「ようやく日本にもこんな駅ができるようになったか」「これは、ひょっとしたら最優秀賞ではないか?」応募資料を目にした、審査員たちの感想である。しかし、現場を実見して帰ってきたものに、その言葉はなかった。それは、なぜなのか?
現地の待合室や仮設表示、商業施設などの運営上の施設類があまりにデザインレスなのである。駅舎自体の設計者に罪はないかもしれない。しかし、「場」は生きている。厳しい話であるが、運営内容までを含めて、計画しコントロールしてこそ「場」の価値は生まれるものである。この問題は、単に小田原駅に限った話ではない。むしろ、土木デザインの対象物全てにかかわる課題であるとも言えよう。とかく土木デザインにおいては、大きな計画や設計が良く出来ていても、最終的な現場レベルや運営レベルのディテールで全てを台無しにしていることが少なくない。今後に、大きな課題を残した作品であった。
(田中)
観光客として訪れれば、モダンでとても活気のある駅だという印象を受けるだろう。大きな空間を形成する基本構造は間違いなく最優秀賞レベルの出来である。ロマンスカーを降り、新宿側から大きな曲線を描く屋根の下に入って見上げると、気持ちのよい大きな空間が待っている。ところが目が慣れてくると、雑踏とばかり思っていたものが、所狭しと設置されたさまざまな管理設備や案内標識であることに気づく。エスカレーターを上り改札口に向かうと、自由通路には土産物屋が並び観光客で賑っている。再びホームに降り湯元側に歩いて行くと、なんとJR新幹線と在来線の乗換え通路が貫通し空間を塞いでいる。ホームに設置された休憩室のデザインも異質である。
数多くの関係者を収容する施設のデザイン性を維持することの難しさを感じさせた作品である。それでも一度出かけてホームから見上げてみる価値は十分にあると思う。
(西川)
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