あるいは農業人口が急激に減少していくということもほぼ確実だと思われます。
高度情報通信社会の到来、これも間違いのないことだと思います。就業形態、あるいはライフスタイルの変化、市場構造や産業構造の変化、等を考慮した社会基盤整備が必要であるということになります。
グローバル社会、これも加速されることはほぼ確実だといえます。産業や経済のグローバル化、あるいはいろんな国の人々がまじり合っていく、そういった社会が到来することはまず間違いがありません。自己責任社会あるいは成熟社会といったことも予測されます。
人口集中と過疎化社会が共存して進むということも間違いのないことだといえます。大都市圏でいえば、昼と夜の人口格差が拡大し、交通渋滞は深刻化し、住宅や生活基盤施設の老朽化が進んでまいります。そして、都市防災上の問題も、このままであれば深刻化をしていくということが予測されます。
また、大都市圏の周辺部では高齢者が、先ほど申し上げましたように、現在の2倍に増加するということになります。もちろん元気な高齢者がふえるということでございます。地方では、人材の流出が戦後、現在まで連続的に起こっておりますが、もしこれが続けば、地方から人材が枯渇してまいります。それが地方の衰退に進み、日本全体の足かせになるおそれがあります。地方の非都市圏では過疎化が進行しております。
以上のようなことが社会現象として予測されますが、それに対して、これからどういう社会基盤整備をすれば、より望ましい方向に向かうことができるかということについて検討してまいりました。
ここに書いてありますのは、キーワードと見ていただければよろしいかと思います。
我が国は、明治以降の近代化の流れの中で、鉄道の全国ネットワーク化を完成しました。そして、第2次大戦以後は、新幹線、高速道路、国際空港、国際港湾といった国土の幹線交通ネットワークを急速に整備してまいりました。まずは、これら相互のスムーズな連携、ハード面の接続・連携に加え、情報面での接続・連携、を配慮した社会基盤整備を行うのが効率的ではないかということです。
豊かな環境との共生システムとか、循環型システム、統合システム、あるいはユニバーサルデザインシステムというキーワードがこれからの社会基盤整備に重要な意味を持つことを確認しました。
行政サービスの単位を、地域連携ネットワーク生活圏と広域行政圏の二つにすることが将来の方向であると思われます。地域連携ネットワーク生活圏は医療とか介護、初等中等教育、あるいは消防、等日常生活の基本単位のサービスを提供する単位であり、広域行政圏は空港とか港湾、あるいは大きな病院、大学、高規格幹線道路、等の整備をする行政単位と整理できます。
地域連携ネットワーク生活圏については、文書の方をごらんいただければと思います。
広域行政圏は、自律的な経済圏、これは受益と負担のバランスができる範囲の経済圏ということです。産業基盤とか空港、港湾、大病院、大学あるいは地域の生活圏を結ぶ交通ネットワークの最適配置、そういったものを考え、実施していく行政圏。そこでは海外とのやりとりとか、空港、港湾等の施設の適正配置と高規格幹線道路網の接続、そういったものもやっていく。あるいはこういった広域行政圏の中枢機能を担う中核都市では、ストックを有効利用して整備すると共に、各広域圏の個性が輝く情報発信基地としたいということです。
首都圏については、首都としてあるいは国際都市としての機能を発揮できる社会基盤整備が必要です。
社会基盤整備のあり方については、社会的合意形成、決定プロセスの明確化・透明化、継続的な事業評価、効率化、多様性の考慮、システム性の考慮、リスクマネジメントの考慮、持続的社会づくりの支援、などがごくありきたりですが、重要なキーワードといえます。
以上で、全体の簡単な紹介をおえますが、ここで、1つだけ、つけ加えたいことがあります。渋滞緩和、環状道路、鉄道の立体交差化、などが現在の首都圏にとって必要な社会基盤整備です。人口や産業構造が急激に変化していくと、50年後にこれらが必要かどうかは明確でありません。しかし、この状態で置いておくと、今から20年ぐらいは大きなマイナスを日本全体に与えることも事実です。逆にいいますと、これから5年ないし10年ぐらいで一気にやらない限り、むしろやらない方がいいという意見があり得るということです。30年経ってもまだつながらない道路をさらに50年かけてつなげる努力をするのが良いかという視点です。
パネルディスカッションのための背景をお話しました。ご静聴ありがとうございました。(拍手)
○司会 岡村会長、どうもありがとうございます。
それでは、ここでパネルディスカッションの準備のため休憩をとりたいと存じます。
パネルディスカッションは2時30分、今から7分後より開始させていただきます。
◆コーディネーター
岡村 甫(土木学会会長・高知工科大学副学長)
◆パネラー(順不同)
清原政忠(朝日新聞社政治部記者)
黒田あゆみ(日本放送協会アナウンサー)
藤田忠夫(宇部市長)
橋本大二郎(高知県知事)
竹内佐和子(東京大学助教授)
午後2時40分
○司会 それでは、ただいまよりパネルディスカッションを開始させていただきます。
まず初めに、パネラーの方のご紹介をさせていただきます。
皆様方の向かって右手より、朝日新聞社政治部記者の清原政忠様。(拍手)日本放送協会アナウンサーの黒田あゆみ様。(拍手)宇部市長の藤田忠夫様。(拍手)高知県知事の橋本大二郎様。(拍手)東京大学助教授の竹内佐和子様。(拍手)
それでは、岡村会長、よろしくお願いいたします。
○岡村 第1回の委員会で、橋本知事は、大都市と地方の対立の構図を築かないためにも、バランスのとれた議論が必要であると指摘されました。本日のパネルディスカッションは、ぜひそのようなバランスのとれた議論の場としたいと願っております。
情報ネットワークを利用して、サービスの効率化を図る、また、地域格差を少なくすることは当然やるべきことです。しかし、情報ネットワークですべてができるということではないのは当然ですが、できないものがあるとすれば何か、それをどうしたらいいかという点についてご議論をいただきたいと思います。
情報ネットワークの積極的利用を高知県で実践しておられる橋本知事から口火を切っていただきたいと思います。
○橋本 今のお話にもございましたように、情報のネットワークですべてのことが解決できるわけではもちろんございませんが、これからの時代には欠かせない1つの手段だろうと思います。という意味で、情報ネットワーク、情報化というのは、これからの時代の必要条件ではあるけれども、すべてのことに十分こたえられる条件ではないということがいえるんじゃないかと思います。
じゃ、何の部分が足りないかということですが、情報化のメリット、特徴は何かということを考えれば、それは距離の壁をなくしてしまうということです。例えば、今私たち東京におりますが、大阪の人と話をしようと思ったとき、何の情報化の手段も持たなければ、大阪まで行って直接会わない限り話はできないことになりますが、電話を初めいろんな情報化の道具があるために、東京にいて大阪の人と話ができる。つまり、東京と大阪の距離の壁がなくなってしまうというのが、情報化の最大のメリットであり、特徴であろうと思います。
ということは、こうして人と人が会わないで済むようなことは、距離の壁を取り除くという意味で、情報化が果たす役割は多いわけですけれども、人や物が直接動いていかないとどうにもならない、または、人が直接会った方がよりよい結果が得られるという場合が、情報化だけでは足りない、そういう条件ではないかと思います。人が動かなきゃいけない、物が動かなきゃいけないというのは、単純な言葉でいえば、交通であり、物流であるわけです。
ですから、そういう意味で、この土木学会に関係があるということでいえば、先ほどの岡村先生のお話にあったような陸海空の社会基盤の整備というのは、一方でどうしても必要なネットワーク整備であろうと思います。ただ、そのことを考えるときにも、例えば交通であれば、ITSという言葉があり、物流であれば、EDIという言葉があるように、情報化のネットワークの活用というのは、人や物が動いていかなきゃいけない、そういう分野でもどうしても必要な条件になってきております。
例えば、ディマンドバスという交通の新しい手段でいえば、電話とかFAXというものからGISという仕組みに至るまで、情報化ということを抜きに語れない、そんな時代ではないかと思います。
もう1つの人と人が直接会った方がよりよい結果が得られるというのを、先ほどの社会基盤の整備、公共事業ということに照らして考えてみますと、今公共事業に対していろんな風圧、批判があります。その批判は何かを考えてみますと、何も知らないうちにいろんな計画が進められて、知らないうちにこんなものができてしまった。なぜこういうものができたんだろう。どうせつくるのであれば、一声聞いてくれれば、こういうふうにしてほしかった、また、こんなものもやってほしかったという思いが積もり積もって、公共事業にはむだが多いというご批判になっているのではないかと思います。
つまり、何が足りないかというと、情報公開と、その情報に基づく説明責任というものが達せられていない、そこに大きな問題があろうと思います。先ほど岡村先生のお話の中に吉野川の河口堰のお話も出ました。そのよしあしの問題ではなくて、何が欠けているかというと、説明責任の部分が十分なされていないんだろう。隣の県のことですから、いいにくいですけれども、そういうことを私自身は感じております。
その情報公開、説明責任をしていくときに、情報公開の部分は、いろんな情報をデータベース化し、それをネットワークの中に載っけて、端末から直接引き出してもらうという形で情報のネットワークを使って、必要十分の結果を出すことができます。
しかし、説明責任の部分は、情報化だけではどうしてもできない部分だろうと思いますし、これまで役所の力だけでもなかなかやり得なかった分野ではないかと思うと、私はこの部分が、今後情報化というものを補っていく面で大変大きな意味合いを持つのではないかと思いますし、先ほど実は控室で竹内先生とお話をしていて、竹内先生のところで地域プランナーを目指す学生さんがいっぱいいる、何か働き場所が地方にないだろうかというお話を承ったときに、即座に自分も思い浮かべたんですけれども、そういう情報公開の生のデータを処理していって、住民なりいろんな産業の方に必要な情報として加工して、それを商品としてお渡しをしていくとか、また行政の側から、何か河川の改修工事をする、それにかかわる情報はこれだけです、データはこれだけですというものを全部もらって、それを加工していって住民の方にわかりやすく説明するにはどうするかということを教えていく、またはその係をしていくということは、今後新しいビジネスとしても、また本来あるべき姿としては、NPOとしてそういうものが出てくるのがいいと思いますが、必ずそれぞれの地域に必要なものではないかと思います。
コーディネーター、仲介者、プランナー、いろんな表現があると思いますが、そういう人が出てくることが、情報化を内容のあるものにしていく1つの大きな条件ではないか。情報化だけでできないということはそんなことなんではないかと私は思っております。
○岡村 どうもありがとうございました。大変重要なサゼスチョンをいただいたと思います。この問題について、自由討論をパネラーの方にお願いします。
○竹内 情報化については、世界的に見ると、大きく2つのディマンドが動いていると思います。1つは、時間の節約ができるとか、画面を通じていろんな情報が得られるという意味では非常に便利なものだという認識が一方では進んでいると思います。ただ、これはある面では、すべてのことが画面の中で完結してしまう、そういうデメリットがありまして、画面か数字か、どっちかで判断するという1つの思考パターンをつくっていくという面があります。
他方で、豊かな地域とか、生活の豊かさ、そういう視点から見ると、むしろ情報化ではないものを目指している地域もあると思います。それは自分たちの地域の文化とか建物とか景色、環境、快適さみたいなものをもっと新たにつくり出して、それを売り出そうという意識です。そこに住んでいる人でないとわからない感受性や、物事に感動する心みたいなものがもっと必要で、それは情報化だけでは伝わりにくい部分がある。
こういうことを考えていくと、豊かさの一方の軸には情報化みたいなものがあって、「つなぐ」という作業がある。他方でもう1つ、情報を生み出す作業として、もっと現場に根差した発想が強くなり、現場の判断を活用できるインフラをつくっていくことがどうしても必要ではないか。
もう1つは、最後におっしゃったインターミディエーションの話ですが、仲介機能ということ。ここがやはり一番新しいものになっていく。つまり、情報化というのは、流通でいきますと、中抜きといいまして、余計なものをとる作用がある。生産者と消費者がダイレクトに取引をする、そういうことを意味しているわけですから、究極的にいえば、一部の官庁も要らなくなるということもある。他方でもう1つ新しい動きとして、新しいインターミディエーション、新しい仲介機能が逆に求められているということもあります。
これは逆にいろんな地域を水平的に結んだり、あるいは情報をわかりやすく加工したり、そういう従来の仲介ではなくて、新しい仲介機能、つまり消費者の側に立って、使い勝手のいいものをつくる、あるいはユーザーの立場に立った新しい仲介機能、そういう分野で、新しい仲介機能をつくるために情報化という軸が非常に面白いかと思います。
○清原 情報公開というのは流れとしてはこれからずっと定着していくと思うんですけれども、竹内先生の話でいえば、仲介する機能というのも、10年後、20年後を見通せばかなり充実したものになっていくんじゃないかと思うんです。もう1つの側面で、高度情報化社会というのは、人間が情報に振り回されるおそれもある社会じゃないかと思っているんです。竹内先生がおっしゃった仲介者の機能がうまく自分たちの必要な情報を仕分けてくれればいいんだけれども、そこにある一定の意図が働いて、コントロールされちゃうとかいうことも押さえておかなきゃならない側面じゃないかと思っているものですから、このシンポジウムがどれくらい先のことを想定して話すのかによっても違ってくるんですけれども……。
○岡村 とりあえず20年ぐらい。
○清原 そうすると、まだそこらあたりはそんなに心配しなくてもいいんじゃないかなとは思うんですけれど。
○岡村 仲介者は現在マスコミではないでしょうか。マスコミが一手販売している。
○清原 それは僕なんかも常に、記事を書いていて、なるべく公平、中立にと思うんですけれども、時間の制約もありますから、足りない部分があるなと思いながら、どうしても日々の作業に追われちゃうというところもあるんです。普通の人たちにとっても、あふれるばかりの情報をどういうふうにより分けて、自分に必要な情報あるいは真実の情報にアプローチして行くのか。じゃ、おまえいい知恵があるかといわれると困るんですが、そういうのを考えなくてはいけないなと思いました。
○岡村 多分、それが橋本さんあるいは竹内さんが提案されている、土木技術者の個人が専門性を持って、いろんなところでそういうインタープリターをやっていく必要があるということではないでしょか。そのために高度な専門知識を持ち、かつ市民とプランナーとの間をきちっとした形でつなげることができる仲介者がいる。それが土木技術者の1つの役目ではないかというご提案のように拝聴しました。
○橋本 土木だけではなくて、何の分野でもこれから出てくるだろうと思うんです。公共事業や何かは情報公開とか説明責任が一番わかりやすい分野なので、こういう分野でノウハウを確立したらいいと思いますけれども、あわせて、この4月から始まっている介護保険などをどうやって進めていくかということも、これも、私は、先ほど竹内先生のいわれたインターミディエーターが必要な分野だろうと思いますし、そういう分野がこれからいっぱい出てくるだろうと思います。
今清原さんがいわれたように、ある意図で動いていく可能性は絶えずあるわけです。これをどうやって排除していくかという意味で、先ほどNPOということをいったんですけれども、NPO的な団体ができていって、それがインターミディエーターの役割を果たして、1年、2年と実績を積み重ねるうちにいろんなノウハウを身につけて、それを1つのインターミディエーターの技法、手法というものを技術まで高めて、それが土木だけじゃなくて、介護保険なり、ほかの分野でも何にでも使っていけるような仕組みをつくっていくことが、人間がこれから考えていかなきゃいけない知恵じゃないかと僕は思います。
○岡村 今介護サービスの話が出ましたが、情報化といいますか、情報でできない1つの例として介護サービスが考えられます。また、設備としても介護施設のようなものが必要ですし、また、介護施設の建設とか運営にはお金も必要になります。したがいまして、むやみやたらとたくさんつくるわけにもいかないという問題もあります。人口に対して、介護施設その他そういう介護サービスを提供する場の大きさ、広がり、そういった単位はどの程度がいいかという問題。あるいは情報だけでごみ処理はできない。とすると、そういうサービスが必要になります。先ほど前半に話しましたが、その単位についてのご議論をお願いしたいと思います。
第2回の委員会で、空間経営的手法の必要性を竹内さんが説かれましたので、まず竹内さんから発言をいただければと思います。
○竹内 今サービスということをおっしゃっていただいたので、設備とサービスという両方の面から考える必要があると思います。数字的にいえば、日本の高齢世帯のパーセンテージは、65歳以上の人が4人に1人、25%といわれている。地方に行きますと、この比率がさらに高くなりまして、3割とか4割というところもありますので、3人に1人ぐらいということになります。
3人に1人の方がすべて介護を必要とするわけではなくて、そのうち重介護が必要な方、動ける方、在宅でいい方、それ以外に、とっても快適なところに共同で住みたい、私財をなげうっても、共同サービスのあるところに移りたいなど、いろんなニーズがある。したがって、数字的にいえば、介護を必要とする人が1%と考えれば、100 人に1人、その倍々で考えていけば、大体施設数は出るわけですが、事はそう簡単ではなくて、そこにどういう地理的な条件があるか。山があったり、川があったり、谷があったりというバリアも影響する。地理的に離れている場合には、共同住宅に移り住んだほうがサービスはしやすい。他方都会では人はたくさんいのですが、お互いの連絡をしてないので、近いところに住んでいても、協力度は低い集団やコミュニティがたくさんある。
逆に地方に行くと、昔からの市町村の長老体制みたいなのがあって、みんな顔は知っていて、助け合いの精神は十分ある。しかし、ほかに目を向ける力がないとか、いろんな条件が重なってきます。そこで問題は、都会の例えば助け合いの精神がないようなところにおいては、空間を共有している人々の共通の価値観みたいなものをつくり出すという1つの仕事が必要になりますし、田舎においては、山を越えたところとかでは、中核都市とどう連係プレーをとるかといった組織的な戦略が必要です。クローズドな市町村ではなくて、オープンな市町村の形をつくっていく必要があるわけです。
ただし、それが市町村合併とか、行政的な仕組みをくっつけるのは難しいものですから、私としてはサービス契約世帯という数で決めていく、つまり、あくまでも公共サービス経営主体としては、市町村とは別のものをつくり出して、市町村の壁を越えて、自由にサービスセンターを選べるという条件が必要だと思います。
それから、できれば、都市から移住してきた方も、サービス契約世帯になれるという条件。経営的に成り立つかどうかということについていえば、収入は、介護保険だけの収入に頼らず、選択肢による収入を得られるようなサービス体系を組んでいく。つまり、ミニマムサービスがいいのか、あるいは選択性のサービスがいいのかという、まさに経営的なセンスで事業母体を経営していく方法が必要だと思います。 したがって、ある面では税金で整備するという発想と、もう1つは利用料金でサービスを運営していくという2つのやり方が必要だと思うんです。
どうしてこういうことをいうかといいますと、今高齢者の財産というか、資産状況を見ますと、資産格差が拡大し、平均的なサービスを求める方と、かなり格差があるものを求める方が物すごく分かれているわけです。
勤労世帯はあまり収入の格差が出ないのですが、高齢世帯になりますと、かなり出てくる場合もあります。それから、地域によってもかなり差が出てくる。地方講演で小さな町に行っても、大体1億円ぐらい資産をお持ちの社長さんがたくさんいるんですね。何かお金を使うことありますかといったら、全然ない、余るばかりだとおっしゃる。(笑)だから、平均値で高齢者をグルーピングするのは、施設運営上問題がある。
ビジネスの面からもこういう分野に進出していけるようなサービス契約、そういう発想と、建設費をどういうふうに抑えるかみたいな話を同時に考えていくことが必要だと思います。
○岡村 この問題については、行政の方は今大変苦労されていると思うのですが。
○藤田 17万5000人の都市の市長をしております藤田でございますが、介護保険がとりあえず始まりました。ただいまいろんなご指摘がありましたけれども、それとは別にもう始まっちゃいました。ただ、大変心配しておりましたけれども、私の方は大変順調なすべり出しになっております。といいますのも、市の保健婦さん、20人ちょっとぐらいおいでになりますが、もう5年ぐらい前から医師会と連携をとりながら対応してきているものですから、例えば、入院した人が退院したときに、あと医師会のお医者さんと連携して、ずっとフォローしていくという体制をとってきたものですから、大変順調にやっております。 そういう意味で、当面は当面として、これからおっしゃるようなビジネスの問題とかそういうことは出てくるんじゃないかと思います。
介護保険そのものが、民間の企業も含めた選択の自由といいますか、そういう世界に入っていきますので、おっしゃるようなビジネスとしては完全に成り立つような方向に持っていかなきゃいかぬのじゃないかと思います。
もう1つ、宇部の17万5000ぐらいの都市ですと、今ご指摘ありました、親戚とかご近所づき合いとか、そういうのが結構まだ残っているものですから、これから在宅介護をしっかりやっていくという面になりますと、そういう地域コミュニティーをいかにしっかりつくっていくかということが大変重要になってくるんじゃないかと思います。
そういう意味では、東京、首都圏あたりは、よそから来た人が多く、隣は何をする人ぞという社会ですと、なかなか難しいのかなという気はしております。
そんな状況であります。
○岡村 都市は難しい。村の方は難しくないでしょうか。
○藤田 村の方は今どうですか。私の隣の小野田市というところもありますが、そこも単独でやっていまして、小さい町村ですと、2〜3の町村が連携して、今回の介護保険に取り組んでいますので、特段、それで困ったというふうには伺ってないですね。
○橋本 今、市町村の壁を越えて自由にサービスをというお話がございましたが、介護保険はそれができる制度です。ですから、小さな町村の中では、福祉の方はどうにかできますけれども、医療のサービスがなかなかできない地域がありますので、その医療のサービスを受けるために、それぞれの地域の都市部に人口移動が起きるのではないかという心配の声があります。まだ始まったばかりですから、わかりません。
実は、国の深謀遠慮で、そういうことを起こさせて、市町村合併を進めるための制度が介護保険ではないかとうがった見方をする方もいます。それぐらい介護保険は、サービスとしてはいろんなところのサービスが活用できる制度になっておりますから、四国の中でも、県境でまたがっているところ、ほかの県の自治体の施設を使ったり、サービスを使ったりという乗り入れが幾らも起きております。ですから、国の深謀遠慮があるかどうかわかりませんけれども、市町村の壁を越えていろんなことを考える大きなきっかけになるだろうと思います。
それから、介護保険だけでなくて、プラスアルファのサービスをというのはおっしゃるとおりなんですが、これが都市部であれば、または先ほどの資産格差の中で、資産のある方々がかなりいらっしゃるという状況が、マーケットとしてある場合には、これはまず間違いなく成り立つと思います。
それから、ニーズとしては、介護保険が始まったために、これまで受けられていた、例えばデイサービスなど、デイサービスは元気なお年寄りが集まって体の弱ったお年寄りと一緒に、ワイワイガヤガヤやる場所でしたけれども、介護保険の制度になって、介護認定を受けない限りは、これが行けなくなりました。ある意味では元気なお年寄りの健康づくりのためのサービスをどうしていくか。これから大変重要な課題だと思いますし、ニーズもあります。
これを新しくまた料金も払ってくださいねというときに、それは意識の問題もあり、財政上の問題もあって、今は地域ではまだそういうお金がいただけない状況でしょうから、税金でやっていかなきゃいけない状況だと思います。国では、10年度、11年度と2次補正、3次補正でそういうお金をつけてきておりますし、多分介護保険が始まってからしばらくはそういうことになるでしょうけれども、それがやがて、自分たちがサービス料の何がしかを負担してでも受けようという社会になっていくかどうかというのが、大きなポイントではないかと思います。
高齢者の資産の問題も、確かに資産格差の問題もありますし、地方の場合に、1号保険料の軽減の話が国でもいろいろ出ました。今も半年間取らず、次も2分の1という制度になっているわけですけれども、この1号保険料、平均二千何百円というものを払っていくのが、確かに負担になるという方がおられるわけですけれども、老齢福祉年金のわずかなお金をもらっているフローの現状はありますけれども、ストックで見た場合に、一定の土地を持っていらっしゃる方は地方にいっぱいいるわけです。土地の資産評価をどうしていくかというのは、今後こういうフローの所得の中で料金を考えていくかどうかということを突き詰めていったとき、大変大きな問題だろうと思うんです。
本当は、こういう不動産価値がモーゲージ化されて、そのモーゲージをまた使って一定のサービスを受けるという時代になればいいですけれども、日本の意識、特に地方の意識はそうではありませんので、資産という面ではそういう問題点もあるのではないか。きょうの話題とは外れるかもしれませんけれども、そんなことを感じます。
○岡村 先ほど藤田市長からは、介護とかリサイクル、そういったことを考えると、地域コミュニティーでは助け合いでうまくいくんだろうけれども、大都市周辺では必ずしもうまくいかないのではないかというご指摘がありましたが、そういったコミュニティー、共通の意識、そういったものについて、NHKの取材でいろんな地域の実態に接しておられ、また現在BS放送の「21世紀に残したい日本の風景」を担当しておられる黒田さんに、その辺のことについてお話をお願いします。
○黒田 大都市圏のことを考えてみますと、神戸の震災から丸5年たっておりますが、あそこはもちろん大都市です。その大都市の中でも古くから居住している人が多い地域で、そこで震災によって何がなくなり、何が復興、再建されたかということを考えたら、ハードの面はかなり復興しています。一番壊れてしまったものは何なのかというと、住宅、もちろん人の命、それはそうだけれども、そうじゃなくて、それ以上に、今までのガラッと戸をあけて「元気にしている?」という隣近所の、特に在宅の高齢者に多かったんでしょうけれども、縁側越し、あるいはガラッと戸をあけての支え合いというか、そういうものが壊れてしまったことが一番悲しいということでした。
新しい市営住宅、私たちが外から見れば、こんなにきれいな住宅になって、便利で暖かくていいわねと、単純に考えれば、そういう住宅はできた。けれども、心のつながりは切れてしまった。みんなそれぞれ知人を頼って行ったとか、復興しても、前のつながり、コミュニティーにはならなかったということを聞きますと、大都市圏においても、今転勤族が多いですから、そこを愛して、最終的に住もうと決意した中から、だんだん醸成されてくる人と人とのつながり、それを存続させながら、都市なり地方の社会基盤を整備していくかということが私はこれから大切なことだと思うんです。
「日本に残したい風景」、これは通年で放送されるBSの番組で、これから四季折々、各地域、きょういらっしゃっている皆さんの地域でも、それぞれ、この人だれだろうという人が出てきて、「私の残したい風景はこれです。隣の家の庭です」とか、挙げて頂く番組です。その中で、非常に印象に残ったのが、能登あるいは四国などでも残る千枚田という田んぼの光景なんです。棚田です。そこに、昔から何代も農業をしている方はその狭い土地を大切に守るために、石を組んでいくんです。それは城壁のような大きな石組みではなくて、小石どうしをどうやって上手に組んでいくと、棚田の石垣が守られるか。稲刈りが終わると崩れてきますので、それをまた補修して次の年に直して使っていくということを代々続けてきた。
そういう農家の方たちに話を聞くと、この千枚田の風景がまさにおらが村の風景だというんです。そういう心情的なものだけじゃなくて、それはつまり何だったかというと、今年うちがこれを直さない、うちは息子は農家を継がないから、もういいんだよ、蓄えもそこそこあるしということで、上の方の農家がちゃんと石垣を直さないと、今度は下の農家に影響してくる。そういうものが地方では自然のうちに、自分だけがいいということじゃなくて、他に迷惑をかけないというものがあったと思うんです。
そういう心情とか、風景とか、長い間に培われてきた人とのつながりを、じゃ、新たなものをつくっていくときにどういうふうに残していくかというのは、地方の課題でもあると思います。都会の中でも1つ例を挙げてみると、都心は都心で再開発を勝手にやっていくビルが多くて、美しい風景がなくなっていく。
谷中学校というのを取材したことがありまして、谷中の町並みを残していくのにはどうしたらいいか。バブルのころは、親から受け継いだ土地を売って、そこにビルを建てれば、もう高度制限もないし、本当はかなりの実入りがあると考えた若い夫婦がいた。でも、谷中には谷中学校という民間の集まりがあります。東京芸大の人たちを入れて、ここの町並みを保存するにはどうしたいいかということをCGだとか、あるいは手作業で、あなたの家を残すと、あなたの生け垣を残していくと、こんなふうに町並みが美しくなるんだということを見せて、説得して、売らないで、何とか壊さないで、外観を残しつつ、中を効率的にリフォームしていこうという形で、地元の大学、それが芸大だったんですが、建築の人たちをかなりボランティア的に引っ張り込んで町の風景を残していったという例があります。
また、早稲田のケースですが、これもやっぱり都市の再開発で、高齢者がふえてしまって、バブル期にくしの歯が欠けたような形で、土地がボコボコ空いてしまった。このままでは本当に寂しくなるし、大都市圏の土地の利用としては、これではちょっともったいない。じゃ、どうして再開発をしていったらいいかというときに、1階、2階、3階は地域のコミュニティーセンターという形で使っていこう。だから、図書館もあれば、行政サービスもそこでなされる。多くの人たちがなるべく今までどおり集まれるようにしよう。だけど、そこに長屋型式で住んでいた人たちはどうするのか。このまま高層住宅化して、上層階を住宅と単純に考えると、先ほど申し上げたような地域の心のつながりが失われてしまう。
そこで、これもやはり早稲田大学の建築の人たちが、ボランティア的に入って、上の方に長屋をつくろうというんです。地域コミュニケティーセンターの最上階の部分に長屋を再現する。長屋といっても、もちろん今風の居住性のいい空間ですけれども、平屋の長屋が高層住宅の上に乗っかったような感じ。お互いガラッとあけると、そこに露地のような空間がある。車は上を通らないわけですから、露地がある。お稲荷さんももとは地上にあったんですが、それを上に持っていって、高層住宅の上に長屋ができるというアイデアはどうだろう。
ただ、それには地権者全員の賛同を得なければならないので、実現はとても大変なんですが、地域のインテリジェンスをぜひ取り込んでいきたい。高知には高知の岡村先生を中心とする大学があり、そこのインテリジェンスがあるわけですから、地域の心のつながりを保っていくには、ハード面じゃなくて、ソフトの面で、産学協同という言葉がありますが、産、学、民、全部が合わさって、ここに今までどおりの暮らしを、しかも効率的に再現するにはどうしたらいいのかということを、これから考えていただければありがたいと思っております。
○岡村 これには橋本さん、何かご意見ありそうですが。(笑)
○橋本 何でも私がご意見をいってもあれかと思いますが。先ほどの千枚田、棚田の話でも1つ思いますのは、私、かつて減反はおかしいじゃないかということを申し上げたんです。まさに棚田が消えていった理由の1つは減反政策なんです。一番非効率な水田ですので、減反でどんどん水田をつぶすときに、まず最初につぶしていったのは棚田なんです。日本から棚田のような風景を消していく農業政策をとっていったこと。全体として、私、需給調整をすることを反論しているわけではありません。しかし、そういう中山間地域の棚田も、大規模化できるような水田も、一緒にしてやっているような政策に、なぜ、みんなおかしいと思わないのかという日本人の感性を私はいったつもりなんです。そういうことにも、皆さん方にも関心を持っていただきたいと僕は思います。
それから、町並みの保存などの動きは、これからもいろいろな形で出てくるだろうと思います。今お話にあったような、新しいコミュニティーセンターをつくっていくのは、また再現という形で新しいアクションでいけるからいいんですけれども、従来あるものを守っていくのは、これはどこでもあることなんですけれども、文化財の指定を受けると、もう中も何も変えられなくなって、居住環境がとても悪くなる。このことが、指定を受けないためにどこかを変えてしまおうといって、最初から手を入れてしまうことにつながって、日本の町並みを崩してきた1つの大きな原因ではないかと思いますので、町並み保全、都市景観、都市計画的なものも含めて、こういう土木学会などで検討していかれるときには、そういう文化的な価値のあるものを守っていくときに、何がマイナス要因になっていて、それをどう取り除いていけばいいのかということは僕は考えていかなきゃいけない課題だと思うんです。
これまでは文化財保護が全部文部省に任されて、指定をしたら何もできません。ここは多分文部省の方はおられないでしょうけれども、文部省ですから、補助も何もない。それであとは勝手にやりなさいだったらば、とても日本の文化は守っていけないだろう。法隆寺みたいな世界遺産になるような特別なものは別にして、本当の意味での町並みを守っていけない。この間も京都に行きましたけれども、京都でさえああいう状況になっていくわけですから。
ということを全体的にもう少し考えていかなきゃいけないんじゃないか。だから、こういう規制をつくればいいというんじゃなくて、みんながやっていけるような仕組みはどうすればいいかということをそろそろ考えなきゃいけないときじゃないかなと思います。
○藤田 きょう私がここに出てきておりますのは、多分、5階のバーチャルリアリティーの宇部を例にとっていただいたおかげで、呼んでいただけたと思います。
私の方の町の場合は、そういう歴史的なものはほとんど何もありませんで、歴史をもとにまちづくりをするというわけにいかないわけであります。とはいいながら、中心市街地が相当寂れていまして、高校野球に高校が出場すると、「シャッター街の宇部市」ということで紹介されて困っています。
そういうところでどうやってまちづくりをしていこうかと考えております。ここで、発想を皆さんに少し変えていただきたいと思う件があるので、ちょっと発言したいんですが、私のところは、中心市街地を何とかもう一度つくり直してみたいという発想で、昔の一番にぎやかであったところを含めて、中心市街地の区画整理をやりたいということで表明しまして、そのときに地元でまとまったところから手をつけていきます、こういうことを申し上げてきたんですが、やっと一地区まとまってスタートを切れそうな状況に来ています。
ところが、今度の中心市街地再活性化法ですか、あれで、きちんと街全体の基本計画をつくって持ってこい、TMOをやれということで、全国一律にそういうものがないと、取っかかれないということになっていまして、そうかといって、ほかの地区は計画も何も固まってないわけですから、そこで変な計画を提案しましたら、途端に、なぜそんな計画にするんだというトラブルが起こって、何もできなくなっちゃうという可能性があります。
一応形だけは整えてやることにしておるんですが、きちんとした全体の基本計画があり、何がありということをやらなくても済むように、地元でまとまって何とかしようよと、まとまったところだけさっと先に走り出せるようなまちづくりの仕方が、当然あってもいいと思いますし、これからはそうでなきゃ、郊外の人が住んでないところに物をつくるわけじゃありませんので、古い建物はないにしても、一応歴史を経たところ、しかも地域コミュニティーのあるところにつくっていくわけですから、まちづくりの発想を、まとまったところから少しずつ少しずつ、20〜30年かけてつくり直していく、そういう仕組みがうまくできないと、これからの地方都市は本当になくなってしまうのではないかという気がしておりまして、それだけちょっと私の提案なんですが。
○岡村 時間との競争をどういう形でやっていくかという問題ですね。先ほど東京についてちょっと触れましたけれども、全部の計画がきちっとできて、やっていったとしても、住民のあるところが反対すると、道が通らない。そういう形で30年たってしまったというのが今の状況です。それがこのまま同じやり方でいくと、あと30年また変わらないとすれば、そのころには人口形態、いろんなことが変わってしまってもう要らない。じゃ、途中までつくったのは何だということになるような気がしますので、今ご提案があった、計画がちゃんとできたら一気に早くつくっていく。
これは時間軸をきちっと考えた上の実施ということで実践をされているのを、全体として壊すようなシステムを我々はつくってはいけないというご提案でございますね。
○藤田 いや、そういうことじゃなくて、都市全体の都市計画がきちんとしてないと、部分的にかかれないということは間違いじゃないか。
○岡村 逆にいいますと、計画がきちっとできても、永久にできなかったら意味がない、そういうことですね。
○藤田 はい。
○竹内 その点については、まさに日本の私的所有権の法律に欠陥があって、私的所有権はいかようにでも細分化できる。しかし、共有化するのはもっと難しい。だから、反対運動が起こるときは1坪の土地を100 人で持つとか、幾らでも可能で、100 票の反対票が集まる。都市プランナーの方もおっしゃるんだけれども、根本的なところに日本の法律体系のネックがあって、1軒1軒の話じゃなくて、都市開発が反対運動の現場になってしまうという話を聞いた。そういう問題にきちっと対処した方がいいのではないか。
ちょっと一言。今お話を伺った地域コミュニティーとか文化資産という分野は、考えて みると、日本の土木エンジニアの世界で見ると、だんだん離れていってしまった分野ではないか。昔の日本というのは、城壁をつくったり、水を引いたり、そういうエンジニアが現場にいて、今でも見るとすごいなと思う建造物がたくさんあるわけです。ところが、今のエンジニアはどこにいるかというと、工事事務所にいたり、建設省の工事事務所とか……。
○岡村 現場にいない。
○清原 今竹内さんがおっしゃった私的所有権の話は、かなり前から話題になっていまして、具体的にいうと、土地収用法の改正は国会の中でも議論になっていますし、10年、20年先には改正されているかもわかりません。1坪地主運動は空港とかを強権的に建設する場合に、反対運動のてことして使われたんですけれども、岡村先生がおっしゃったように、いつまでたってもできないでいいのかという面もこれまた一方の大きな課題になってきます。これから先の世の中を考えたときに、私的所有権と社会基盤整備を進める公権力との兼ね合い、どれくらいの柔軟性を持った社会にしていくかというのがかなり大きな課題になっていく。都市計画の分野で、まずそれが一番先行的にあらわれるのじゃないか。だから、土木学会の方たちは当然ご承知になっていると思うし、ある程度の案はお持ちだと思うんですけれども、これから一緒になって考えていかなければいけない問題だと思います。
○岡村 竹内さんから、現場の姿が見えない、現場の所長さんは、現場の第一線の指揮をするよりは、夜、周りの人とコミュニケーションをするのに多大なエネルギーを使われている、それをしない限り工事が進まないという話があって、それは、先ほどの私的所有権の問題、その他住民エゴの問題といったら怒られるかもしれませんが、そういった問題、あるいはいろんな問題があって、その中継ぎとして、今藤田さんが、できるところからやった方がいいのではないかとご提案されたわけです。
もっと先にいけば、今のようなシステムができて、スムーズにいく。ただし、藤田さんのように、合意できたところからどんどんやっていくというふうになりますと、ほかもどんどん競争的に参加して、結果として全部ができてしまう。それが現在行政の第一線におられる藤田さんの話で、それを日本全体の仕組みとして邪魔するようなことはしないように、こういうことですか。ちょっと言い方がまずかったかもしれません。
○藤田 邪魔をされているわけではないと思いますが。(笑)
○岡村 逆にそれを促進してほしいという方が正確ですね。
○藤田 そうですね。
○岡村 そういう促進を少し始めたのではないでしょうか。
○藤田 そのつもりでやっていただいていると思うんですが、実際には、こんな厚い書類をつくって、いっぱい手間暇かけて、1年ぐらいかかっておるわけです。それがなければ、もしかしたらもっと早く進んでいたかもしれないという感じですから。
○黒田 各区画整理というピンポイントで考えた場合には、内なる動機といいますか、内なる民意の合意を得られると思うんですけれども、環境などが絡んでくると、私たちマスコミがいけないのかもしれないのですが、別の面からの圧力が加わることがございますね。
○岡村 それはどういう意味ですか。
○黒田 そのことがよかったか悪かったかはわからないんですが、例えば長良川の護岸工事を行った。ここにはダムが1つもないということで、非常にいい川であるといえるけれども、護岸工事をしてしまったがために、昔ながらの漁ができなくなった。漁業権とか生活権ということで考えると、建築に伴って必ず相反する要素として出てきますね。瀬戸大橋をつくるときも、瀬戸大橋が通る下の島の漁業権をどうするかというついでに、地元の要望で体育館をつくるとか、いろんなことをやったみたいですけれども、そのときの生活権、生存権をどう保障するかという人間の問題と、先のことまで考えた地域の環境をどう共存共栄させていくか。
地元の人たちは本当はこれが欲しい、私たちはこういうふうにしたいと思っているけれども、外部からの圧力といいますか、世論というか、あるいはエキセントリックな環境第一主義者みたいな人もいるわけです。長崎の諌早では、マスコミが見せたようなものですけれども、さんざんギロチンの絵を見せられた。口をパクパクあけて死んでいくムツゴロウを見ている漁業関係者を映像的に見せると、非常にインパクトが強いんです。当時実際に長崎に行って地元の方たちに伺ったら、「昔から私たちは平地が欲しかった。確かにそこで死んでいったムツゴロウはかわいそうだけれども、熊本の方へ行けば、まだいっぱいいます」といわれたんです。(笑)
環境的に水が入れかわらなくなってしまったことでこれから恒常的にどうなるかということは、確かに問題があるかもしれないけれども、ここまでしか農地がない、これから先、工業用地も商業用地ももっとふやしていきたいというのが長崎市民の悲願なんだということを聞いて、ああ、そうなのか、地元取材をみっちりしないといけないなと感じました。本当にそこに何が必要なのかということをだれが教えてくれるのか。最初のお話で出ました情報開示は、だれが不偏不党、中立にやってくれるのか。50年、100年先のスパンでそのシミュレーションを完全に考えてくれるのか。宇部の市民も、「皆さんで選んでください」といわれても、困ってしまいますね。感情に流されてはいけないし、そのあたりを土木学会にお願いしたいと思います。
○岡村 専門集団としての義務であると。
○清原 結局そこへ戻ってしまうんですね。繰り返しになりますけれども、何が公平、真実の情報かということになると、結局値踏みの問題になってくる。どこまで見通して値踏みするかとか、いろんな情報を集めた上で値踏みするから、集めた情報が間違っていたら、結局間違った評価をしてしまう。それは至難のわざだと思うんです。時代は高度情報化時代のまっただ中ですけれども、本当に信頼に足る情報というのは何かなというのを突き詰めて考えると、非常に寒くなるようなところがありますね。
○橋本 何が真実かというのは、最初から考えても出てくる答えじゃないと思います。特に土木工事でいえば、それぞれの方の受けとめ方、主観で異なる部分も出ますので、数値化とか論理計算で出てくる真実との違いはあるでしょうけれども、それを超えての真実が何かということを最初から危惧していると、何もできないのじゃないかと思うんです。
清原さんのおっしゃることはよくわかるんですが、NPOの団体でも何でも、そういうものが1つずつ実績を積み重ねていって、「結果として前よりよかったね」ということが判断になってくるのではないか。結果として前より少しよくなった、こういう点が前進したという実体験の積み重ねが、真実に近いものになっていくのではないかと私は思うんです。
○竹内 反対か賛成かというときに、市民参加みたいなものは面倒くさいと思っている人はたくさんいるのですが、51対49までは持っていかなきゃいけない。そこまでトライする。残念ながら、100%賛成するというのはこの世の中にあり得ないわけで、しかしどうやって説得するか。この不透明な時代を生き抜く知恵みたいなものや、粘り強さはやっぱり必要なのかなという感じはする。
○岡村 我々土木技術者としては、研究をし、技術開発をして、でき得る限り、真実あるいは予見、予測ができるように努力をしておりまして、20年前と比べると長足の進歩をしていると思います。したがいまして、例えば河川に何をつくるとその影響がどうなるかとか、そういった予測は相当程度できるようになっています。
○橋本 そこに住民との間のずれが生じる。20年後、50年後にどうなるかという真実よりも、今の生活感覚がどうかということでみんな判断をすると思うんです。例えばこの護岸が20年後にどうなりますか、50年に1度の災害にどうなりますかということについて、今の生活とのかかわりの中で説明できるようなノウハウを身につけないといけない。これまでの土木技術は、ダムでも、河川改修でも、「50年に1度、100年に1度の災害のためにこういう河川の改修をするんですよ」という説明ですね。
○岡村 今の先端では、それがもう少し進歩してきていると思います。
○橋本 進歩しても、一般の住民にはそんなことは関係ない、そんなことに関心を持っていないというところからまず始めないと、そのずれが埋まらないと思うんです。精度が高まりましたといっても、その精度を高めてくれということを住民側はいっているのではないということにこたえられないと、吉野川の河口堰の答えは出ないと僕は思います。
○岡村 そこがこれから大きな争点になる問題だと思います。逆にいいますと、本当の意味のプロフェッショナルが我々としては必要で、わからないのを無理やりわかった振りをして説明したのでは説得力がない。本当にわかっていたら、説得力はあると思うんですが、余りにも不確定要素が大きくて、第一線で説明する方が万全の自信を持って説明できているかという問題がある。
○橋本 別な言い方をしますと、精度がこれだけ高まって、50年に1度、100年に1度の理論的可能性は確率論としてこれだけ高まっていますよ、例えばそういうことであっても、一般の人は、残りの49年、99年をこの川とどうつき合いますかということを今非常に関心を持って求めているわけです。
○岡村 私がいっているのは、それも含めてです。50年に1度の洪水という非常に狭い専門ではなくて、社会システム全体を見て、もっと広い専門を土木学会は目指さなきゃいけない。
○橋本 そうなんです。住民の側も、お天気のいいときに川に行って、「なぜコンクリートで固めるのだ」といって怒るのではなくて、「雨で水があふれてもしようがないね」というところまで意識しないと、自然との共生というのはおかしいのじゃないかといつも下河辺さんがいわれますが、住民の側もそういう意識を持たなきゃいけないと思います。
行政の側も、これまでは、50年に1度、100年に1度の災害に備えます、そのために私たちは責任を持ってやっていますよということだけでしたが、そういうときでも命だけは助かる保障はします、残りの49年と三百何日、99年と三百何日、この川ともっと親しくつき合うために、私たちはこうしますよというプレゼンテーションが一緒にないといけないということをいっているんです。それがなさ過ぎたんじゃないか。バランスの問題なんですよ。
○岡村 逆にいうと、行政に責任感があり過ぎる。
○竹内 責任感はあるけれども、現場から遠いんですよ。(笑)
○岡村 ですから、もう少しリラックスをして、「こういう状況とこういう状況のどちらを選びますか」という形を提示していく。
○橋本 それもあり得ますね。
○岡村 全く何の知識もなく判断をするのは不可能ですから、こういうことであればこういう状況が起こります、こういう対処の仕方がありますと、いろんなシミュレーションを示す。それを選択するのはそのときの住民であり、それから後を生きる若い人たちの責任でもある。我々としては、今、そういういろんなシミュレーションができるレベルに来ているわけです。
○橋本 それと同時に、シミュレーションが幾つか選択肢にあるときにプレゼンテーションをしないといけない。そのうちの1つだけを選んで、「これが私たちが決めたものです」といったのでは、何も動かないということです。
○岡村 それは全く同じことをいっているわけです。1つの解で、これが最適だということではなくて、いろんな提示の仕方があり得る、またそれが必要で、そういうことができるレベルに来ている。以前は、どちらがいいか判断が必要だったわけですが、今はもう少しわかった形で皆さんに提示できるレベルに来ている。したがって、そういうことができますよということを積極的に発信していきたい。土木学会のホームページでこれからどんどんそういうことをしていきたいと思います。
○橋本 どうぞお話を元に戻してください。(笑)
○岡村 藤田市長は思いのたけを全部いわれたでしょうか。いい足りないところをお願いしたいと思います。
○藤田 地方都市はどういうところが困っていて、どういうところが困っていないかということをちょっと申し上げます。
きょうの資料にもありますような医療、介護、学校、消防、こういうものは、周辺の町村と広域で、一部事務組合とか、受委託とか、そういうことで現にやっておりまして、日常生活は余り心配しなくてもいいのじゃないかと思うんですが、ごみだけは、ダイオキシンを出さないためにこれからえらく大きなものをつくらにゃいかぬので、1つの市町村では燃やすごみの量が足りないという問題が起こってきて、広域でという話になっておるわけです。この話は、ダイオキシンが出ないごみの燃やし方という技術開発の問題がもう1つあると思いますので、よそのごみを引き受けなくて済むような技術開発が安くできれば、それの方がよほどいいと思うんです。
それはそれとして、もう1つの問題は、都市的サービスをどうしたらいいのかということです。17万人の都市で、例えばプロ野球を呼んできても、採算がとれるまで入場者の数が確保できないとか、音楽会をやってもホールが満ぱいにならなくて、税金で追銭を持たにゃいかぬというような状況がありまして、これをどうするか今悩んでいます。それは、隣の市町村と一緒に広域で取り組んでも、人口がまばらですと、なかなかそうもいかぬ。
○岡村 東京でどこかに行くには必ず1時間ぐらいかかりますね。1時間で行ければ、相当な範囲をカバーできないでしょうか。
○藤田 今は交通の便もよくなっているけれども、採算がとれないということで困っています。これからテレビやらがだんだん発達してくるので、生の音楽はもう聞かなくていいということになるのか、どういう時代に入ってくるのかわからないんですが、お客さんをたくさん呼んでこなきゃいかぬような問題は、地方都市としてはなかなか難しいかなという気はしておるんです。
○竹内 やっぱり閉鎖した方がいいんじゃないですか。つまり、コンサートに行く頻度ですね。例えば普通の人がコンサートに1カ月に2回行く。これだけの人数がいるから、単純に計算するとこのぐらいの利用頻度があるという計算をしても、実際に何年に1回音楽を聞きに行きたいかというと……。
○岡村 毎週行きたい。(笑)
○竹内 みんなそういうのですが、実際行かないんですよ。これは介護と違うんです。介護とごみは減らない問題ですけれども、リゾートとか、コンサートとか、美術館は、利用用途の変更みたいなものも含めて、もっと最初から柔軟に設計をした方がいいのではないか。これは冷たい言い方ではなくて、各都市にそんなものは要らない。
○黒田 山梨のある町で、室内楽の演奏会場としては非常にすばらしいホールをつくったんです。それで市長さんがかわってしまうぐらい、そのホールをどういう形でつくるかが選挙の争点になりました。前の市長さんは文化的に民度の高い方というか、イ・ムジチみたいなものを招んできて、本格的にレコーディングできるぐらいの立派な室内楽のホールにしたいと思ったんですけれども、ふたをあけてみたら、地元の人たちはブドウ農家が多くて、「巨峰」を収穫した後にみんなで集まって、カラオケ大会、もしくは、ちょっと習いかけのソーシャルダンスができるホールならいいということになって、結果的に、前の方の席が可動のホールができたんです。いすをどければ、平場でダンスとかカラオケ大会ができる。いすをきちっと並べれば、本当にすばらしいホールになる。そのときご一緒したバイオリニストの佐藤陽子さんは、「ぜひ私ここでレコーディングやりたい」と即決めたぐらい、音響的にもいいホールなんです。
1年間その施設を稼働させるには、1カ月に1つ大きなイベントを持ってこないと、とても維持できない。そうなると、何とか歌謡ショーとか演歌歌手ショーも含めて何とか埋めていくわけです。自由な発想で建物を建てればそれを存続させられる。地方の方はみんな車を持っていますから、1時間だと下手すると県外に出てしまいます。ちょっと遠くても車で30分ぐらいで移動できる場所で、大駐車場を備えたものとか、地元の意見と為政者なり建築家の理想がうまくマッチしたものをつくることが大事だと思います。
○岡村 地方の問題は、女性が快適に地方で生きられるかという問題が不可欠ですね。それがないと地方の活性化にはならない。そういうときに、黒田さんのような方が地方には行かない、住みたくないというふうになるといけない。
○黒田 そんなことないです。航空料金も4月1日から下がっていますし、都市との間の移動がスムーズであれば、それこそ長野に住んで、新幹線で東京に出てきて音楽会を聞くとか、そういうことが今自由にできますね。介護を含めて、どのくらい個人資産が老後に残せるかということを考えると、私たち若い者は先々ちょっと不安な部分もあるんですが、そういう意味でインフラ整備は大事だと思います。
○岡村 高知もインフラストラクチャーがよくなりましたから、高知でキャンプをやって、松坂投手がいると、九州から自動車に乗って見に来ます。10年前はそんなことは不可能でした。広域圏でやっていけるインフラが間もなくできようとしているわけですから、過去のいろんなものとは違った発想がこれからはできるのではないでしょうか。マスコミの方々も、少し状況が変わったということを念頭に置いて、いろいろ導いていただければ大変幸いだと思います。
○竹内 1つどうしても市長さんに聞きたいのですが、宇部は昔は炭鉱の町で、日本の産業構造から見れば、大規模な産業転換というか、産業がなくなっていくということを典型的に体験されたと思うんです。これからインフラをやっていくには、その地域で財源が回ることが最低条件で、インフラとは別なようですけれども、雇用の場とか、新しい産業の芽とか、そういうる問題だと思うんです。快適さも必要ですけれども、持続的に経済が回っていくかどうか関心があるわけで、市長さんとしては今何を一番感じていらっしゃいますか。
○藤田 炭鉱の問題は、昭和40年代に閉山して、新しく入れかわって重化学工業の町になっていますから、人口的には今が一番多いぐらいです。ただ、重厚長大産業から新しい産業の時代に移り変わりつつあります。しかも、情報化の問題とかありますので、その変わり目をこれからどうやっていくかが今の最大のテーマです。具体的にどうこうというところまではいっていないんですが、単純な話として、山口大学の医学部、工学部とか、そういうものが宇部に相当集中していますので、大学を前面に押し立てて、産学連携でやっていこうということで、それはスタートを切っているわけです。そうやって新しい産業が育っていくについては、中心市街地もちゃんとしていなきゃいかぬし、音楽会の1つもなきゃいかぬだろうというのが先ほどの話で、前段を切り離して変な話をしましたので、申しわけないんですが、そういう全体の絵の中でやっています。
そこで、先ほどの地域連携ネットワーク型生活圏を考えてみますと、文化的にも広域行政圏でなきゃだめだということになってくると、生活圏の方はどういうことになるのか、今のままでいいのじゃないかということになるかなという気もします。ただ、文化がないのも寂しいな、道路だけあれば全部済むのかどうかというあたりで、今困っているところでございます。
○岡村 今、地方分権化が盛んにいわれているわけですが、その反論として、財源の問題のほかに、地方にはそれを補っていく人がいないじゃないか、自主性も大事だけれども、地方は長期的な計画ができないのではないかと、東京の多くの方がいっています。そういうことに対しまして、国土庁の記者クラブで全国総合計画なんかを見てこられた清原さん、ご意見をお願いします。
○清原 ご存じだと思うのですが、戦後50年、社会主義ではないにしても、国が長期計画をつくって、それに基づいて社会基盤整備をやっていくパターンがずっと続いてきた。一番有名なのが、通称「全総」といわれる全国総合開発計画です。それが第1次から第5次までつくられて、それを1つの指針として、社会基盤整備計画もおおむね実行されてきたと思います。50年たって、主要な高速道路についても、完全ではないけれども、ある程度はめどがついてきた。開発をしなければいけないところはあるけれども、開発重視の時代から、施設の老朽化とか更新、保守にシフトした計画づくりが求められるのじゃないかということで、今議論の真っ最中です。
これはそもそも論になってしまうのですが、全総計画はもう必要ないのじゃないかという議論が一方ではあります。ソ連型の5カ年計画じゃないんですけれども、国がぼんと計画をつくって、自治体がそれに従ってやっていくのは、今の日本では既に時代おくれになっているから、そういう計画そのものも要らない。もっと地方に権限を移して、地方独自の発想でプランをつくってもらう方がいいのではないか。都市も農村も漁村も含めた総花的、抽象的な計画は要らない、主要な社会基盤施設は大体整ってきたから、何年までにどこどこでどれぐらいのものをつくるという目安そのものも余り要らないのではないか、そういう意見がかなり出ています。
その一方で、我々の国は資本主義で、その中で民間も含めてめいめいが勝手にやったら、どういう方向になるのかよくわからない。各地域にどれぐらいのものが要るか、これまでのように細かく書く必要はないけれども、国が社会資本の整備について、ある程度の目安、方向を出す必要があるのではないか。自治体間のエゴの調整の1つの証左として、長期計画を1本つくっておくのも国の役割ではないか。高度情報化時代に対応した国土計画はこれまでつくられていないから、21世紀型の高度情報化社会にマッチした国土計画は必要ではないかという意見がある。
議論がまっ二つになっていまして、これがどういうところで折り合って収束するのか、ことしの夏ぐらいにはある程度の方向が出ると思いますが。難しいのは、来年の1月になると、省庁再編で「国土庁」という役所の名前が消えて、建設省、運輸省、国土庁、北海道開発庁の4省庁が統合して「国土建設省」という新しい役所ができ、国土計画をどうするかという仕事もそこに移るので、今国土庁だけでやっている作業がそのまま生かされるかどうか。多分8割ぐらいは生かされると思うんですけれども、どういう人が担当するかということもありますから、ちょっと不透明なところはあるんです。
もう1つ、新しいパターンの国土計画は必要だと仮定して、中身的にどういうものが必要かというのも論点の1つになっています。お役人の堅い言葉でいうと、それは「国土計画の理念」ということですが、もっとやさしくいえば、どういうイメージかということです。これまでに一番有名なのは「国土の均衡ある発展」という理念ですが、これも賛成論、反対論があります。
太平洋ベルト地帯に土地の利用が偏在しているのを是正して人口や産業の適正な配置をする。地域格差の是正、地域の特性を生かした発展、こういう意味合いが「国土の均衡ある発展」の中に込められているのです。しかし、そんなことをいいながら、「均衡ある発展」の理念のもとに、結局はばらまき型の投資をやったのではないか、それは諸悪の根源だからそんな理念は外してしまえというきつい意見も出ています。
一方で、経済合理性に基づく投資論からいうと、たくさんの人が住んでいる都市に手厚くお金を配分して、過疎の方はそんなに手当てをしなくていい。しかし、それでは過疎のところはますますさびれてしまうから、経済的には非合理的だけれども、政治的な政策調整でなるべく公平な投資を行うようにすべきだ。だから、今でも「国土の均衡ある発展」という理念は立派に通用するという反論もあります。
この決着がどうなるかおもしろいところですが、「均衡ある発展」をいっている人たちも、マイナスのイメージもかなりあるので、新しい国土計画の理念の中に新しい言葉をぜひ入れたいと考えている。キーワードとして今挙がっているのが「美しさ」と「風格」で、「美しく風格ある国土づくり」が多分出てくる。もう1つ、若干古いのですが、今までのような中央集権型の計画ではなく、「地域の自立と持続可能な発展」というキーワードも出てくるのじゃないかと僕は予想しています。
もう1つの論点は、これからは低成長時代で、公共投資額もこれまでのように潤沢ではない。そうすると、今までは、全総計画に書かれると、毎年の政府の予算編成のときに、ある程度予算化の裏づけができたものということで理解されていたんですが、公共投資の額が少なくなればなるほど、全総計画を予算獲得のための武器とみなすというのが逆に強まるのじゃないかという心配も実はあるわけです。
しかし、よく考えてみますと、これからは投資の額が少なくなるのだから、国が計画をして国が関与する事業であっても、必ず地元の負担がふえる。そうすると、回り回って住民にツケが回ってくることが予想される。予算を獲得するためのお墨つきとみなしていた全総計画では、住民にとって負担がふえるということにつながるから、一種の無責任になるのではないか。そこで、自治体の方も、その事業なりプロジェクトが住民にとって本当に必要なのかをまずしっかり評価してもらい、ねらいを定めて、これこそは全総計画に書いてもらわなくては困るというものに絞ってやってもらう必要がある。そういう議論の流れになるのじゃないかと僕は予想しているんです。
もう1つ、首都圏とか近畿圏という大都市圏計画と、東北、北陸、中国、四国、九州といったブロックの開発計画がある。それは今のところ国の方が主体的につくることになっているんですけれども、計画策定の主体が都道府県に移ると思うんです。都道府県がつくって、それに対して国が意見をいって、もし修正が必要だったら修正するということになるのじゃないかと僕は予想しています。
言葉をかえれば、ブロック計画については、国から地方に計画の策定権が移る。そうなると、肝心なのはブロック計画の中身、質の問題で、このシンポジウムの最初の話に戻るのですが、プランナーがしっかり育っている自治体と、そうでない自治体ではすごく格差が出てくると思いますから、これをどういうふうに持っていくかが、これからますます大きな課題になるのじゃないかと思うんです。今まで国のプランナーがそんなに優秀だったのかというと、必ずしもそうではないんですけれども……。
○岡村 簡単にいうと、地方はもっと悪い。
○清原 地方の人にとって失礼な言い方だと思うんですけれども、中央省庁を取材していますと、「なかなか県に任せるわけにはいかない」と傲然と言うお役人もいる。それは一種の経験則から出ているところもあって、半分ぐらいは本当で、半分ぐらいは思い上がりじゃないかという気はしているんです。僕が望ましいと思っているのは、もちろん能力の問題もありますけれども、地域のプランナーがもっとたくさん出ることです。今までは官がつくって、それを上意下達の形でおろして、最後は民間のどこかの企業が受注するということでしたけれども、もう少し流れを変えて、官と民の上下関係のないパートナーシップ型の計画づくりができればいい。ひょっとしたら、20年後ぐらいにはそういう方向になっているかもわからないなという気がしています。
○岡村 国としてやるべきこと、例えば四国とか九州かもしれませんが、広域圏でやった方がいいこと、もっと小さいところがやること、大きく3つぐらいに分けてそれぞれやるべきことがある、それをきっちり分けてそれぞれがやっていく、それに応じて人材も配置されることが望ましいというのが提言で、その方向に行けば、今清原さんがるる述べたようなことがうまく解決できる、あるいは今述べられた方向に行くのではないでしょうか。多くの方は20年後に県が存在すると思っているでしょうけれども、既存の県や市町村が今のままあるというのではなくて、省庁再編も含めてダイナミックに変わっている。四国では今から4県連携でいろいろやられているそうですが。
○橋本 今のお話を伺って自分なりに感じたことをいいますが、僕は、「国土の均衡ある発展」という言葉はもう要らないと思うんです。それは、一定の整備が進みつつあるということもありますが、国がお墨つきとして「国土の均衡ある発展」という言葉をドーンと掲げているから、黙っていても「均衡ある発展」をやってくれるだろうという地方の依存心につながった面が非常に強いだろうと思いますし、都道府県だけではなくて、各市町村の方はそういう意識がより強い。そのことがさまざまな発展を妨げた面があるので、もうこの言葉は要らないだろうと思います。
ただ、そのときに、今の人口密度によるお金の配分だけでいいんですかという議論に急になるわけで、もっとバランスのある議論があるのじゃないかというので、最初に土木学会に投げかけてやっていただいたわけです。というのは、人口移動が起きて、今大都市部に人が集中していますが、その人たちの多くは地方で教育を受けている。つまり、18歳なり22歳まで、地方の税金がその子供たちの教育費なりさまざまな形で投資されているわけです。この投資額をずっと引きずって都市部へ行って、働いて税金を納めておられるから、18歳なり22歳までに投資した分は地方に一定の還元をしてもらうことは合理的なことではないか。だから、単に税収は都市部が2、地方が1、使っているのは地方が2、都市部が1でおかしいじゃないかという議論は、そのままは成り立たない。今の人口規模での投資がそのままになるということとも別のことじゃないかと思います。
あわせて、もし全総計画をつくるのであれば、だれが投資をしていくのかということを考えなきゃいけないと思うんです。これまでは、国が投資をしていくことを前提に計画がつくられて、実施をされてきました。それが一方で依存心を植えつけてしまったという面もあります。それに対して、「地方に任せられるか論」が何十年来あるわけです。力量としては国に及ばないことは確かだろうと思いますけれども、それは、例えば岡村先生が新しく来た学生に「さあ実験をやりなさい」といって、「できないじゃないか」というのと同じで、オン・ザ・ジョブでやらせてみて初めて、こういう力はつくと思うんです。オン・ザ・ジョブの仕事が何もないままに「あの人たちはそれができないんです」というのは、議論としていかにもおかしい。
10年なり15年なりオン・ザ・ジョブでそういう仕事をした上で、なお「地方はおかしい」というならば対等な議論になるのではないかということを前提に考えますと、これから例えばブロック計画は地方にということであれば、先ほどクローズドというお話がありましたが、四国は1つの島ですので、いろんなことが考えられるのではないかと思います。これからの計画のあり方は、つくっていかなければいけないものももちろんあると思いますけれども、それと同時に、できたものをどう使うかという議論がもっとあっていいと思うんです。
一番最初に公共事業への批判ということをいいましたが、これは、つくる過程での情報公開、説明責任がないということとともに、つくったものが十分生かされていないことへの不満とか批判が公共事業への逆風になっている。港などがよく「釣り堀論」でいわれますけれども、港が十分生かされない原因として、規制とか、民の中での過去からの権利とか、そういうものがあるわけですから、そういうものを取り除いていく。つまり、公共投資でつくった今あるストックを棚卸しをしていく、資産運用をしていくことが、これからの計画に必要な視点ではないかと思います。
四国でいえば、つい先日の3月11日に、四国4県の県庁所在地がすべて高速道路で結ばれて、2時間から2時間半で動けるようになった。一方、高知でも空港の滑走路を延ばして、定期国際便が飛べる空港になっていく。従来、地方の空港が国際化をすると、必ずソウルと結ぶ定期路線が次々にできた。これは、韓国側のハブ空港化という戦略に乗ったわけです。それはそれで意味がないことはないでしょうけれども、徳島はちょっと別ですが、これから四国の中で3つの空港が国際化をしていく、しかも2時間から2時間半で動けるのであれば、あるところは韓国、中国と結び、あるところは香港、台湾、マレーシアと結び、あるところはシンガポール、ジャカルタ、マニラ、バンコクと結ぶというような役割分担をする。関西新空港はあの状況で、10年、20年でハブ化していくかどうかわからない状況の中で、四国の中でそういう使い方ができるように、今後のインフラ整備、いろんなソフトの体系を整えた方がずっと現実性があるのではないか。そういうことを踏まえて議論したらいいのじゃないかと思います。
○岡村 今、都心から成田に行くのに、下手すると2時間くらいかかる。四国の中は、どこの空港にも3時間あれば行けるところがかなり広がってきて、恐らく4分の3ぐらいの人口はそのぐらいで行けますね。
○橋本 人口的にはそうです。
○岡村 そうしますと、そういったことが次の時代には当然起こる。
○橋本 そういう意味で、ハードを活用するソフトというものが、いろんな計画の中に盛り込まれていかなきゃいけないのじゃないかと思うんです。今高速道路のお話をしましたが、日本の場合には高速道路は有料ですから、サービスエリアがあって、途中下車できない。ところが、海外へ行けばフリーウエーですから、みんな自由におりて、町がサービスエリアの役割をして、それだけ道路が地域に与える経済効果はより大きいと思うんです。日本の場合は必要なところまで真っすぐ行ってしまう。時間距離を縮めるいという意味では大変役に立っていますけれども、地域に与える経済効果は少ないのではないか、途中下車できるような高速道路ができたら随分違うだろうなと思うんですけれども、今のシステムではできませんね。できませんというか、なかなかつくりにくいだろうと思うんです。この夏から、ノンストップで料金を収受できるETCのシステムが始まりますね。これならば、途中下車が可能になります。
○岡村 今は、途中下車はできるけれども、出口の間隔が広過ぎますね。
○橋本 いや、料金を払ってそのままおりてしまって、4時間以内であれば、同じカードで乗れる。
○橋本 ETCが入ってくれば、そういうことがもっとしやすくなる。ただ、ETCは車載器を載せなきゃいけませんから、なかなかすぐには普及しないのじゃないかと考えれば、僕は高速道路にマイレージを入れたらどうかなと思うんです。飛行機では、今マイレージが当たり前になっているわけです。同じように、5000キロ走ったら1万円のハイウエーカードを差し上げますとか、10万円分乗ったら1万円のハイウエーカードを差し上げますとか、制度としては幾らでもつくれる。ETCが入ってくれば、システムとして十分使えるし、ETCの車載器をどんどんふやしていくことにもつながるのではないかと思います。
この間、公団にも働きかけて、四国の島内でそういうことをモデル的にやってみませんか、それも、ただ公団に「どうですか」というだけではなくて、5000キロなら5000キロ乗った方には四国の特産物を差し上げるというのを各県で出して、四国のマイレージをまずやろうという話を四国4県の知事でしたのですが、ややお遊び的に聞こえるかもしれませんけれども、そういうたぐいのアイデア、話がこれからの計画の中に必要じゃないか。そうでないと、見た目の行政と住民の思う行政が随分かけ離れてしまう。それを近づけていくことが計画に必要ではないかと思います。
○岡村 どうもありがとうございました。いろんなご意見を積極的に発言いただきまして、コーディネーターは何もしなくて終わりの時間が近づいてきました。会場には土木学会の会員以外の方も多数お見えではありますが、土木学会あるいは土木技術者の方が結構多いので、最後に、パネラーの方々に、土木学会あるいは土木技術者へのメッセージを一言ずつお願いできれば幸いでございます。
○清原 去年の第1回の特別委員会が終わってから控室でお茶を飲みながら話をしたときに、「土木技師とか土木技術者で僕がイメージするのは、ヘルメットをかぶって作業服に身を固めた工事現場の監督さんみたいなイメージなんですよ」といったら、大学の工学部の教授である岡村先生が「いや、僕は土木技術者だ」と話された覚えがあります。
○岡村 私は土木技術者と思っています。
○清原 そうすると、岡村先生が思っていらっしゃるイメージと、僕みたいな全くの門外漢が思っているイメージとでは、随分違いがあるんですね。もともと「シビルエンジニア」を「土木」と訳しているわけですが、イメージが悪いので、名前を変えたらどうかという話があって、そのときに「市民工学」も一案として持ち上がったけれども、結局今まで使っていた「土木」「土木学会」の方がいいということになって、その論議は今は行われていないということをちらっと聞いたんです。
別に名前にこだわることはないし、僕はヘルメット姿が悪いといっているわけじゃないんですけれども、何らかの一定のイメージを背負ってこられているわけですから、ヘルメット姿の現場監督さんにとどまらず、学者的なことももともと分野としてあるわけだから、これからはぜひそういう方向にもっと広がって、端的にいえば、公共土木事業の知恵袋みたいな感じになってほしいなと思っております。
○岡村 知恵袋と実践と両方ということですね。
○黒田 トルコを訪ねたときに、「トルコのあの高層ビルをつくっているのは、建築家ではなく、デザイナーなんですよ。だから、建築工学を余り理解していないので、地震に弱いんです」といわれたんです。私はそのとき、デザイナーと建築家、土木工学を専門にやる人とは本来一線を画しているものなのかということを初めて知りました。しかし、そういう技術的な安全性、あるいは危機管理の面を完全に習得した上で、あえて豊かなデザイナーであっていただきたい。ライフデザインとか、将来に対する展望とか、そういうものも含めたデザイナーであっていただきたいと思います。
○藤田 私は土木技術者のなれの果てでございますが、自戒を込めて。(笑)
土木だけではなくて、建築もそうだと思いますが、景観という面を重視しなきゃいかぬのじゃないかと思います。標準設計というのを随分一生懸命やってまいっておりますが、どうもあれはぐあいが悪いのじゃないか。例えばコンクリートには必ずペンキを塗って色をつけるぐらいのつもりでやると、ちょうどいい町の景観がつくれるのじゃないかと思いますので、何かのときにちょっと思い出していただきたいと思います。
以上であります。
○橋本 最初に、説明責任、情報公開のことをいいましたが、先ほど竹内先生からも、土木技術者が事務所の中の机の前に座っているじゃないかという話がありました。かつて現場に出てやってた仕事が確かに机の上の仕事になってきていると思いますし、それはそれでやむを得ない面もあるだろうと思いますけれども、これからはもう一度外に出ていかなければいけないのではないか。
外に出ていくときは、現場を知るという基礎的なこと、土木技術者が設計をし、発注をし、施工管理をするだけではなくて、その間に住民なり地域の人に説明をしていくノウハウも持った土木技術者にならないといけない。それが自分1人で無理であれば、先ほどいったように、そういうグループをつくって、そのグループと一緒にやっていくようなシステムにならないと、これからの事業はなかなかスムーズに動いていかないので、そういう人材育成をぜひ土木学会でやっていただいたらどうかと思います。
もう1つは、これまでの土木技術は、安全性とか経済性が満たされればよかったと思いますが、これは情報化で済む。つまり、数値を打ち込めば、コンピューターがブラックボックスの中で経済性なり安全性の答えを出してくれる時代になってきた。であるとすれば、景観とか、文化とか、自分のつくるものが地域の景観としてマッチするものかどうかという判断力とか、これが50年、100年後にどれだけの文化的な価値を持つだろうかというような文化的な価値観とか、情報化で済まないものがこれからの土木技術者に問われてくるのではないかと思います。
これまで建築と土木はやや仲が悪いといってはいけませんけれども、例えば建築家がダムをつくろうとしたら、現実にはいろんな問題が生じる。そういうことをなくしながら、同じアーキテクトの感覚とか景観の感覚を土木の方々も持たないと、「単に情報化で済むことをやっている人たちですね」ということになりかねない時代ではないかと思います。
○竹内 話が戻ってしまうのですが、21世紀の社会資本整備を考えた場合に、グローバルな時代になり、国家は激動の時代を迎えるだろうと考えられるわけです。つまり、今までのような、一国単位で、島の中で考えるという発想では成り立たない。国の形も、国と広域行政圏と地域連携圏という新しい形に変わっていく、これまでの建設省、運輸省という形も根本的に変わっていくだろうと思うんです。
つまり、国の経営はどうやるのかということです。経営というのは運営管理とは違う。つくったものをひたすら維持することではなくて、何を捨てていくかということを根本的なメッセージとして発しない限りは、日本の信用度は落ちていくばかりだと思います。国と地方の財政赤字は今645兆円、このうち財投による部分のうち100兆円はもう腐っているといわれている。そのうち100兆円ぐらいは相当問題があると考えられているわけです。こういう問題に、まず計画面でどう変えていくのか。
もう1つは、優秀なエンジニアが建設企業に就職しているのですが、その力がどこに行ってしまったのかというくらい存在感がない。アイデアが薄れていく。組織の中に入っても、建設企業のエンジニアが新しい分野を提案し、それを受け入れてもらえるように、企業の側も人材開発のシステムをつくって、新規事業に積極的に投資する雰囲気が必要だと思います。つまり、企業で頑張れるエンジニアは、プロジェクトマネジメントに長けているわけで、地域トータルプランナーとして活躍できる環境づくりが必要になってくるということです。
○岡村 きょうは、パネラーの皆様には、遠くから、またお忙しい時間を割いてこの会議に出席いただきまして、本当にありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。
今回は提言に終わるかもしれませんが、将来的には、土木学会の各専門委員会がこれを真摯に受けとめて、いろんな形で実現に向かって進むと同時に、最初に3つ申し上げました中の2番目、3番目、つまり、我々から世間に向けてどんどん情報発信をしていく場合の貴重な基礎資料にさせていただきたいと思います。
きょうお見えの皆様方には、パネラーのご発言をそれぞれそしゃくし、生かしていただければ幸いだと思います。きょうは本当にどうもありがとうございました。(拍手)
○司会 長時間にわたって熱心なご討議をしていただきましたパネラーの皆様、まことにありがとうございます。また、参加者の皆様、長時間ご聴講いただきまして、ありがとうございます。
それでは、これにてシンポジウムを終了させていただきます。本日はどうもありがとうございました。(拍手)