第4回 生物学編『生物との共存に向けた土木』
岩本 直樹 春井 雄介
食物連鎖から環境アセスメントまで多岐にわたってお話くださる由井教授
食物連鎖の頂点
ひとくちに生物学といっても,たいへん広い分野だと
思いますが,先生の携わってこられた調査・研究につい
て教えてください.
子供の頃は昆虫採集に夢中でしてね,それが高じて森
林や動物に興味をもつようになり,大学では自然動植物
を保護する研究をしていました.その後,当時の農林省
林業試験場鳥獣研究室で鳥類を保護するための生態調査
に携わりました.
当初は,ごく普通にいる鳥がなにをどれだけ食べてい
るか,そしてそれらの鳥の生息数をどのように把握する
のか,といったことが研究テーマでした.現在ではイヌ
ワシやクマゲラといった野鳥と土木事業との共存の方法
についての研究がメインになっています.
現在,イヌワシやクマゲラに注目されているのはなぜ
ですか?
猛禽類などの生態を調べると,自然環境と建設業や林
業との軋轢をどのように回避するか,重要な情報が得ら
れます.というのは,食物連鎖のピラミッドの頂点にい
るイヌワシなどが生息できる環境を守れば,地域全体の
自然が保護できるという考え方があるからです.現在地
球上に確認されている生物は,175万種.でも,実際には
この数の,10倍は新種がいるともいわれています.これ
らを全て把握するのは不可能ですから,食物連鎖の頂点
にいるものを特に観察するのです.
イヌワシを守れば,森が守れるということですか?
それは少し違います.特定の種だけを観察しているだ
けではいけません.食物連鎖の頂点とは,時間や場所に
よって変化します.例えば,昼間はオオタカ,夜はフク
ロウのようにね.また,ダムを建設する場合は,陸域と
水域に影響が生じます.陸域ではクマタカを,水域では
ウグイやコイなどを主食とする猛禽類のミサゴを観察し
なくてはなりません.このように複数の種を観察するこ
とが重要です.
図-1 食物連鎖ピラミッドの例
自然環境を守ることは,自分の生活を律すること
絶滅の恐れのある生物などが生息していない場合,生
態系への影響は考慮しなくてもいいのですか.
いいえ,決してそういうわけではありません.1993,年
に結ばれた生物多様性条約や,同年に制定された環境基
本法には,原生的環境はそのままで保護すること,そし
て人が手を加えた環境に関してもできるだけ豊かな自然
が守られることが盛り込まれています.というのは,例
えばイヌワシの場合,原生的環境だけでなく,人が手を
加えた環境にも適応することによって個体数を維持して
います.また,生物の中には,溜池の中のタガメやゲン
ゴロウのように人間の造った環境に存在する生物もある
んです.ですから,どのようなところでも生物の多様性
を維持することが重要なんですね.
逆に,都会のカラスのように多くなりすぎて困ってし
まうケースもありますね?
どんな生物も個体を増やそうとします.これは生物の
本能です.でも,ある種が増えすぎるというのは良いこ
とではないです.例えばカラスの場合,イワツバメのヒ
ナを襲うなどして,他の野鳥に大きな影響を与えていま
す.また,特別天然記念物のニホンカモシカも,今では
一部の地域で増えすぎて困っています.増えすぎたら,
減らさなくてはいけない,これが共存の基本的考え方な
のです.あまりにも動物愛護の思想に偏るのもいけない.
生態系のバランスが大切なのです.
そしてなにより生態系を守るというのは,自分自身の
生活を律することです.少なくとも生ごみの出し方ひと
つでカラスの異常繁殖は抑えられるのではないでしょう
か.
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写真-2 イヌワシ (写真提供:電源開発(株)) イヌワシ(タカ科・天然記念物):日本全国の産地に生息.生息環境の悪化に伴い,個体数が減少しており,現在日本での総個体数は推定で約300羽ほど.特に幼鳥の死亡率が高く,成鳥になる確率は約25%しかない.環境庁のレッドデータブックによる分類では、絶滅危惧IB類.(IA類ほどではないが,近い将来における絶滅の危険性の高い種.) |
写真-3 クマゲラ (写真提供:清田昌英氏) クマゲラ(キツツキ科・天然記念物):北海道,及び北東北地方の山林に生息する日本最大のキツツキ.ブナ林の減少とともに個体数が減少しており,特に本州のクマゲラは100個体を下回ったといわれる.環境庁のレッドデータブックによる分類では、絶滅危惧U類.(絶滅の危険が増大している種.) (ホームページ:http://www.d1.hotcn.ne.jp/~a-kiyota/home.html |
環境アセスメントの将来
では,現在自然環境の保護のために日本で行われてい
る環境アセスメントは,十分に機能しているのですか.
かなり機能してはいますが,調査の客観性の点でいく
つか問題があるように思えます.まず,現在のアセスメ
ントは事業者自らが調査していますね,いわゆる事業者
アセスメントといわれるものです.これには「事業は必
要だ」という前提があります.それに対して外国では計
画(戦略)アセスメントという手法がとられています.
これは事業の必要性を問うもので,見直しを求める可能
性も含めたアセスメントです.これだと中立性を保てま
すね.
加えて,アセスメントは最新の統一的手法でやるべき
だと思います.基礎研究などによって最善とされる手法
が生み出されていますから,それらを用いて行っていく
こと(適応的管理)です.初めから完全な手法などあり
ません.トライ&エラーの繰り返しです.
調査を行うコンサルタントなどに求められることはあ
りますか?
例えば,生物分類技能検定など調べる側の客観性を保
てるような資格取得を目指すべきでしょうね.それにコ
ンサルタントが調査内容を隠したり,調査を怠ったまま
にならないように環境Gメン(監察員)のような役割をもつ人も求められます.
行政による情報の公開も重要なんですよね.
ええ,そのとおりです.ただ,すべての情報を公開すればよいかというとそういうわけではありません.これ
は非常に悲しいことなのですが,希少種の生息している
場所を公表すると,翌日には居なくなっているケースが
あります.一般の方が捕っていってしまうんですね.現
状の日本は非常にモラルが低いです.だから,全てを公
表することはできないんです.それで,環境保護団体か
ら,データの不透明性・信憑性を問われることにもなっ
ています.情報公開だけではなくて,国民のモラルを向
上させることも必要ですね.
土木事業と環境保護の両立
野生生物と人とが共存していくための基本的な考え方
について教えてください.
共存という言葉は,大切な言葉ですね.日本語には,
共存に似た言葉に,共生という言葉があります.でも,
生物学者の間では,共生するということは現実には無理
といわれています.なぜなら,今や人間は自然を壊すこ
とによって生きているからです.故に,かつての自然生
態系における生物同士の相互関係,つまり共生は無理な
のです.そうすると,現実的な方法として共存となるん
です.生業(なりわい)と野生生物との共存は可能だし,またしなけ
ればならないんです.先ほども触れましたが,イヌワシ
はもともと原生的自然に存在した生き物ですが,現在で
は,原生的自然でない環境にも生息しているんですから.
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図-4 タガメ (写真提供:奥山 久) タガメ(コオイムシ科):全国各地に生息する日本最大の水生昆虫.肉食性であり,メダカやカエルなどを食べる.かつては全国の田んぼや池,沼などに生息していたが,農薬に非常に弱いこともあり,近年個体数が激減している.環境庁のレッドデータブックによる分類では、絶滅危惧U類.(絶滅の危険が増大している種.) |
土木構造物は完成してからまだ数十年しか経っていな
いために“なじんで”いないだけ,とは考えられませんか.
確かに,そういう面も一面ではあるかもしれません.
文化庁などでは,できてから50年経ったものは人工的
なものであっても存在意義があれば文化財に指定するよ
うですし.溜池などは,今では自然の宝庫になっていま
すよね.このように,元には戻らないけれども,次善の
策としてよい場合も存在します.ただ,ダムができると,
ダムの上流と下流で生態系が切れてしまい,元の生態系
に戻らないことは事実です.大切なのは,必要な事業は
やるし,必要でないものはやらないという姿勢です.
長野県の「脱ダム宣言」についてご意見を伺えますか?
日本は,アメリカなどと違って人口密度が高いので,
氾濫する可能性のある場所にも人が住まざるを得ない.
また,地形が急峻で一気に水が流れます.ですから,ダ
ムも必要があれば造らざるをえないですよね.
大切なのは,繰り返しになりますが,必要性があるの
か,ないのか,です.もしも,治水の必要性があるのに
環境を優先してダムを造らなかったとして,洪水が生じ
た時,誰が責任をとるのでしょうか.またダムを造らな
くてもすむ代替案があるでしょうか.この二点を満足で
きるのであれば,造らなくてもいいんです.
一方,ダムを含む開発事業における問題として,現状
ではある種が滅んだ時,その損失価値は計れない,とい
うことがあります.これを人間の経済的損失としてとら
える,つまり金額に換算して評価するのか,それとも哲
学的,環境倫理的な評価が必要なのか,これは難しい問題ですね.
上高地や乗鞍高原などではマイカー規制が計画,実行
されていますが,どのようにお考えですか.
観光バスとマイカーを比較したら,一人当たりの排出
する排気ガス量が違いますね.それに,交通量が減らせ
るということは,車に轢かれる動物も減るということで
す.ただ,これからは観光バスも環境に優しいエネルギ
ーで運行してほしいですね.
土木を学ぶ学生へのメッセージ
土木事業と環境保護というのは両立するために,土木
を学ぶ者が心がけなくてはいけない事とはどんなことでし
ょうか.
生物というのは,普通の状態であっても個体数の大小
があります.これは,食物連鎖のピラミッドを考えれば
明らかです.そして,ある種が一定の個体数を超えて増
減すると,生態系の構造がゆがんでしまいます.都会の
カラスの異常増殖などはまさにいい例ですね.
土木事業についてもこれと同じことがいえるのではな
いでしょうか.土木事業のみが発展すると,日本中がコ
ンクリートになってしまいますよね.何事もほどほどが
大事なんですよ.もしも,土木構造物がメインテナンス
いらずで,自然と共存できるものならば,いくら作って
もいいんでしょうけれど.
また,自然の力を活かさない土木事業は必ず自然の反
逆に遭います.だから,自然の力を活用した土木工事を
目指して欲しいですね.例えば,河川改修工事で直線化
した河川は,かえって流速が速まったり,下流で洪水が
起きたりします.そこで世界的にも今は,以前の自然流
路形態に戻すような工事,工法が取られています.遊水
池設置なども自然(力)を活用した例です.法面緑化も
自然に再生するように仕向ける方策が取られつつありま
す.まだ一部ですが.
表-1 わが国おける絶滅の恐れのある野生生物の種類
最後に,土木を学ぶ学生へメッセージをお
願いします.
現場において空や水を,自分の目で見て
仕事をして欲しいですね.机上の設計だけ
では見えてこない部分が必ずあります.決
して「木を見て森を見ず」ということにな
らないようにしてください.また,アメリ
カの環境保護学者レスター・ブラウンが言
っているように,経済や効率性を目的とす
るのではなく,環境を第一義にして土木を
進めていって欲しいです.
そもそも,市民一般,自然保護NGO,
土木事業者の三者の間には,意識に違いが
あるんです.これは仕方がないことです.
だからこそ,円卓会議などで意見を交える
ことが大事なんですね.
取材後の感想
雄大な岩手山の麓のキャンパスでインタ
ビューをしてきました.由井先生は,環境
白書など資料を使いながら,難しい言葉を
使わずていねいに教えてくださいました.
土木事業を行った場合,行わない場合,それぞれの結果
生じる責任を誰が負うのか,とても考えさせられました.
(学生編集委員 岩本直樹)
由井先生の話,非常に新鮮な感動がありました.生態
系のバランスから,土木構造物のバランスを説明された
時は,びっくりしましたが.必要な事業はやるし,必要
でない事業はやらない,これは土木事業にとって一番大
切であると同時に,きっと一番難しいことなんですよね.
(学生編集委員 春井雄介)
(6月17日 岩手県立大学にて)
Copyright 2001 Journal of the Society of Civil Engineers