古市公威とその時代
目次
巻頭口絵「古市公威とその世界」
(1)幼年時からフランス留学に至るまで(1854-1880)
(2)内務省技術者時代(1880-1886)
(3)帝国大学学長・内務省土木技監・土木局長(1886-1898)
(4)逓信次官・京釜鉄道総裁・総督府鉄道管理局長時代(1898-1907)
(5)工学界・工業界の重鎮・長老時代,万国工業会議(1907-1934)
第1章 学生時代
1.1 新たな古市像に向けて
1.2 日本:国家の意識
1.2.1 洋学との出会い
1.2.2 14歳,国の最高学府へ
1.2.3 リーダー古市
1.2.4 諸芸学の精神
1.2.5 留学への想い
1.3 フランス:近代工学の光を求めて
1.3.1 船出
1.3.2 近代工学教育の洗礼
1.3.3 「シヴィルエンジニア」養成学校
1.3.4 フランス式シヴィルエンジニアの活動実態とその理念の限界
1.3.5 入学,そして土木
1.3.6 勤勉で優秀な学生
1.3.7 西欧土木事業への眼差し
1.3.8 フランス語で書かれた東京築港論
1.3.9 総合性の追求:パリ大学
1.4 青年古市の肖像
第2章 古市公威と教育
2.1 古市と教育の関わり
2.2 古市の工科大学への就任の経緯
2.3 帝国大学工科大学の設立と教育内容
2.4 工科大学のカリキュラムの思想
2.5 諸芸学を目指した講座案
2.6 土木工学科の教官の変遷
2.7 教育における古市の今日的意義
第3章 明治の国土づくり
3.1 大久保利通の国土構想と起業公債事業
3.2 明治20年代初頭までの国土づくり
3.3 明治20年代中頃から30年代にかけての国土づくり
3.4 明治40年代から第一次世界大戦に至る国土づくり
3.5 第一次世界大戦後から昭和初期に至る国土づくり
3.6 近代第一期国土づくりから第二期国土づくりへ
3.7 各事業間の連携
第4章 古市公威と河川事業
4.1 明治期の河川事業の概況
4.1.1 河川行政機構
4.1.2 河川に関する法規
4.1.3 河川技術者
4.1.4 河川事業の概況
4.2 豊平川堤防修築事業
4.2.1 堤防修築計画立案の経緯
4.2.2 堤防修築計画の概要
4.2.3 堤防修築計画提出後の経過
4.3 信濃川河身改修および堤防改築事業
4.3.1 河身改修および堤防改築事業実施に至る経緯
4.3.2 河身改修および堤防改築計画の概要
4.3.3 河身改修および堤防改築計画提出後の経過
4.4 印旛沼開疏意見
4.4.1 印旛沼開疏意見提出に至る経緯
4.4.2 印旛沼開疏意見書の概要
4.4.3 印旛沼開疏意見提出後の経過
4.5 淀川改修
4.5.1 淀川改修の課題
4.5.2 淀川改良計画
4.5.3 改修事業の着工
第5章 古市公威と港湾事業
5.1 港湾事業の概況
5.1.1 港湾と鉄道
5.1.2 近世港湾の課題
5.1.3 近代港湾整備
5.1.4 古市と港湾事業
5.2 仙台湾築港事業−野蒜築港から塩釜築港へ
5.2.1 大久保利通の構想と野蒜築港計画
5.2.2 ファン・ドールンの野蒜築港計画と築港事業
5.2.3 野蒜港の放棄
5.2.4 その後の仙台湾築港計画
5.2.5 古市と仙台湾築港計画
5.2.6 仙台湾築港事業着手
5.3 新潟築港
5.3.1 1869年1月1日(明治元年11月19日)の新潟開港
5.3.2 起業公債事業と新潟港
5.3.3 明治10年代後半の新潟築港の動向
5.3.4 信濃川河口修築工事
5.3.5 信濃川改良工事(大河津分水工事)
5.3.6 新潟港修築工事
5.4 東京湾築港−横浜港と東京港の築港
5.4.1 明治初期の東京港計画
5.4.2 横浜港修築第一期事業
5.4.3 古市の計画による横浜税関拡張工事(横浜港修築第二期事業)
5.4.4 古市,中山秀三郎による東京築港計画
5.4.5 隅田川河口改良工事
5.4.6 京浜運河計画と東京港修築事業
5.5 大阪築港
5.5.1 近世末期の大阪港の課題
5.5.2 ブラントン,ファン・ドールンによる大阪港整備計画
5.5.3 デ・レーケの大阪港築港計画
5.5.4 築港調査委員会による修正と築港事業の成立
5.5.5 帝国議会での古市の説明
5.5.6 大阪築港事業とその後
5.5.7 第一次大戦時からそれ以降の状況
5.5.8 神戸港建設
第6章 古市公威と鉄道
6.1 鉄道事業の概況
6.2 鉄道作業局
6.2.1 鉄道作業局の性格と組織
6.2.2 古市の鉄道作業局長官就任
6.2.3 鉄道作業局における古市
6.2.4 古市の鉄道作業局長官休職
6.3 京釜鉄道および韓国統監府鉄道管理局
6.3.1 朝鮮半島の鉄道史と京釜鉄道の設立
6.3.2 古市の総裁就任
6.3.3 京釜鉄道の速成工事
6.3.4 京釜鉄道の開業式典
6.3.5 京釜鉄道の国有化と韓国統監府鉄道管理局の発足
6.3.6 京釜鉄道の清算と統監府への移行
6.3.7 韓国におけるエピソード
6.4 鉄道会議
6.5 鉄道国有調査会
6.6 広軌改築準備委員会
6.7 東亜鉄道研究会
6.7.1 東亜鉄道研究会の創立
6.7.2 東亜鉄道研究会の活動
6.7.3 孫文の来日と東亜鉄道研究会
6.8 東亜興業
6.9 東京地下鉄道
6.9.1 東京市内外交通調査会と東京地下鉄道
6.9.2 東京地下鉄道の設立と古市の社長就任
6.9.3 東京地下鉄道の着工
6.9.4 東京地下鉄道の起工式
6.10 鉄道にとっての古市,古市にとっての鉄道
第7章 古市公威と水利事業
7.1 古市公威と都市水利事業
7.1.1 江戸の都市水利
7.1.2 衛生思想の移入と都市水利の改善
7.1.3 明治期の近代都市水利−上・下水道
7.1.4 古市と近代都市水利
7.1.5 古市と東京市区改正
7.1.6 大正期から昭和9年までの都市水利
7.2 古市公威と水力発電事業
7.2.1 わが国の水力発電事業の概観
7.2.2 わが国の水力発電を中心とするダム建設の概観
7.2.3 古市公威と水力発電
第8章 集大成の時
8.1 古市の晩年
8.2 万国工業会議開催の時代背景
8.2.1 国際化の時代:交流と自立
8.2.2 産学連携の時代
8.2.3 技術者の総合性と国家運営意識の高まり
8.2.4 時代の結節点としての万国工業会議
8.3 万国工業会議
8.3.1 開催の経緯
8.3.2 予行演習
8.3.3 準備
8.3.4 開催
8.3.5 見学旅行
8.3.6 成果
第9章 古市公威と国土づくり
9.1 古市の時代の社会基盤整備
9.2 古市の活動の時期区分
9.3 古市と内務省土木行政
9.4 古市と鉄道行政
9.5 古市と軍事
9.6 古市と足尾鉱毒事件
9.7 古市と土木技術
9.8 古市と国土づくりの理念
9.9 古市の仕事ぶりと自己評価
第10章 明治・大正期の工学の役割と社会的地位
10.1 はじめに−明治日本の象徴山縣有朋を支えた技術官僚・古市公威
10.2 維新期軍人から政治家への山縣有朋の歩みと交差する古市公威の歩み
10.2.1 山縣有朋内務卿になるまで
10.2.2 内務省土木局の技術官僚になるまでの古市公威
10.2.3 お雇い外国人と交代する日本人技術官僚の登場
10.3 憲法・議会体制へ向けての準備過程
10.3.1 地方自治の制度化
10.3.2 内閣制制定と官僚登用制度の整備
10.4 地主制と河川法
10.4.1 低水工事から高水工事へ
10.4.2 土木監督署から土木出張所へ
10.5 朝鮮での鉄道建設に活躍
10.6 技術官僚を辞して技術界・工学界のまとめ役として活躍
10.6.1 サン・シモン主義
10.6.2 土木学会の初代会長
10.6.3 工業動員への関心と連合工業調査委員会・工政会
10.6.4 工学会大会から万国工業会議へ
第11章 古市公威の趣味・好事
11.1 古市と能
11.1.1 能とは何か
11.1.2 明治における能の位置
11.1.3 古市と能との関わり
11.1.4 能楽会問題
11.1.5 梅若流創立問題
11.1.6 能をめぐる交友
11.2 古市と数学
第12章 補論
12.1 これまでの古市研究と本書の立場
12.2 山田寅吉
12.3 これからの国土づくりと土木技術者
あとがき
索引
執筆者紹介