日時:2000年2月2日(金) 14:00-17:00
場所:土木学会講堂
出席者(敬称略;○印が出席者):
○佐藤委員長(東大),○青木(豊技大),○浅野(鹿大),○泉宮(新潟大),○磯部(東大),伊福(愛媛大),○喜岡(名工大),○栗山(港研),○黒岩(鳥取大,松原代理),○小島(九共大),○後藤(京大),高木(INA),田中(東北大),中山(水工研),灘岡(東工大),○三村(茨城大),○山下(北大),○山本(土研,鳥居代理)の各委員
一般参加者は約40名.
配付資料:新潟海岸の整備について,にいがた海岸パンフレット
議事:
1.委員会の趣旨説明(佐藤委員長)
- Outputとしては20年後,30年後の海岸に関するagendaと地元住民を含めてのシンポジウムを考えている.
2.前回の議論の簡単な説明(佐藤委員長)
- 九十九里浜海岸の海岸保全対策としては現在は養浜+ヘッドランドが考えられている.
- ただし,放置のシナリオも考えられる.その場合,便益と費用を組み込んだ議論が必要であろう.
- 粒径が環境や生態系に与える影響を考える必要がある.
- どの部分の知識が不十分か(汀線変化のモデルの精度など)を検討する必要がある.
- 海外の事例紹介を行った方が良い.
- 河川からの土砂供給をレビューする必要があろう.
3.新潟西海岸の海岸整備事業についての説明(北陸地方整備局,新潟県)
- 対象範囲は新潟西港から新川漁港までの約14kmの範囲である.
- 波は1月〜3月にかけて大きい.
- 侵食状況としては,新潟西港西側の水戸教浜で明治22年以降350m汀線が後退している.
- 海浜変形に影響を及ぼす主な事業と物理現象としては以下のものがある.
明治8年〜明治36年 河口修繕工事(新潟西港 西突堤1.5km)
明治42年〜大正11年 大河津分水工事
昭和30年〜昭和50年 天然ガス採取による地盤沈下(最大で2m)
昭和42年〜昭和47年 関屋分水工事
- 海岸事業
昭和8年より海岸侵食対策事業が始まる.
旧運輸省海岸(新潟西港より西約2.5kmの範囲)における海岸整備
- 昭和63年から面的防護方式(潜堤+突堤+離岸提)による海岸整備を始める.
- 潜堤の設置水深は8〜10mで,現在1060m完成している.
- 養浜量は40万m3である.当初70万m3を予定していたが,40万m3の土砂投入で砂浜が安定しているようなので現在様子を見ている.
- 平成10年より突堤を市民に開放している.
新潟県海岸(金衛町海岸)における海岸整備
- 昭和40年以降海岸整備を進めた結果,汀線は落ち着いたものの,沖が深くなっている.
- 水深8mまでの砂が東から西へ移動しているようである.
- 平成3年よりヘッドランドの建設を開始した.
- 山砂を養浜材として使用したところ漁業組合より苦情が出た.
旧建設省海岸(関屋分水〜新川漁港)における海岸整備
- 昭和52年から建設省の直轄海岸となり,離岸提(19基),人工リーフ(5基), ヘッドランド,養浜による整備が行われる.
新川漁港より西側の海岸
- 侵食が西に広がるとともに,緩傾斜護岸に波が当たり被災している.し
かしながら,この領域は海岸保全区域に指定されておらず,県の治山課が侵食問題に対応している.ただし,新川漁港のすぐ西側の領域は漁港課が対応している.
- 海水浴客数−約70万人である.
- 国と地方自治体との協力体制
国,県,市の6者による海岸事業連絡会が平成7年より始まり,合同のパンフレットを作成したりイベントを企画,実行している.
4.議論
(1) 現在の海岸に対する認識と海岸保全対策の見通し
「関屋分水より東」
- 離岸堤前面の水深4〜6mの領域が深くなっている.1,000〜2,000m3の養浜では効かない.5万〜10万m3必要ではないか.
- 土砂の絶対量が少ない.
「関屋分水より西」
- 自然状態の汀線が残っている状態で離岸提の整備を上手にやったので砂浜が残っていると言える.
- 漂砂量の不均一の解消することによって海岸侵食を緩和することができるのではないか.
関屋分水の東と西で海浜変形のパターンが違うのはなぜか?(資料p.19)
- 測量時期と測量会社の違いが一つの原因である.
(2) 侵食原因
大河津分水,新潟西港,ガス採掘による地盤沈下が考えられる.
「大河津分水(信濃川河口より60km西)の影響」
- 新潟海岸では縄文以来10列の砂丘列が形成されており,信濃川は信濃川河口の西と東の両方の海岸形成に寄与したと考えられる.
- 大河津分水河口の寺泊では300haの浜が新たに形成され,信濃川から新川の間では400haの浜が失われた.
- 大河津分水からの排出土砂量は1976年〜1980年の平均で年間72万m3(粒径0.14mm以上)であり,一方,寺泊河口の堆積土量は年間91万m3(粒径0.14mm以上が88%)である.寺泊では,昭和50年から汀線の変動は無く,また,河床の変動も無い.
- 昭和22と昭和30年における深浅図を比較すると,信濃川河口をはさむ6kmの範囲で,この期間に信濃川河口の東側,西側で年間50万m3の土量が失われている.これには,地盤沈下の影響は入っていないと考えられる.
「阿賀野川からの排出土砂量」
- 少ないと考えられる.
- 新潟西港と阿賀野川との間では海岸侵食が進行し,現在は砂浜は無い.
- 阿賀野川と新潟東港との間でも侵食が進行している.
「西港の浚渫土量」
- 年間80万m3.60万m3は沖に捨て,20万m3は防波堤の根元に置いている.
「地盤沈下」
- 天然ガスの採掘は昭和40年より段階的に禁止.まだ,自重圧密によって年間3mm程度(大きいところで10mm程度)の沈下がある.
- 水深10m程度のところの侵食と地盤沈下とは関係無いと考えられる.水深6〜8mの地点に設置した沈下杭による地盤沈下量は年間10mm以下であり,これは新潟港における地盤沈下量と同じ大きさである.
「飛砂」
- 海岸侵食の一つの原因になっていると考えられる.
- 8kmで4万m3の土砂が飛砂によって失われている.
- 砂丘の高さは高いところで52mである.
(3) 沿岸漂砂
「沿岸漂砂量」
- 新川より東側で5万±1万m3(汀線変化より泉宮先生推定)
- 建設省の推定値は4.7万m3
- 関屋分水からの供給土砂は約2万m3
- 信濃川本川からの供給は昭和30年までは50万m3程度あったと推定される.
- (茨城県では移動限界水深が約8mで,沿岸漂砂量は年間5〜10万m3程度である.)
「沖合漂砂」
- 沖では北向き(東向き)の流れによって砂が移動している.
- 水深8mより浅いところでは西向き,深いところでは東向きではないか.
- 沖の漂砂と岸の漂砂との間でやりとりがあるはずであるが,その量は現在のところ不明である.
- やりとりがあったとしても,砂浜が徐々に無くなっているということは
やはり沖に砂は逃げているのではないか.- 沖合い漂砂の測定方法としてトレンチを利用する方法があるのではないか.
- 沖合沿岸漂砂の証拠は?
- 金沢港沖で確認している.また,沖の沿岸漂砂が無ければ,千里浜が存在しないはずである.
(4) 今後の海岸保全
- 現在の保全方法で砂浜の維持は可能か?
- まだわからない.
- 新潟海岸の侵食を放置できるか?
- 放置したら町がなくなってしまう.
- 大河津分水に流れている土砂を信濃川本川に流せないか?
- 途中で止まってしまう可能性が高い.ただし,途中に止まった土砂を利用する手はある.
- 大河津分水河口前面に堆積した土砂を利用できないか?
- 大河津分水からの排出土砂量を0と仮定しても,年間2万m3程度ならば移動可能である.移動にかかる費用は6,000〜7,000円/m3である.
- 新潟西港の浚渫土砂を利用できないか?
- 浚渫土はシルトが多いので海岸の養浜には向かない.
- 昭和58年に試験養浜したところ臭くて不評であった.
- 外国ではシルトが含まれていても養浜に用いている例がある.
- 沖の砂を養浜に利用できないか?
- 問題点:粒径が小さい.明確な堆積場所が無い.
- 適当な粒径の場所があるはずではないか.
- 沖の土砂移動を止めることはできないか?
- 構造物で止めるのは難しいのではないか.
- 黒部川河口沖の貯砂堤はうまくいかなかった.
- トレンチはどうか?
- 流れがあれば実現可能ではないか.問題点は貧酸素水塊の発生と生態系への影響である.
新川漁港より西側の海岸
現在新川漁港の東側に堆積した土砂はさらに東側の旧建設省海岸のヘッドランド背後の養浜に用いられている.本来は新川漁港の西側に投入すべきではないか?
5.まとめ
新潟西海岸の海浜変形の実態紹介
課題
- 各領域毎に沿岸漂砂量の接続した計画が必要である.
- 養浜材の確保
- 大河津分水河口前面の土砂の利用
- 沖合漂砂の利用――量的把握が必要
- 新川より西側の海岸
- 放置するか否か?
- 放置しないとするとサンドバイパスの可能性は?
- 長期および広域の海浜のモニタリングが必要であろう.
6.次回の予定
- 4月下旬
- 河川審議会における議論紹介 磯部委員
- 海外における海岸管理の紹介 小島委員
- 静岡海岸 or 高知海岸
栗山善昭 作成