土木学会・土木計画学研究委員会
平成16年11月21日
土木計画学研究委員会委員長
岡田憲夫
土木計画学はいま時代の転換期を迎え、自ら変革と飛躍を遂げることが求められています。そして土木計画学というアイデンティティを再確認し、目指すべき自画像を探求し、必要であれば変身をもいとわずに、成長することが要請されています。それでは土木計画学が暗によりどころとしてきた旧来の時代認識や社会構造はどのような転換点に直面しているのでしょうか。
まだまだ萌芽期であるにはせよ、行政主導型社会から市民参加型社会へと時代が移行している。つまり公共的社会活動への参与・参加・参画を義務と責任とする「市民」が誕生し、成長しつつあると考えられます。それは近代化社会以前の「町の衆」、「村の衆」の地域文化遺伝子を多少引継ぐ形で、「日本型市民」を登場させつつあるように思われます。それとともに、日本国民であると同時に、地域市民であるという感覚や自覚も生まれつつあるのではないでしょうか。
情報コミュニケーション技術や交通ネットワークの長足の進歩も与って私たちの生活空間は複層化・複眼化しつつあるようです。近隣コミュニティの最小生活圏に根ざそうとする人々が増える一方で、国境を越えた間での「地球地域」の社会経済活動が現実のものになりつつあります。このようにグローバル化とローカル化がお互いに引き合い背反する力を受けて、同じ人々や企業・法人が多様な市民として複数の地域に関わることも不思議ではない時代がやってきつつあります。これに伴って、国土空間や地域空間が意味するところも変容しつつあることは間違いないのではないでしょうか。
人間活動の負荷の限りない増大は「生きている地球や地域とそこに生きている私たち」に致命的なストレスとなっている、そのためには生活や生産のスタイルと社会のあり方を変えなければならない。このような問題認識を行動にまで結び付けて社会や地域を改変していく営みである「持続的成長論」はいまや21世紀における地球コミュニティの共通ミッションとなりつつあります。ただこの議論は欧米先進国主導型で展開されており、日本やアジアの国々や地域がより切迫した形で直面している「自然災害による人間社会の安全・安心への脅威」の視点がともすれば欠落する傾向がある。また富める国や地域とは異なって、「貧困がもたらす人間社会の安全・安心への脅威」をも視野に入れた、より多様性と包摂性のある持続的成長モデルが提唱される必要性があります。
「持続的成長」が問題提起しようとしているもう一つのテーマは、20世紀型近代化技術がヒューマンスケールにあまりにも無関心であったこと、ともすればむしろそれを乗り越えることが自己目的化される嫌いがあったことについての反省だと思われます。事実、巨大化を推進し、ヒューマンスケールを越えることが社会や地域が進歩することであるという思想は都市や地域づくりにもいわば自明的に埋め込まれてきたようです。このことが今や都市・地域や国土づくりにおいて、むしろ大きな硬直性と没個性を生むとともに、潤いを欠いた無機質性の壁として立ちはだかっています。特に生活圏の基礎単位地域としてのコミュニティが活性化を果たすためには、木目のある地域のうるおいや、身の丈で感じる安心感・安定感を欠いた地域像は無力なものになることは明らかではないでしょうか。「持続的成長」に向かうためには、このようなヒューマンスケールを再評価し、その延長線上にあらゆる生き物と共生するビタシステムの構成員としての人間と社会をまず想定することから始めなければなりません。この意味で、これからの都市・地域づくりや国土マネジメントは、このような視点や洞察を踏まえた持続的成長モデルを持たずして、その舵とりは覚束ないと言えます。
社会が複雑化し、社会参加の当事者が多様化するに従って、リスクやコンフリクトがますます顕在化するとともに、それを認識した上で、できるだけ事前に取りうる手だてを講じておくことが求められる時代になってきています。たとえば前述したように、「持続的成長を大前提とした社会にいま私たちは向かっている」という近未来を見通した共通認識から早めに手立てを講じていくというアプローチがそれです。ただそのことがまた新たなリスクやコンフリクトに私たちが挑戦することを促すことになります。一方グローバル化やその反対のローカル化の同時進行で、社会が生産し、消費する情報も量的・質的にどんどん拡大化していく。これがさらに総合的なリスクマネジメントやコンフリクトマネジメントを求めることになり、結果的に、これからの時代は、好むと好まざるにかかわらず、多様なリスクとコンフリクトを直視し、マネジメントすることが社会システムに組み込まれざるをえなくなると考えられます。
このような中で、私たちが直面しうるリスクやコンフリクトは、まったく未経験のものであったり、その構造やメカニズムが部分的にしか分かっていないことがむしろ当たり前になる。それでいてあえてマネジメントを行うとすれば、それはとりあえず仮説的に対応を想定して、実際に少しだけやってみて様子を見ながら、軌道修正する。いや、むしろそのような手順を踏みながら、ステップ・バイ・ステップで前進していくルールを決めておいてアプローチする。このようなアプローチを先見的(anticipatory)・事前警戒的(precautionary) アプローチと呼ぶことは、特に持続的成長のマネジメント手法として知られていますが、今後、都市・地域づくりや国土マネジメントにおいてもこのようなやり方をとることが不可欠になってくると思われます。
先見的・事前警戒的アプローチの導入はいわゆるPlan-Do-Check-Actionのプロセスマネジメント を実行することを意味しており、この意味で、計画はマネジメントの領域に踏み込まざるをえないことになります。さらにその実践の現場として、具体のフィールドを持つともに、長期にわたってそこで観察・調査や分析・評価を重ねていくことが求められます。
このように、計画を研究するためには、フィールドワークの系統的な積み上げがきわめて重要になってくると判断されます。
社会基盤整備に即して当てはまる時代の転換現象は、社会基盤整備が、社会ストックの量的拡大としての概成期の目標と役割をほぼ達成しつつあるということです。それに代わって、21世紀の今は脱近代化・熟成社会に資するための社会基盤・社会ストックの精選・再編成・再形成の時代に入ってきたと言えます。
以上が、私が考える「時代転換の要諦」ですが、土木計画学のアイデンティティを再構築していくためには、まずそのルーツを探るということが大事です。私は、土木計画学の独自性として学際性・分野横断性が挙げられると考えます。そしてそれが「土木工学に関わる社会基盤開発・整備」という、一般性と包括性を持った基本的なメインテーマへのこだわりによって求心性を保持してきたという歴史的過程に目を向ける必要があると考えます。もとより、上述した時代変化の動向を受けて、「社会基盤開発・整備」の意味内容の再検討が必要であることはもちろんです。しかし、欧米の土木工学や都市地域計画に関わる学会において、「水」・「土」・「構造」などの仕切りを越えた計画学の確立は明確には志向されてこなかった。このことに留意が必要です。その常識に我が国は期せずしてか挑戦してきたのです。それは一定の歩みを遂げた。たとえば土木計画学は、一つの流儀として、交通現象を自前の現象とした、もう一つの仕切りの中で、交通工学や交通計画を発展させてきた。あるいは法定計画としての都市計画の枠組みを前提とした実務的知識体系を取り上げてきた。社会科学や政策科学の守備範囲にもっと軸足を移し、システム科学的なアプローチにより工学的な知識体系に結び付ける試みを重ねてきており、計画学の方法論構築の上で一定の成果をあげてきたといえる。しかし、土木計画学は「建設と開発のための工学」の一翼を担うことに徹するあまり、その枠組みを超えて、より良い社会と公共空間づくりという本来は原点とすべき問題意識の不断の形成と専門家精神の自己検証・実践を図ることを怠ってきたように思える。結果として、そのような姿勢とこだわりから時代精神にみあった社会(基盤)システムのデザインと発展を旨とする計画学という独自の領域を築くことまでにはいたらなかった。このことは「建設と開発」が社会的に自明の目標とはいえなくなった現在においては、前向きの展開を志向する上でむしろ自縄自縛となってきている。
それでは土木計画学はどのように新しきをたずね、変わるべきなのでしょうか。私自身は、21世紀型脱近代化・熟成社会における社会基盤・社会ストックの精選・再編成・再形成の時代にあっては、工学的知識技術をバックボーンとした社会基盤マネジメントの専門家がイニシアティブを取ることが期待される。そのような機会や現場がこれから次第に増えてくると確信しています。ただし、この種の専門家は、社会科学や人間科学との接点を築きうる素養と能力を有し、包括的な観点から政策論にも立ち入ることができるよう教育・訓練されていることが求められる。またそれができたときには、非工学的知識体系を背景にした専門家とは肌合いの違う、しかも技術的妥当性が担保できる点で強みをもったプロフェッショナルとしての役割と活躍が期待されると私は考えています。このような必要性は欧米でも変わることはないはずですが、土木工学や都市・地域工学などにおける計画の領域限定性という、欧米における学問的性向と壁は簡単にくずれることはないように思われます。(あるいは場合によってはスケールの大きな建築家がそのような役割を演じてきているのかもしれません。) なおアジアのうち、中国や韓国などの国では、近年において計画学が独自に発達してきた歴史は認められない。この意味で、これらの諸国が、アジア型モデルとして、土木計画学に相当するものを築いていく可能性があるのかもしれません。
ともかく、向こう十年間にわたっての土木計画学の日本モデルは、日本型市民社会モデルを想定した都市・地域ならびに国土の総合的なマネジメントのための知識・技術体系の構築をめざすべきものであり、その拡張型としてのアジア型モデルへの寄与が期待されるのではないでしょうか。
重要なことは、時代転換の不可避性という視座を欠いた縮み志向の土木工学に包摂される土木計画学では、その存在意義はありえないということです。逆に、土木計画学が、土木工学自体を市民システム(工)学へと柔軟に変容させ、時代の推移と社会のニーズに適応する形で進化していく。そのためのリード役を土木計画学が果たすことが、その存在意義を発揮する自画像と考えてはどうでしょうか。
私の二年間の任期に、皆様とそのような方向を目指して、ささやかであっても確かな第一歩となる共同作業を行い、そのプロセスを共同体験する。そのようなことができればと念願する次第です。よろしくご協力を御願いします。