志免竪坑櫓、“見守り保存”へ

 山田 圭二郎(オリエンタルコンサルタンツ)

旧志免炭鉱跡(福岡県糟屋郡志免町)に残る炭鉱施設・志免竪坑櫓が、現状のまま保存(見守り保存)されることが決定した。

志免炭鉱所は、軍艦の燃料としての石炭採掘を目的として海軍省により開設された施設で、竪坑櫓は昭和18(1943)年の竣工。坑夫や石炭、資材の搬出入用の捲揚機を頭頂部に備えたワインディング・タワー型(塔櫓捲式)で、鉄筋コンクリート造、高さ53.6mの巨大な構造物である。同形式のもので現存するのは志免町の竪坑櫓のみで、石炭採掘時の残土を積み上げてできた“ぼた山”と炭鉱施設とが一体的に残っている点でも稀有な例だという。昭和39(1964)年の閉山後も、その圧倒的存在感から町のシンボル的存在となっている。

建設から60年余りを経た竪坑櫓は、平成16年に福岡を襲った相次ぐ台風により剥離したコンクリート片が落下・飛散するなど、施設老朽化に伴う危険性の増大が懸念されたため、所有者であるNEDO(独立行政法人 新エネルギー産業技術総合開発機構)が解体の意向を表明。町は、九州産業大学を中心とする専門家に、竪坑櫓の保存可能性に関する検証を依頼し、「地震等の外部からの強い衝撃等がなければ耐久性は十分ある」との検証結果を得て、平成17年秋に、見守り保存を決定。本年4月、「公共・公益の用に供する」ことを条件に、NEDOから無償譲渡された。

志免竪坑櫓は、土木学会による近代土木遺産評価でAランク(重要文化財に相当)に評価されており、平成14年には、土木史研究委員会から「志免竪坑櫓の保全的活用に関する要請書」が提出されている。最近は、「志免立坑櫓を活かす住民の会」による署名運動、シンポジウムやイベントの開催など、保存・活用を求める地元の声も盛り上がりを見せていた。(本年、産業考古学会の推薦産業遺産にも認定。)

今回の志免竪坑櫓の見守り保存決定までには、高度成長期から解体撤去、跡地開発の話があって、保存と解体との間で長い間揺れてきたという。志免鉱業所外壁、倉庫等、近年になって既に解体された施設もある。竪坑櫓の保存決定後のパブリックコメントでも、産業遺産及びランドマークとして活用してほしい、という意見とともに、安全面や財政面から、解体を望む市民の声もあったと聞く。これまで解体されずに残ったのには、所有者であるNEDOとの調整や財政上の問題、有識者や学会等の外部からの要請や提言、そして地域の人たちの保存を求める声など、様々な理由があったと思う。とにもかくにも、前述の土木学会からの要請書に、「近代化遺産の保存・再生に限っては、「撤去の先送り」こそ英断」とあるように、“見守り保存”という今回の町の決定に、素直に敬意を表したい。

土木学会等の専門的立場から土木遺産を歴史的に正しく評価し、その保存・活用を求めていく活動は重要だと改めて感じる。同時に、それとは無縁な立場にいる市民たちの「立坑櫓があるけん志免やろうもん」という素朴な声に、地域のアイデンティティを成す土木遺産の真の意義が見えるようにも思う。

かつては、役割を終えた産業遺産は地域の発展を阻害するマイナス要因と捉えられる向きもあったが、今は地域の貴重な資源として、町の活性化の中心的役割を期待する声も高い。

本紙30号では、北海道空知地域における炭鉱遺産利活用に向けた取組みが紹介された。この分野の先進地として知られるドイツのルール地方では、歴史的な産業遺産を文化資源(industriekultur)として活用したビジターセンターやサービスセンター、博物館、眺望ポイント等が広域的に展開されており、これらをテーマごとに系統立てて結び、テーマに応じた産業遺産を巡ることのできるルートが設定されている。(http://www.route-industriekultur.de/参照)

九州地方でも、NPOや市民団体を中心に、官民(学)が関わる「九州伝承遺産ネットワーク協議会」が発足し、九州地方の広域的ネットワークを軸に、遺産の発掘・再評価、地域連携によるテーマ型観光の推進などの活動を通じて、地域遺産の保存・活用を図る取組みが今まさに動き始めている。今後の展開が期待される。


 見守り保存が決定した志免竪坑櫓(写真提供:志免町)

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