所在地:高知県四万十市駅前町7-1 地図
事業者:土佐くろしお鉄道株式会社
氏名 |
所属(当時) |
役割 |
川西 康之 | nextstations 共同主宰 | ・コンセプト形成、基本計画、建築設計・監理 |
栗田 祥弘 | nextstations 共同主宰 | ・コンセプト形成、基本計画、建築設計・監理 |
柳 辰太郎 | nextstations 共同主宰 | ・コンセプト形成、基本計画、建築設計・監理 |
田中 全 | 四万十市長/土佐くろしお鉄道中村・宿毛線運営協議会 会長 | ・事業方針決定 |
池田 義彦 | 土佐くろしお鉄道(株)代表取締役 社長 | ・事業主体・施設管理責任者 |
佐竹 隆 | 佐竹建設 現場所長 | ・施工、家具モックアップ制作、各種調整 |
駅舎は写真から想像していたよりもずっと小さく、この日の曇り空も手伝いとても寂しい印象だった。駅前のロータリーにはタクシーが2台、駅前広場に接しているお店はシャッターがしまっていて、人が全然いない。
そんな事を思いながら駅の中に入ると、柔らかい照明の下で、セーラー服を着た女子学生や学ランの男子学生がカウンターテーブルやベンチにすわり、勉強、おしゃべり、読書と思い思いの時間を過ごしている。解放された改札の奥に進むと、ホームのベンチにも男女入り交じった学生達が楽しそうにおしゃべりをしている。
しばらくすると、急に駅に人が増えて来た。先ほどは全く車が無かった駐車場もマイカーで埋め尽くされ、室内のベンチもホームのベンチも人で一杯になる。そこに電車が到着し、電車から降りる人、乗る人で駅はにぎやかである。
なるほど、こういう空間なのかと思った。予算の関係もあったと思われるが、駅の中でリノベーションされた部分はほんの一部である。豪華な駅舎も、駅前広場の再整備もない。電車の待ち時間にちょっとした心地よさと会話を生むすごく単純な居場所を、提供しているだけである。
ランドスケープデザイン的な設計であると個人的に感じている。すでにある場所のコンテクストを読み取りながら、その空間の意味を問い直し、限られた予算を、街の人の小さな幸せのために賢く使う。土木デザインによる公共性の新しい発見である。(戸田)
小さな地方都市にある小さな駅舎のリノベーションである。単なる駅舎の改修であれば、土木学会で評価するには少々難しいところがあるが、これをまち再生の契機と捉えれば、同様に疲弊し続ける地方都市が参照すべき好例として高く評価できる作品である。
中村駅はもはや駅ではなく、まるで公園か公民館のような雰囲気である。大きく変わったのは、人々の時間の過ごし方だ。待合室で宿題をする小学生達や、ホームのベンチでぼんやりと景色を眺める老夫婦など、駅に降り立った瞬間のゆっくりと流れる時間の感覚は、列車の発着時刻にあわせて乗降のみを目的とする駅とは、明らかに違う。また、この駅の時間の流れは、旅人がこれから出会うであろう、四万十川流域のおおらかで美しい風景のはじまりを予感させてくれる。
僕は、地方都市の再生には「空きの価値を再考する」ことが大切だと思っている。一般的には、空き家・空き地がまちづくりの主題であるが、中村駅は「空き時間」に着目したところが秀逸だ。勘所は、入場時の出札と入場券を中止して、ホームの空き時間を市民に開放したことだ。鉄道事業者と設計者の間には相当の議論があったはずだが、その結果、ここには鉄道事業者と利用者の間に「信頼」という言葉がしっかりと根付いている。
小さな小さなデザインという行為によって、今後の暮らしを強靭に支える「時間と信頼」が生まれたことが、この作品の一番の価値だと僕は思う。(西村)
そんな事を思いながら駅の中に入ると、柔らかい照明の下で、セーラー服を着た女子学生や学ランの男子学生がカウンターテーブルやベンチにすわり、勉強、おしゃべり、読書と思い思いの時間を過ごしている。解放された改札の奥に進むと、ホームのベンチにも男女入り交じった学生達が楽しそうにおしゃべりをしている。
しばらくすると、急に駅に人が増えて来た。先ほどは全く車が無かった駐車場もマイカーで埋め尽くされ、室内のベンチもホームのベンチも人で一杯になる。そこに電車が到着し、電車から降りる人、乗る人で駅はにぎやかである。
なるほど、こういう空間なのかと思った。予算の関係もあったと思われるが、駅の中でリノベーションされた部分はほんの一部である。豪華な駅舎も、駅前広場の再整備もない。電車の待ち時間にちょっとした心地よさと会話を生むすごく単純な居場所を、提供しているだけである。
ランドスケープデザイン的な設計であると個人的に感じている。すでにある場所のコンテクストを読み取りながら、その空間の意味を問い直し、限られた予算を、街の人の小さな幸せのために賢く使う。土木デザインによる公共性の新しい発見である。(戸田)
小さな地方都市にある小さな駅舎のリノベーションである。単なる駅舎の改修であれば、土木学会で評価するには少々難しいところがあるが、これをまち再生の契機と捉えれば、同様に疲弊し続ける地方都市が参照すべき好例として高く評価できる作品である。
中村駅はもはや駅ではなく、まるで公園か公民館のような雰囲気である。大きく変わったのは、人々の時間の過ごし方だ。待合室で宿題をする小学生達や、ホームのベンチでぼんやりと景色を眺める老夫婦など、駅に降り立った瞬間のゆっくりと流れる時間の感覚は、列車の発着時刻にあわせて乗降のみを目的とする駅とは、明らかに違う。また、この駅の時間の流れは、旅人がこれから出会うであろう、四万十川流域のおおらかで美しい風景のはじまりを予感させてくれる。
僕は、地方都市の再生には「空きの価値を再考する」ことが大切だと思っている。一般的には、空き家・空き地がまちづくりの主題であるが、中村駅は「空き時間」に着目したところが秀逸だ。勘所は、入場時の出札と入場券を中止して、ホームの空き時間を市民に開放したことだ。鉄道事業者と設計者の間には相当の議論があったはずだが、その結果、ここには鉄道事業者と利用者の間に「信頼」という言葉がしっかりと根付いている。
小さな小さなデザインという行為によって、今後の暮らしを強靭に支える「時間と信頼」が生まれたことが、この作品の一番の価値だと僕は思う。(西村)
photo:nextstations
photo:nextstations
photo:nextstations