クリップメモ 1998年5月号

 

トンボ

 どのような業界にもその業界特有の言葉・用語というものがありますね.土木業界にもご多分に漏れず,いろいろな業界用語があるようです.そんな中から実際の現場で使われているものをひとつ紹介しましょう.

 道路や造成工事の現場では造成の仕上げ高さなどを現地に表示するために,地面に打ち込んだ測量杭の側面に短い木片(胴縁など)を打ち付けた小さい十字架が設置されています.その十字架には造成仕上げの高さなどの数字が書き込まれているので,重機のオペレータはそれを見て作業をするわけです.この十字架のことを現場ではその形から「トンボ」と呼んでいます.

 「トンボ」といえば野球のグランドの均しをするときに使用するT型の道具もそう呼ばれていますが,馴染みのある形,名前だけに他の業界にも「トンボ」と呼ばれているものがもっとあるのかも知れませんね. (大貫博司)

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眼鏡橋のなぞ

 眼鏡橋という名の起源は,長崎市の中島川に架かる眼鏡橋に象徴されるように,二連の半円アーチが川面に映える姿が眼鏡のようであることから生まれた呼称のようです.現在では,広く石造アーチ橋の一般名詞としてもよく用いられています.では,眼鏡橋すなわち石橋の起源はというと,世界的には,ヨーロッパ誕生説や中国誕生説があり,定かではありません.いずれにしても,わが国の眼鏡橋の由来は中国伝来説が有力です.

 わが国最古の石橋は,前述の長崎眼鏡橋で,江戸末期(1634年)に唐僧如定によって建造されたといわれていますが,記録によれば,琉球王朝時代に,明国王からの使者を迎えるために造られた長虹堤(1451年)が最初の眼鏡橋のようです.以後,昭和初期までに架けられ現存する石橋は約550橋といわれています.その内の90%以上が九州・沖縄に集中しており,本州以東にはほとんど見られないというのも不思議な気がします.

 当時,主流の木橋が台風や洪水のたびにしばしば流出していたことに原因するとの見方もありますが,九州の中でも台風の常襲地である宮崎や長崎に意外と少なく,熊本,大分に多いという事実もまた不思議です.いずれにしても,鉄砲やキリスト教ほどには関門海峡を越えて日本中に伝達されなかったことは間違いないようです.

(参考文献:太田静六編:九州のかたち眼鏡橋・西洋建築,西日本新聞社刊)(日野伸一)

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幻の沈船防波堤

 防波堤の構造にはさまざまなものがありますが,変わったものの1つに沈船防波堤があります.戦後連合軍の命令により解撤されることになっていた大型油槽船をクズ鉄にするのでなく,何か有効に活用する方策はないものかと考えられた際,海上に沈設して防波堤に流用できるのではないかと考えられ,施工されたものが沈船防波堤です.防波堤への採択理由は,船本体がそのまま使えるため工期が短い,資材が少ない,工事費が低廉ということであったようです.

 採用された港は,八戸港,小名浜港,若松港など7港で計16隻の船舶が利用されました.特殊な工法のため,昭和22年頃の施工での苦労はひときわであったようで,2年間での完成予定が4年間になった例も記録に残されています.八戸港では157mの船3隻が使われました.構造は船の中に重量を確保するための砂等を詰めたものとなっており,甲板に相当するところには,上部コンクリートを打設しているため,海面に出ている形状は通常の防波堤とあまり変わりませんが,外側は鉄板で,錆が発生するため維持管理には十分留意して永く保全するよう注意喚起していることが,当時の資料には記されています.建設当時は,帝国海軍滅亡の象徴として物議をかもしたようですが,近年港の拡張などで撤去されるものが増え,当時の姿を残すものがほとんどなくなってきています.(寺内 潔)

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