計画学30周年記念シンポジウム

「新しい国づくり・街づくりをめざして」

記録:広島大学大学院国際協力研究科 藤原幹事

   目 次

  1. はじめに
  2. 委員会設立の経緯
  3. 土木計画学の成果(内部評価)
  4. 土木計画学の外部評価
  5. 土木計画学に対する意見と期待
  6. パネルディスカッション


1.はじめに

 昭和41年(1966年)9月に土木計画学研究委員会が発足して以来、平成8年で30周年を迎えた。この記念シンポジウムは、昨年の10月2223日、東京都品川のコクヨホールを会場として、約150名の方々のご出席をいただき盛況のうちに開催された。
 シンポジウムの全体テーマは「新しい国づくり・街づくりをめざして」であり、1日目は土木計画学の内部と周辺領域の研究者によるこれまでの土木計画学の成果と反省点についての評価に関する講演が行われた。懇親会をはさみ2日目には、これからの土木計画学に対する期待に関する講演がなされ、最後にこれらを受けて若手の研究者を中心に今後の土木計画学のあり方や、学問としての「土木計画学」が目指すべきことをパネルディスカッション形式で熱心に議論した。
 土木計画学では、研究の総合性や実務との関わりが重要であるが、本シンポジウムを通して、それらの外部からの忌憚ない評価と期待を知るとともに、今後伸ばして行くべき方向性について本質的な議論がなされ、大変有意義なシンポジウムであったと評価できる。

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2.委員会設立の経緯

 シンポジウム冒頭の「開会の辞」において、飯田恭敬土木計画学研究委員会委員長より、本委員会設立の経緯について紹介がなされたが、ここでは当時の土木学会編集課に残された会議記録なども参照して、委員会設立の経緯を紹介する。
 昭和30年代の高度経済成長の幕開けと同時に、土木教育のあり方について本格的な議論が始められた。その代表的なものは、大学土木教育委員会の第I期委員会中間報告である。
 すなわち、計画部門、設計部門、施工部門がこれからの土木技術を支える三大支柱であるとし、大学土木教育に、革新を続ける土木技術の最先端をになう技術者と、土木技術を基盤として企画・計画分野で力を発揮しうる総合技術者の双方を育成しうる教育体制が求められるようになった。これに対応するために、各大学では、力学およびその応用工学としての構造力学、水理学、土質力学等の専門基礎科目を強化するとともに、明治以来、鉄道工学、河川工学、橋梁工学といった対象施設ごとに組織されていた科目や講座体制を見直し、交通や水資源などの現象ごとに改める提案がなされるようになった。この流れの中で、昭和30年代後半からいくつかの大学で「土木計画」の講義が開設されるようになったが、講義内容はバラバラでありそのままでは学問的体系化ができないという憂慮が広がった。
 丁度鹿島出版会から、土木計画の内容を叢書として出版する話が東京大学鈴木雅次教授に提案され、昭和41年5月、札幌で行われた学会時に5大学から8名の研究者が集まり対応を議論した。この席上、「出版は結構であるが、学会内で委員会を設け、土木計画について討議すべきである」という意見が出され、6月24日に土木学会図書館で懇談会が持たれた。
 学問体系が新しいだけに、土木計画の守備範囲を明確にしておく必要があり、意思統一を図るためのシンポジウムを繰り返し実施して、土木の各分野に浸透させていくことが提案された。その実施主体として土木学会内に新たに委員会の設置を提案することとなった。7月22日の理事会において、京都大学米谷栄二教授から委員会設置の提案を行ったものの、具体的な内容を引き続き検討するようにということで保留となった。その後、有志が理事会提案のための具体的項目の検討会を数回持ち、8月26日の理事会において再度提案、設置が認められた。
 この時の資料によれば、委員会は「土木計画のあるべき姿、その問題点を検討し、合わせて計画に関する調査、研究等を行うことを目的」としており、委員・委員兼幹事は大学の関係教官および諸官公庁等の計画担当者から人選することを明記している。このように外部に開かれた環境の中で、自らの位置づけを絶えず思索するという精神は、若い学問である土木計画学に特有のものであり、30年後の本シンポジウムにおいても同様の議論がなされていることは興味深い。
 設立を認められた土木計画学研究委員会は、10月5日に第1回の委員会を開き、互選により鈴木雅次委員長、米谷栄二副委員長、八十島義之助幹事長を選出するとともに、懸案のシンポジウム開催に向けての活動を開始した。昭和42年1月の第1回「土木計画のあり方と基礎理念」を皮切りに、以降「土木計画の位置と範囲」「土木計画の構成と体系化」「土木計画手法」「土木計画理念」などのテーマで連続的にシンポジウムが実施された。そのテキストは土木計画学に関する概念の整理と普及に大きな役割を果たした。

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3.土木計画学の成果(内部評価)

 1日目の午前のセッションでは、教育・研究・実務の3つの観点から、これまでの土木計画学の成果を明らかにするとともに、これを取り巻く状況の変化に対する問題提起が行われた。

 飯田恭敬土木計画学研究委員会委員長「開会の辞」において、委員会設立後の活動を振り返り、土木計画学の現状についての問題提起を行った。「計画」は合目的性を追求するプロセスだが、「土木計画」では目的・手段が社会的に明確でない場合がある。また、社会・経済現象を対象とするために要因の多様性、不確定要素を免れ得ないことから、当初目指された数理モデルを中心とする分析、科学化・普遍化には限界があり、地域の特異性や計画の重層性に十分に対応できていない。我々が持っているデータや分析は複雑な現象の一部を取り扱っているに過ぎないことを自覚し、知識や経験を合わせて総合的に活用していくことが重要である。特に地域の特異性、固有性をどう反映するかが大きな課題となっていることが示された。
 ついで西井和夫山梨大学助教授より、シンポジウムの企画概要・ねらいの説明があった。さらに1979年から開催されている土木計画学研究発表会の掲載論文に関するデータベース(西井和夫助教授・中岡良司北見工大助手作成)をもとに、ここ20年間に、研究論文数の増加、分野の細分化のほか、時代背景を反映した研究分野の変化が見られることが報告された。これらのデータベース、ならびにこの後の各講師の報告の詳細については、当日配布されたプロシーディングスを参照されたい。

 「土木計画学教育の30年の歩み」について、清水英範東京大学助教授からの話題提供がなされた。その要旨は以下の通りである。
 土木教育論、土木計画教育論が議論されるようになったのは高度成長が本格化する昭和40年近くになってからであった。昭和40年代は実務における計画分野の拡大という社会ニーズへの対応が主眼とされ、中盤になって各大学に計画数理系科目と、交通計画・国土計画などの科目が開設されたが、両者の関係は整理されていなかった。50年代には、これらを基礎数理理論+応用理論という形で体系化する試みがなされた。しかし、60年代になり国際化、情報化、価値観の多様化の中で問題がますます複雑化し、従来の科目では対応しきれなくなってきた。そのために土木教育の前段となる一般教育の再構築や土木原論、土木史、土木学(シビルコスモス)が重要であるとされている。今後は土木哲学や土木計画史の科学化・体系化が必要とされるが、同時にこれらの学問ほど現代人にとって都合の良い解釈が入り込む学問はないとも言える。その意味でこれらは各自の価値からは独立ではなく、英知を結集し、開かれた場を用意して議論すべきである。

 次に柏谷増男愛媛大学教授「計画学の研究成果」と題して、次のような話題提供を行った。
 土木計画学はわが国に独特のものであり、多様なジャンルの集まりであって、建設マネジメントや景観工学などのインキュベーターの役割も果たしてきたが、「公共土木事業における社会的意思決定に関する事象の分析」という定義が可能である。そのため時代時代の行政的課題との関係が強く応用的研究を中心としている。交通需要予測を柱に数理的な手法の導入を目指した1960年代に続き、7080年代には、現象をより深く理解することが望ましい公共土木事業の誘導につながるという素朴な期待もあり、現象分析に重点が置かれ、確率的効用理論や非集計モデルの導入など理論化が進められた。しかし90年代になり、社会から要請される課題はより複雑で多様であり、相互関係、制約条件下でのモデル化が求められるようになった。
 これまでの研究は、プロジェクトの推進が暗黙の前提となっており、制度や法律の問題には踏み込まない「官房学」であるという批判がある。今後プロジェクトの推進を前提にしない研究、地権者や対立するグループの立場からの研究もあり得る。また、実務との関係では、技術としての確かさの確認、具体的な時間や空間を前提にした綿密さの追求が求められる。
 続いて「社会資本の整備理念と実務からの要請」と題して、大石久和建設省大臣官房技術審議官の話題提供がなされた。
 土木計画学は、社会資本整備のための理論的な裏付けを行うべきである。先進国へのキャッチアップが終わったかのように見えるが、欧米は次の段階へのスタートを切っている。また東アジア諸国の台頭も著しい。国土経営の努力がまだまだ不十分な中で公共事業不要論が流布すること自体が、今の計画学の大きな欠陥を物語っている。つまり時代、自然、社会条件に関する基本認識が欠如している。国土整備においても均衡論に代わる理念、哲学が欠けている。何のために、どこに、何を備えることによって、どのような国土を作ろうとするのかというビジョンがわからない。計画学は、これらを理念、理論、実体、実証で支える役割がある。社会への情報発信がきわめて重要である。

 岩田鎮夫アルメック代表取締役からは、「発展途上国における国づくりと技術協力」と題して、民間コンサルタンツの立場から話題提供がなされた。
 途上国の調査を行う場合、1970年代までは道路計画などの単体調査であったが、80年代からはむしろ複合的な都市開発が主流になっている。その際に日本の独特の評価方法や設計基準の基づく技術は生かせない。日本での経験が邪魔になることもある。その意味で土木計画学のアウトプットが途上国での実務につながっていない。民間コンサルタンツはそれぞれの国や都市の異なった枠組みの中で、途上国での経験を積んでいるが、その経験を土木計画学にフードバックして、日本以外のモデルを構築するため、学会と実務者の交流を強化する必要がある。また、前近代からのやりくり型の都市開発や、土地区画整理など、日本の得意な領域の体系化が必要である。

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4.土木計画学の外部評価

1日目の午後のセッションでは、土木計画学と関連の深い周辺領域の研究者による外部評価を通して、土木計画学の研究対象や方法論、本来取り組むべき研究課題についての議論が行われた。

 まず、「土木計画学と防災研究」と題して、河田恵昭京都大学教授(防災研究所)から話題提供がなされた。
 従来の災害対策は、設計外力をまず想定し、それ以下の外力に対しては構造物の設計を通して減災(ミチゲーション)を図るという方法がとられてきた。大きな災害が発生すると、設計外力や設計法の見直しが行われたが、構造物による災害制御が主な対策であり、そこに計画学の入る余地はなかった。災害は時代とともに進化する。特に都市が糖尿病的な体質を持つようになり、災害への脆弱性が増している。都市づくりや地域づくりにおいて、防災の観点が必要となっている。また1995年の阪神・淡路大震災は、設計外力以上の事態に事後的にどう対処するかというクライシス・マネジメントが必要であることを示した。これからは事前のリスクマネジメントと事中事後のクライシスマネジメントを含むスパイラルな社会的ミチゲーションを目指す必要があり、計画学への期待は大きい。
 防災研究において計画学が果たす役割を考えると、計画の軽視と歴史の軽視という2つの問題点が指摘できる。これまでの公共事業には事業アセスメントはあるが計画の妥当性をチェックする計画アセスメントがない。この計画の軽視が土木計画学を要素還元的な解析に留めてしまった。また、現在の地域や都市の姿を過去からの歴史の延長として捉えていない。過去の計画に適用された学問の成果に対するチェックがない。土木計画学の研究者は、計画という名の下に、個人的な思いを述べているに過ぎないのではないかという疑念を感じる。

 次に、内藤正明京都大学教授(環境工学)から「21世紀の社会像と土木計画学の役割」と題して、環境工学の立場からの話題提供がなされた。その要旨は以下のようである。
 地球環境は2020年ぐらいには破局状況に至ることを前提として、持続的なシナリオをどう見つけるかを議論する必要がある。地球環境問題の背景、対応において、技術・社会・思想的な課題がある。さらにどんな未来像を描くのかという点では、価値規範、評価指標、実現シナリオを明らかにする必要がある。我々は今、シナリオ選択の時期にきている。途上国の状況を考えても大丈夫であろうとすれば、社会を変革し、循環・共生型社会へのシナリオしかあり得ない。「循環と共生」のための指標づくりが必要である。最近省エネや省資源のように「エコ」の視点が単体物や構造物には適用されつつある。しかしそれを、都市・地域に適用する視点は不十分である。またEnd of Pipe アプローチから Zero Emmission アプローチへの転換が必要である。

 磯部力東京都立大学教授(法学)からは、「公共土木事業と現代行政法の論理」と題して話題提供があった。
 現在、古典的な公共性の概念が主体、内容、手法のいずれの点においても動揺している。例えば第3セクターや民間企業の公共事業への進出、事業内容への意義申し立て、公権力と任意執行との違いがぼやけている。古典的法治主義は立法と司法に公共性の判断をゆだね行政による判断を最小化するものであるが、行政裁量の増大により破綻している。アセスメントは、それに代わる現代法的な公共性判断システムとして位置づけることができるが、手続きの適正と計画内容の合理性のバランスをいかに見いだすかが課題であり、時間をかけてバランスをとることが必要である。地方分権も、公共性判断がやりやすい仕組みへの変化であると位置づけられる。この時、地域自律的公平性と、広域的国家的政策判断との相克をどう克服するかが課題となる。また計画裁量として、考慮すべき事項と考慮しない事項とを専門家としての立場から峻別することが必要である。
 ついで2名の経済学者から話題提供がなされた。

 中条潮慶応義塾大学教授は、行政などの使う側の問題も多いとした上で、土木計画学(工学)者は、技術的な回答のほかに政策論を求められることが多い。そのためには哲学、知識、方法論が必要である。経済学では方法論は一つであり、目的は総余剰の最大化、資源配分の効率化にある。これに対し土木計画の分野での方法論が明確でなく、研究者の個性に依存している。そのため、現実問題の解決に当たり制度を前提としたプラグマティックな議論にになりがちである。また、交通量の抑制や公共交通優先などのように、手段を目的と考えがちである。一方、将来の問題に対して、個人的理想主義に陥る傾向があると指摘し、今後は施設の建設でなく、既存施設の有効利用のための技術・計画が重要となると述べた。
 金本良嗣東京大学教授は、個人的な感想であると前置きしながら、土木の学会の意義が良くわからない。あまりにムラ社会的で若い研究者の育成が十分ではないと指摘した。研究者への経済学の浸透は進んだが、実務への浸透が遅れている。少なくとも費用便益分析を着実に実施し、その結果を公表することが望まれる。制度的な仕組みと研究の準備が必要である。また経済学を組織的に教えることが重要である。土木経済学の経済関連の研究は、理論的には一流とは言いがたいが、経済学者との連携を強めることにより、良くなる応用研究も多い。アメリカ型のセンターにより共同研究を進めることが有効ではないかという提案がなされた。

 以上の話題提供に対し、フロアーからの質問がなされた。まず、「公共性と環境権」の概念について、経済学が前提としている自由処分完全処分が認められなくなったことが環境権につながった(磯部)という指摘や、地球環境問題は個人に対する制約条件として入れざるを得ないが、制約条件を課すかどうかは経済学の問題ではなく倫理的問題である(内藤)という見方が示された。また制約条件を課すことになった場合価格コントロールを設計することは経済学の範囲で可能である(金本)。大まかには、計画学は代替案を作るところを担い、評価は経済学、判断は法学の守備範囲と整理できよう(中条)。
 低確率の災害、人命の価値の評価に関して、大震災により平均寿命が減り、そのGDPへの影響額は算定できる(河田)という回答と、将来世代の命を評価するのは無理である(内藤)という対立する回答があった。これに対し、「大衆にはわからなくても賢者が示し大衆が認めればよい」と言う考え方もある。ただし地方自治に見られるように、「情報さえ与えれば大衆が決められる」という考え方が優勢である(磯部)、大衆にとってdemocracyを選択するかどうかがまず問題であり、賢者はdemocracyの中で認めてもらえるかが問題となる(金本)、賢者の情報が当てにならないこともあり、市場がいつも当てにならないわけでもない。人命の価値などをタブー視せず、限定つきでも推定する勇気が必要である(中条)という議論がなされた。

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5.土木計画学に対する意見と期待

 第2日目、午前のセッションでは、さまざまな立場から、土木計画学に対する率直な意見と期待を述べてもらうことを目的として、多彩な人々からの話題提供をいただいた。以下、各講師への質問に対する回答も合わせて紹介する。

 斉藤宏保NHK解説委員「土木計画学への期待」と題して、以下のような話題提供を行った。
 これまで土木技術に関連して、「コンクリートの話」「テクノパワー(巨大都市)」という2つの番組を手がけ、本にまとめた。両者は、建設から維持管理へ、作る側の視点から使う側の視点へという社会的ニーズの変化を物語っている。現在の土木技術者は、この流れに対して鈍感すぎる。土木に「計画」が本当に存在しているのかという疑問を感じる。50年、100年先に対する視点があるとは思えない。21世紀における人口の減少、都市の空洞化にどう対峙するのかが見つめられていない。
 利用者の視点が欠如している。誰に利用してもらうのか、誰に引き継ぐのか。とくにバトンタッチすべき子供たちがどういう状況に置かれているのか、現在の社会資本や環境が、彼らにどのような影響を与えているのかが考えられていない。効率一辺倒をやめ、ゆとり、間、曲線を活かした環境づくり、地域の自己完結につながる施設づくりが必要。施設を公開し、まちを歩かせ、住民に地域を気づかせるとともに、自治会組織・ボランティアの育成が重要である。談合・政治家との関係を透明にし、すべてオープンにしないと市民・マスコミの信頼は得られない。マスコミを使う際には、相手を見て早めに手を打ち戦略的に使うこと、記者を育てるという視点も必要である。

 次に、大野秀敏東京大学教授(建築学)から、「居住環境イメージを再構築するとき」と題する話題提供がなされた。
 建築にも建築計画学という日本独特の分野があるが、現在大きな曲がり角に来ている。技術者が一生懸命施設づくりに励んだとしても、喜んでもらえないし、機能しないことが起きている。これは近代主義のパラダイムに限界が見えてきたことの現れである。近代の都市の特徴は、ロマン主義以降の「郊外こそが理想の生活空間である」という基本思想に立脚している点であり、ル・コルビジェが土木空間と建築空間を分離した。土木と建築の独自の発展が可能になったが、その結果、建築物、乗り物、都市構造の間のインターフェィスができていない。わが国では施設や設備によって高齢化に対応しようとしているが、このインターフェィスの欠如が大きな問題となっている。
 近代の郊外居住のパラダイムは、高齢社会、地球環境問題、エネルギー問題、途上国の水準向上とは両立しない。アジアの都市にマッチする新しい都市居住型の都市の形に関するパラダイムが求められている。日本がそれを見いだし、輸出していくことが求められている。

 森清和よこはま川を考える会代表「エコアップ計画のプロセスと環境ムーブメント」と題して以下のような話題提供を行った。
 日本にはとんぼつり、蛍狩りのように、虫などの小動物と戯れる文化があった。しかし最近の子どもは虫嫌いが増えている。人間と自然の関係性を復権を目指して、環境のエコロジカルな改善を行うのがエコアップであり、横浜でも総合計画の中に位置づけて、さまざまな取り組みがなされている。また岐阜県土岐川のワークショップでは、共通イメージとして「河童の住める川」を設定し、汚い川がきれいになるプロセスを楽しむ動きがある。土木はこれまでインフラ建設に集中しすぎて環境ストックを軽視してきた。土木事業にエコアップの考え方を付加するのではなく、事業そのものにエコアップの思想を内包化させる必要がある。
 関係性の復権のためには事業主体と市民主体との共同作業が必要であり、施工段階や管理段階からではなく、計画段階からの市民参加が不可欠である。目標をどう設定するのか、誰がどのような方法で決めるのかが重要な問題であり、合意形成プロセスの研究が土木計画学に求められる。制約条件を先に設定するのではなく、まず基本イメージ・ビジョンをともに設定する必要がある。また次の時代の主体である子どもを組み込むことが重要である。

 ついで、ピエール・コブフ(フランス新都市協力事業団)「実務経験に基づく意見:土木計画学のツールについて」と題して話題提供を行った。
 ゴブフ氏は、昭和5759年に日本の大学で計画学を学んだ後、フランスに戻り関西国際空港の基本コンセプト作りに携わった経験を持ち、その時の体験をもとに計画の前提となる事実の認識の重要性を指摘した。すなわち、鉄道駅の活用のためには従来の空港で多く見られる国内線と国際線の分離配置は困難であるという認識が、国内線と国際線を垂直に組み合わせるアイデアを生み、結果として柔軟性のある計画を作ることができた。
 計画ツールの開発は重要であるが、それを使うための前提となる事実の認識が重要である。事実認識がしっかりしていれば、工夫次第で既存のツールを活用することが可能である。さらに、人材の育成、異分野との交流の必要性を強調した。

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6.パネルディスカッション

2日目の午後は、以上の内容を踏まえ、司会の石田東生筑波大学教授(委員会幹事長)と、上田孝行岐阜大学助教授内田敬東北大学助教授斉藤潮東京工業大学助教授高野伸栄北海道大学助手をパネリストとする討議が行われた。討議された内容を要約すると、・土木計画学の役割Accountability(説明可能性)と合意形成、・計画におけるビジョンの役割、・学会の役割、となる。以下、この順に従って討議内容の要旨を紹介する。

(1)土木計画学の役割

 これまでの評価で、土木計画学とは何なのか、役割が不明確、求心力がないという指摘があった。「土木計画への要望と土木計画学への要望を峻別すべきである。土木計画学は、「制度化された科学」を目指すべきである。すなわち社会の中で専門家として認知され、専門家と研究者の再生産システム、研究成果の評価システムが整うようにするべきである」(上田)、「土木計画と土木計画学の峻別ができるかどうかは疑問。重要なプロジェクトの意思決定に事前に影響を与えなければ、計画学の求心性は得られない」(斉藤)という対立する見方が示された。また、「これまでは官房学の役割を果たしてきたが、現在は公が分裂し、公に対する不信感がある。Publicとは何かという問いかけが必要とされている」(高野)「土木計画学は人間を扱う学問という見方もできる。行動を説明する言葉を作っていく努力をしている。それが外部とのコミュニケーション機能を高めることにつながる」(内田)。

(2)Accountability(説明可能性)と合意形成

 資源、環境、土地、人が変わりつつある中、制約下でいいものを作ることが求められている一方で、計画の良さを説明し合意形成につなげるために、特にAccountabilityが求められている。「価値判断は受け手や利用者に任せるべきことであり、発信者は良いと思うことを何でもすればよい。一人一人が総合的なものをめざす必要はないが、反論できるベースとして情報の公開が必要」(内田)、「計画のクライアントは最終的には住民である。住民の価値観を深化させるためにも情報公開が必要」(斉藤)のように、計画プロセスに関する情報公開の必要性については認識が一致した。フロアーからも、「食品と同じように、土木施設の目的、成分、効果を世の中に示すプレゼンテーションが重要」(為国足利工大助教授)という声が寄せられた。しかし、その方法については次のように意見が対立した。「Accountabilityを保証するためには形式論理化することが必要であり、その結果、費用便益分析を適用することが可能となる。防災・景観も費用分析の枠組みの中で分析可能」(上田)、という意見に対し、「景観工学は形式論理で書けない。数値的な分析結果を積み上げたとしても、総合としてのデザイン、計画ができるわけではない。着眼点や考え方を説明する、事例を集めるなどで普遍性を示す努力が必要である。数値よりも文章や図形を重視している」(斉藤)、「近代科学的な記述論理のみが正しい論理とは言えない」(清水英範東京大学助教授)という反論がなされた。

(3)計画におけるビジョンの役割

 「土木計画には、これまでのような量に還元できる戦術的な意思決定だけでなく、質的、戦略的な意思決定が問われている。そのため、信念、判断、感性を含むような論理が必要とされる。ビジョンは必要であるし、それを計画学研究者が提示しても良いではないか」(高野)という問題提起に対し、「特に国の大規模プロジェクトについては計画の前にビジョンについての議論の場があって良いし、学会がその議論の場、発表の場となるべきである」(斉藤)「ビジョンは学の役割ではないが個人的に持つことは許されるし、議論の場も必要である」(内田)という意見が出された。これに対し、「有用であること(土木計画)と学問の要件(土木計画学)とを峻別すべきである。ビジョンは学者の仕事ではない。計画学は個別のプランの是非ではなく、決め方、ルールについての合意形成に寄与するべきである」(上田)という反論がなされた。

(4)学会の役割

 これからの学会の役割については、「土木計画学を制度化された学問とする上で必要な研究成果の評価システムの提供」(上田)という土木計画学よりの見方がある一方、「住民の合意が形成されにくい国レベルのプロジェクトに関するビジョンを議論し、発表する場の提供」(斉藤)、「社会に対し多様な選択肢を用意することも重要」(高野)と言う意見があった。  

「追試可能性の確保、意見表明と反論の機会の提供という学術的な役割と同時に、個々の研究の和集合が意味を持つための基盤としてpublicに対する顔を持つ必要がある。学会をsocietyからcommunityに脱皮させるべきである」(内田)、「いろいろな人材を集めていることをアピールすることが必要」(石田)という意見があり、これまで以上に社会や外部への情報発信や積極的な働きかけが求められていることがわかった。

最後に、土木計画学研究委員会副委員長の浅野光行早稲田大学教授から、内容の濃い議論ができたが、本質に関わる課題も残った。今後の継続的な議論、取り組みが必要であるという閉会の辞があり、2日間にわたるシンポジウムを閉会した。

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