「あたりまえのことを、ごく素直にデザインすること」その事がいかに重要であるか、私は津和野/本町・祇園丁通りに立って、改めて考えさせられた。津和野はもとより数々の景観的資産を持ち、市民意識も高い町である。この街の中心部に位置する道路の計画に際し、当初示された案はごく一般的なものであった。車道は脱色アスファルト、歩道は切石舗装を用い、白線効果を明確にしたものであったのだ。しかし、市民はそれを受け入れられないものとして拒否をした。その結果、白線効果を抑えた微妙な色調による全面切石舗装へと変更された。しかも、歩道面がイメージ的に車道面に延ばされたデザインとなっており、車両の走行速度を抑える効果も果たしている。そして、路側にはスケールを抑えた極めてシンプルな照明が設置されている。一見、何でもないようなのだが、実によく考えられたバランスが全体に保たれている。この道に立つと、「デザインの質」という言葉が浮かびあがってくる。これは、コンクリート強度や、塗装の耐用年数などのように定量化できるものではない。事実、元設計と施工されたものをスペックとして比較すると、車道部を切石舗装にした他は何も変わっていないのである。しかし、そこに明らかな違いが存在している。残念ながら、人工計算に基づく見積もり金額によって、設計者の選定を行うような制度下では、こうした「質」の高さは醸成されない。今後、「デザインの質」への評価が高まっていくことを願うばかりである。( 田中)
本区間に接続する二つの通りと比較すると、この空間の質の高さがよくわかる。殿町通りは津和野観光の名所だけに力が入ったデザインである。駅通りの方は、歩道の横断勾配がきつく歩きづらい。両方とも歩車道の段差をなくしたバリアフリー対応になっているが、実際は歩車道境界に2cm ほどの段差があり、照明灯やボラード、植栽が歩車道を区分している。結局、人は狭い歩道を歩くことになる。歩行者の安全に配慮しているようでいて、空間の主軸は車道である。
一方、本町・祇園丁通りは、道全体が歩道空間になっている。歩車共存の「生活空間」である。道がフラットで歩車道の形態的な区分がない。こんな単純なことでいかに歩きやすいか。整備前は歩道(路肩)を歩く人の割合が9割、整備後は歩道部4 割、車道部6 割になったという。つまり、路肩に追いやられていた歩行者が道全体を歩くようになった。事故は起きていない。歩行者がいると車は徐行する。人は端に寄り、また中に戻る。道を通るという感覚よりも生活空間に入る感覚。それが歩車共存の作法を生み出している。
古い家並みに囲まれた道の空間に、ボラードなど歩車区分の異物は持ち込まれていない。照明灯は民地境界に配置され目立たない。グレー系の石畳舗装も生活空間に溶け込んでいる。道端の家々には軒先があり、縁台が置かれたりしている。立ち話をしたり、子どもたちが軒先で遊んだり、生活空間としての道がそこにある。( 吉村)
|