東海道線の建設にあたり、国府津駅から沼津駅に至るルートは、当時の技術では箱根山系を大きく迂回せざるを得ないため、延長約60qの御殿場廻りであったが、輸送力増強等の目的で熱海経由の熱海線と呼ばれる延長約49qの新ルートが大正7年から工事が開始され、難工事の末に昭和9年にようやく完成した。
この工事により沿線の小田原、熱海など地域は劇的に都市として大きく発展することになるが、鉄道施設群を見ると当時、純国産の技術が進み、日本を大きく横断する「大動脈」を創ろうとしていた意気込みが見られる。工事中に起きた関東大震災、北伊豆地震や丹那トンネルの難工事を乗り越えながら完成に至り、土木技術の発展を物語る貴重な土木遺産が数多く残っている。
・酒匂川橋梁(貨物線)
大正時代に入りようやく純国産の橋梁生産が可能となった、鉄道橋黎明期の代表的鋼橋である。当初から複線、電化で建設され大正9年に完成した。来年で100年を迎え、関東大震災の震源地に位置しながら、周辺の橋梁が壊滅的被害を受けたにも関わらず、施設は「ほぼ被害なし」と診断され、1か月後には仮供用により地域の物資輸送に貢献している。関東大震災の震源地において耐震技術の高さが伺える、現存する唯一の橋梁である。また、黒澤明監督作「天国と地獄」の身代金受け渡し場所として使われている。
・白糸川橋梁
関東大震災による地滑りにより上部、下部工とも崩壊。しかしながら、ためらうことなく同形態で復旧工事は始まり、ほぼ1年後には完成。海岸沿いに架けられたトラス橋は鉄道マニア等に人気が高く、多くのコマーシャルにも採用され、「神奈川の橋百選」にも選ばれている。
・丹那トンネル
多くの犠牲を払い、困難を克服して達成した世界に誇る日本のトンネル技術の原点がここにある。丹那方式と呼ばれる水抜き抗、セメント注入法、圧搾空気掘削法など日本の工事で初めて実用化された工法が数多くある。
・桑原川橋
函南駅西側の来光川に架かる橋で、丹那トンネルのズリを橋の上に約20m 盛土し、そこを鉄道が走る。珍しい三連のアーチに自然石のポータルが施され、地域のシンボルとして親しまれている。
一方、旧熱海線の工事中には幾多の困難、大きな災害(関東大震災、北伊豆地震)によって多くの犠牲者(丹那トンネル67名、白糸川200名他)が生じており、丹那トンネルや根府川駅周辺には地元有志による慰霊碑が建てられ、現在でも花々が絶えず地域と共に歴史を歩んでいる。