「小布施まちづくり整備計画」は、時間をかけて丁寧に、既存の集住環境の整備に取り組んだ例である。建築および建築群と、道路や駐車場広場などのヴォイドな部分が、空間のスケールや、表層を乗り越えにじみ出る実体的テクスチュアという観点から、見事に意図的に仕組まれ、一体となって空間に性格を与えている。良質な建築と、良質な環境的屋外空間が連続的にデザインされて、優れた社会的空間の質を創出している。単なる表層のデザインの組み合わせではないところから来る質の高さが、市民にとって気持ちよい空間となっている。近年では観光の対象としてもにぎわっているようであるが、今回の対象エリアではない周辺の現況に関しては、観光産業という市場主義に陥って、少しく乱れた様相になっているとの話も審査委員会の席上では紹介されていた。この土木学会デザイン賞の受賞を契機に、そのあたりの社会的空間性の質に関する意味が再確認されれば、本賞の意味もまた大きなものになる。(江川)
30年の歴史の経緯をもつ“まちづくり”の総合力としての成果である。しかも“まちづくり”はまだ継続中であるところが感動的である。
1976年(昭和51年)「北斎館」開館をスタートに、数々の伝説的な活動に対して、数々の賞を受けている中で、今回デザイン賞として評価された点は何か。長年に渡って多くの関係者が統一的な視点と考え方を持ち、柔軟に協調しつつ、魅力的で完成度の高い“まち空間”をつくり上げたことにある。
美術館である単体建物からスタートして、この周辺の隣人の人々(小布施堂、長野信用金庫、高井鴻山記念館、市村(次夫)家、市村(良三)家、真田家)が自らの生活の空間を「場の風景」とする共有目標を持ち、「ソトはミンナのもの、ウチはジブン達のもの」を基本的な考え方とする、自主協定である小布施町並み修景計画が作られた。これに基づき、長期にわたって乱れることなく、建築物やミチ、広場等を複合的空間として、個性的で地域性のある新たな風景をつくりあげたことが賞賛される。
そのためには、信念を持つ強力なリーダーと、有能で粘り強い建築家によるコラボレーションが必要であった。
ただ一点懸念されることは、対象隣接地区に大型バスが進入する等、今後の車交通への対応が必要ではないか。(佐々木)
小布施のまちづくりは、私が環境デザインに興味を持ち出したころから、まちづくりの代表的なものとして評判になっていたものです。1976年からですからもう31年にもなるわけです。当初のコンセプトが30年の長きにわたり磨かれ継続している状況はまちづくりの本来のあるべき姿として敬服いたします。又このプロジェクトの素晴らしいところは、30年間緊密なコラボレーションを発展、維持してきた宮本忠長氏をはじめ、町役場、地権者であり事業者である方々、ア・ラ・小布施、そして東京理科大学・小布施町・まちづくり研究所などの関係者のネットワークにあります。それらの方々の絶妙なチームワークが有機的に機能し、ハードとしての街並みだけでなく町内のイベント、新商品の企画開発などを質の高いデザインによって展開し小布施町の生活文化そのものとして定着させている点は、景観デザインがどうあるべきかの、ひとつの解を示していると思います。(宮沢)
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