① 概要
新潟県の砂防事業の歴史は古く、今から約100年前の1921(大正10)年に開始し、関川支流万内川に県内最初の空石積堰堤を施行したのが始まりである。
また、新潟県では全国に先駆け、1950(昭和25)年に水平ボーリングによる地下水を排出する工法を開発し、その後も、滑り面に関わる深層地下排水を目的とした集水井工等を開発した。
集水井工であるが、1955(昭和30)年に柏崎市(かしわざきし)高柳(たかやなぎ)町にある栃ヶ原(とちがはら)地すべりにおいて、第1号集水井が日本で初めて建設され、地域の防災に寄与するとともに地域の発展に貢献してきた。この工法は、その後全国に普及し、著しい防止効果を発揮することになった。
なお、本施設は、建設から60年以上経過しているが、今も現役で活躍している。
② 歴史的背景
栃ヶ原地すべり地区はJR柏崎駅から南南東へ約20km、標高200~250mの丘陵地に位置し、1860年に大規模な地すべりが発生して田畑や人家に甚大な被害が生じ、その後も繰り返し地すべりが発生したといわれている。
1955年12月に栃ヶ原地すべり第1号集水井が完成し、古くから地すべり被害に苦しんできた地域の防災に寄与するとともに、地域の景観の保全と発展に貢献してきた。
③ 希少性・独自性
1)日本初の集水井
集水井は、新潟県の技術者が開発したものであり、柏崎市高柳町栃ケ原字大杉の栃ケ原地すべりにおいて、日本で初めて建設され、直営で施工された。
なお、開発に当たっては、新潟にあった駐留軍のCIA図書館で見た本(地すべりの論理的な事が書いてあるが図面の記載は無い)に、記載されていたラジヤルウエル(今でいう集水井戸)と満州井戸からヒントを得て行われた。
2)集水井の形状の工夫
当初、県ではケーソン工法を応用して、四角形の現場打鉄筋コンクリートを考えたが、土圧や現場での施工性からこれを断念し、放射状に集水ボーリングを施工することとし、円形の方が土圧に有利であることから、円形の集水井を考案した。
3)集水井の施工の工夫
施工中の土圧を軽減させるため、地上から10m程度45°勾配でオープンカットし、カット面から計画深度まで井内を掘削して、現場打ち鉄筋コンクリートを自重により沈下させ集水井を構築した。沈下後には、井戸を継ぎ足し、深度を下げていったが、自然沈下が困難な場合は、土のうなどで荷重をかけて強制的に沈下させた。
4)その他
当施設は、令和元年12月5日に登録有形文化財に登録された。
④ 地域のコミュニティー活動としての利用
柏崎市高柳町にある「新潟県立こども自然王国」では、来園する子供達に様々な体験プログラムを提供しているが、令和2年度から栃ヶ原地すべり第1号集水井の見学を含む体験プログラムが追加される予定となっている。