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第I編 激動の10年を振り返る

第1章 歴代会長が語るこの10年

6.21世紀の日本における社会資本整備と技術開発の方向性を2000年レポートに結実

鈴木 道雄 第88代会長
鈴木 道雄(すずき みちお) Michio SUZUKI 第88代会長
 (1933〜)名誉会員 1956年東京大学工学部土木工学科卒,建設省へ入り,四国地方建設局長,技監,事務次官をへて90年退官.91年日本道路公団総裁,98年退職.同年より道路環境研究所理事長ほか駐車場整備推進機構理事長,02年より関東建設弘済会理事長,全日本建設技術協会会長を務めている。また00年から02年まで、日本道路協会会長,00年から01年まで土木学会会長を歴任.

課題と方向を定めた2000年レポート

私が会長に就任したのは,2000年6月から,2001年5月までの1年間である.会長就任直前に,土木学会の活動の基本的な方針として,「2000年レポート−土木界の課題と目指すべき方向−」が,理事会で承認された.そのなかでは,土木界の現状認識を前提に,これからの土木技術者の活用や教育,今後の事業のための量と質,技術開発の現状と課題などについて検討を行った.まさに,2000年レポートを具現化することが,会長としての私の仕事となった.
 社会資本整備,いわゆる公共事業については,1999年〜2000年にかけ,多くの批判が出てきた.振り返ってみると,日本の社会資本整備は,戦後国土の復興を経て,欧米諸外国に追いつけということで進められ,確かにある水準に到達した.しかし,その結果,社会資本整備の負の影響も出て,批判へとつながったといえる.今後は,少子高齢化を控え,経済成長が鈍化するとともに,公共事業費についてもそれほど増やすことができない.1998年をピークに,2000年には実質的にも下がってきた.そうした状況を踏まえて,2000年レポートは議論されていたのである.
 私が会長在任の2000年には,全国大会が東北の仙台であった.そこで,2000年最後の総括として,土木技術をアピールしようということになった.前年には,土木技術者に対する批判があるなかで,質の向上を図らなければいけないと,倫理規定が改定されていた.社会資本整備の担い手として,土木技術者は使命感をもたなければならない.そこで,土木技術者の倫理を,仙台宣言として盛り込んだのである.土木技術者のあり方や,社会資本整備の意義・理念といったものを,一般の方にもアピールしていくという面で,仙台宣言は大きな意義があったと思っている.
 当日の会長特別講演では「社会資本整備の課題と土木学会の役割」ということで,仙台宣言にも関係する話もさせていただいた.

土木技術者の決意をまとめた仙台宣言

 仙台宣言をつくるときに,一番問題になったのは,現状認識である.私自身では,社会資本整備が大きくなることによって,負のインパクトも大きくなってきたと思っている.
 それは,ひとつは,環境や自然破壊の問題に対して,手当てが遅れたことである.また,我々がやっている仕事を国民や地域の人に理解してもらう,説明責任に対する努力の欠如である.
 土木技術者はどちらかというと,まじめに仕事をして,やるべきことをやっていれば,評価されると思っている.自分で何かを言うのは,美学に反するという思いがある.それは悪く言えば,黙ってついてこいという思いに通じるところでもある.それが,事業執行上の不透明さにつながっていった.
 1993年から1995年にかけ,公共事業に絡み,多くの不祥事が表面化してきた.そこには,契約上の問題がある.国土交通省も,事業執行上の不透明さへの批判に対して,今までの指名競争入札から一般競争入札に変えてきた.
 そういった現状認識を,仙台宣言に盛り込むかどうか,議論があった.当初宣言案には,反省の色が強かったが,あまりにも自虐的という意見が出て,緩くなった.逆に,表現が甘いのではないか,反省が足りないと言う意見もあった.単なるパフォーマンスに過ぎず,よりよい社会資本整備につながるのか.いや宣言で偉そうに言うのはどうか,など様々な意見があった.仙台宣言は,土木学会会員全員の共通理解を得ているのかという厳しい指摘もあった.
 私自身,こうしたことを念頭に置いて,様々な委員会に臨んだ.すべて解決したかというと難しいが,2000年レポートや仙台宣言は,土木学会のひとつの行動の指針としては非常に有効であったと確信している.今後も,これらをベースにやっていっていただければと思っている.

土木技術者の資質向上を図る

 2000年レポートは,基本的な見解であり,それらを実現するためには,土木技術者の質の向上を図らなければならない.そこで,具体的に土木技術者の資質向上のために,いくつかの制度をつくった.
 そのひとつが,土木技術者の資格制度である.前任の岡村会長が熱心に進められていたことで,私もこれは大事なことだと思っている.土木技術者は,これまでゼネコンに勤めている,国交省にいるということで,個人の能力よりもその人の属する集団により,その評価が左右されていた.だから,橋を架けても名前が出ない.そのことによって,能力のある人が埋もれてしまうということがあった.やはり一人ひとりが責任をもつためにも,土木技術者の資格は必要である.
 国家資格としては技術士などの資格はあるが,それはあらゆる技術共通で,しかもある一定のレベルを保証するものである.医師の資格は国家試験だが,たとえば内科の専門医であるということは,それぞれの学会が認定している.それと同じで,技術士という国家資格とは別に,この人は橋梁の専門家であるということを,土木学会が認定する.それは非常にいいことだと思う.
   また,2000年に技術士法の改正で,資格取得後の研鑽が技術士の責務となったが,資格制度と関連して,土木学会の継続教育制度をスタートさせた.特に,日々の継続教育の記録を自己管理するための「継続教育記録簿」を発行.私がその第1号となった.
 定年後の土木技術者の活用や,雇用機会の増大を図るため,土木技術者登録制度もつくった.市町村や地方公共団体で,専門の技術者が不足しているところで,活用してもらえればと思う.
 加えて,会長特別提言委員会として「社会資本整備と技術開発の方向に関する検討委員会」を設置し,そのなかで,産・官・学が連携した横断的な技術開発体制の確立を掲げた.最近は,それらの連携が弱くなっており,公募型の研究開発を行い,研究助成金を交付するということも検討した.当初は国と連携し,助成金を土木学会が預かり,委員会で助成をすることを考えたが,直接では問題があり,難しいということになった.現在では,国に委員会をつくり,助成金を出し,実務は土木学会が行うという形になっており,それなりの成果はあったのではないかと思っている.こうした支援制度が,今後も伸びてくれることを願っている.
 さらに,検討委員会では,新技術の評価や,国際的な評価について土木学会が行うべきだという評価制度の確立の提言も行った.これらの提言が,後の土木学会技術評価制度につながっていった.

韓国分会設立総会に出席

 就任中の出来事の中でも,国際活動は特に印象が強い.前年の1999年に台湾に分会ができたのに続き,韓国に分会をつくることになった.並行して,海外支部規定がなかったので整備を行った.そして,2000年7月にソウルで韓国分会設立総会を開いた.その時,黄(ファン)さんという東北大を出て,延世大学で教授をやっておられる韓国土木界では重鎮の方に,分会長になっていただいた.後日談になるが,8月にソウルで開催されたアジア土木学協会連合協議会(ACECC)に行った時に,黄さんにより,皆さんの前で分会設立の功績を讃えていただき,大変面目を施した.
 また,米国シアトルでのASCE全国大会,韓国でのKSCE全国大会,台湾での中国土木水利工程学会全国大会に続けて出席.東京で開催された第2回アジア土木技術国際会議にも出席した.さらに,米国のASCEが選んだ20世紀のミレニアムモニュメントがあり,運河ならスエズ運河,トンネルならユーロトンネルというように,20世紀を代表する土木技術を顕彰するもので,国際空港として関西国際空港が選ばれた.そういう意味で1年の任期にも関わらず,多くの国際会議に出席させていただいた.
 最後に,付け加えておきたいのが,土木図書館の改築である.80周年記念事業の時に,土木学術資料館を川崎の浮島に建設しようという計画があった.ところが,浮島はアクアラインの開通以来,開発が進まず,つくっても行くのが不便ということで,その土木学術資料館建設のための寄付金を引き継いでいた.一方,土木学会の図書館が老朽化しており,資料の保全にも問題があった.
 そこで,図書館と一緒に会館も直そうということになった.土木学会の敷地は江戸城のお堀の跡にあり,文化庁から許可を得なければならず苦労したが,理解を得て,許可をいただいた.さらに,会員個人の寄付を2回にわたり募り,皆さんの浄財や努力によって,会長の任期中の2001年5月24日に図書館の起工式を行うことができた.現在では,見違えるような立派な図書館ができ,当時の会長として喜ばしい出来事であり,会員皆さんにはいまだに感謝の気持ちでいっぱいである。

interviwer:三好 逸二(三井共同建設コンサルタント常務取締役)
date:2004.9.7,place:土木学会土木会館応接室

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