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序文 | |
デザイン賞は土木と市民の距離を縮められるか 篠原 修(政策研究大学院大学 教授) 景観・デザイン委員会委員長 |
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大プロとドブ板土木
かつて高度成長華やかなりし頃の事、恩師の鈴木忠義先生はよくこう言ったものだった。世の注目を集める青函や本四ばかりが土木ではない。家の前の道を直す、ドブ板土木こそが本来の土木なんだと。つまり土木は庶民の生活にもっと密着しなければダメだ言いたかったのであろう。 この言葉は、僕の胸の内に長らく眠っていたのだったが、平成10年代に入って地方廻りの仕事を積み重ねる僕の心によみがえり始め、次第に仕事の主旋律を形成するものになり始めた。衰退しきったかに見える地方都市の仕事は、それが水辺の再生であるにせよ街中の小公園であるにせよ、誰のためにあるかと問われれば、それは他ならぬそこに住むおばあさん、おじさん、子供の為にあるのだ。断じて顔の見えない県や国という組織の為にあるのではない。現在では自信を持ってこう言うことが出来る。 賞の安定感、信頼感 デザイン賞の存在がやや広く認知された為か、今年度の応募、授賞には、既に評価に定評を持つ作品が多かった。優秀賞の皇居周辺道路および緑地景観整備、イナコスの橋がそれであり、最優秀賞の和泉川/東山の水辺・関ヶ原の水辺もその例にもれない。皇居周辺やイナコスは竣工当時にデザイン賞が存在していれば恐らく最優秀賞にしてもおかしくない、当時の最先端の作品であった。 |
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総評 | |
内藤 廣(東京大学大学院 工学系研究科社会基盤学専攻 教授) 景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会委員長 |
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美しい国づくり政策大綱の公表とそれに続く景観法の施行によって、世の中の景観に対する関心はにわかに高まってきました。初めは誰もがとまどい、半信半疑で事の推移を眺めていたと思います。しかし、現在、景観法をうまく使って街や風景を作っていこうと景観行政団体に名乗りを上げている自治体は、300を超える勢いです。景観を軸に、都市や地域の再生を計っていく、今後この流れはますます加速していくことと思います。土木学会デザイン賞は、この分野に土木がどれほど取り組んできているのか、その成果を計り、社会に対してプレゼンテーションし得る数少ない機会です。その役割は、ますます大きくなっていくことが予想されます。 土木学会デザイン賞は、発足してから今年で5年を迎えます。まだ年月の浅い若い賞です。景観という広がりある大きな枠組みと、デザインという輪郭の曖昧な価値を総合的に評価するのですから、審査は慎重にならざるを得ません。質的な内容を判断していくのだから、審査員の人格が大きくものを言います。7人の審査員がそれぞれ思うままに意見を言い、考え方をぶつけ合います。審査員の立場や価値観を表明し合う場となります。審査自体が景観デザインという価値を共有し、その可能性を論じ合う場となるのです。 そういう賞ですから、5回を迎えた今回でも、幾つかの試行錯誤を繰り返しながら、新たな価値を作り上げていくプロセスにあります。今年も議論になったのは、竣工後2年という規定です。この規定は、他の賞にはないこの賞の大きな特徴になっています。問題は、竣工後2年も経ってしまえば、関係者は散り散りになってしまいます。これが障害になって、応募のしにくさにつながっているのではないか、という議論です。しかし一方で、この規定こそがこの賞の見識である、という意見も根強くあります。この件に関しては、今後も継続して検討していくことになりそうです。 また、今年は仮設構造物の応募もありました。これは竣工後2年という応募の規定から外れます。しかし、これも審査対象として残し、賞の枠組みを議論しようということになりました。土木の仕事は、完成までに長い年月が掛かるものがたくさんあります。ダム、地下鉄、鉄道高架事業など、完成まで数十年を要するものもあります。そうなると、完成に漕ぎつけるまでの時間も評価の対象としてもよいのではないか、という議論も交わされました。最終的には、賞自体の年月も浅いことから、混乱を避ける意味で応募規定を遵守することにしました。この件も継続して検討していくことを次年度の選考委員に申し送りすることをお願いしています。 審査は厳正を極めます。審査対象に審査員が関係している場合は、その審査員はその作品が審査される間は審査会場を退席します。一次審査で残った作品は現地審査となりますが、これも公正を期すために原則として応募者の立ち会いをしないことになっています。ひとつの作品に対して二人以上が視察し、その結果を二次審査に当たって報告します。こうした手間を掛けたプロセスを経て授賞が決まるわけですが、合議で決まらない場合は評決となります。 今年の審査で印象的だったのは、横浜市の街作りに対する取り組みの応募があったことです。数十年に渡る横浜市の取り組みの成果は、誰もが認めるところです。しかし、街作りには終わりが無く、常に継続されているということもあって、これまで大きな賞の受賞対象とはなっていなかったようです。デザイン賞という場に応募していただいたことを誇りに思います。この応募に対しては、審査委員全員一致で特別の敬意を払う意味で特別賞としました。この賞は、これまで広島の太田川に差し上げたのみです。 最優秀賞は「和泉川/東山の水辺・関ヶ原の水辺」になりました。さりげないデザイン手法が周囲の街と親和性の高い好ましい河川空間を作りだしていることが評価されました。優秀賞は「皇居周辺道路及び緑地景観整備」「新潟みなとトンネル(西側の堀割区間の道路)」「イナコスの橋」「子吉川二十六木地区多自然型川づくり」となりました。いずれも力作揃いです。 応募作品も次第に方向性が見えてきたように思います。橋梁に代表されるオブジェクティブなもの、川に代表される自然に近いもの、街作りに代表される生活空間に近いもの、大きくこの三つの傾向があります。景観もデザインも広がりのある言葉ですから、今後はより枠を広げていくべきでしょう。今後ともより多くの作品が寄せられ、デザイン賞の受賞作が景観論議の中心にいつも居ることを望みます。 |
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選考を終えて | |
評価の視点と新たな学習 佐々木 政雄(株式会社 アトリエ74建築都市計画研究所 代表) |
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今回、初めて審査員として参加しました。 私は都市計画を専門としておりますが、審査に当たっては総合的な観点をもって景観デザインがなされているかという以下の点を基本的な視点として判断することとしました。 (イ)当該地域の自然・歴史・文化を充分学習の上で、新たな空間創造がされているか。 (ロ)おかれている場所と隣接する地区等周辺環境との整合が考慮されているか。 (ハ)公共施設として利用する不特定多数の人々への細かな配慮がされているか。 (ニ)造形物としての美しさと創造性があり、維持・監理への配慮がされているか。 第1次審査では、応募作品のうちいくつかは単体としてのデザイン的方法等についてアピールすることに重点がおかれているものや、隣接する周辺環境との関連が意図的にか、判断しにくいものがありましたが、全体的には総合的な視点をもって計画・設計がされているものが多く見られました。 第2次審査では、審査員同士かなりつっこんだ議論がなされました。私が授賞に価すると思っていた応募案も、議論のプロセスの中で授賞に至らない結果となることに充分に納得できるのであり、逆に当審査会における議論を通じて、新たな刺激的な学習の機会を得られたことを記しておきたいと思います。 |
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時代とデザイン 佐々木 葉 (早稲田大学教授) |
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時代とともに社会は変化し、その要請が変化し、デザインも変化すること。このことをどのように考え、どう向きあうか。最近ずっと考えている。 今回の審査においては、評価基準の時間的変化が一つの議論となった。昔ならともかく今はこれでは充分とは言えない、という具合に。例えば河川内に既存樹を残したが堤防断面が単純なままである、高架橋に連続性はあるが細部のおさまりが定石を踏むにとどまっている、橋梁に木を使ってはいるがディテールに新規性がない、などの理由で授賞にいたらなかった作品がある。 もちろんこれらは容易ではないことにチャレンジし、多くの困難を乗り越え、一定の成果をあげている。しかしそのチャレンジが本邦初!ではない以上、その次を行く何かが求められた。レベルの向上はデザインでもスポーツでも常に求められるから、こうした評価基準の時間的向上の傾向は今後も保持されるだろう。一方こうしたレベルの議論に紛れて、時の変化に伴うデザインの質的変化にかかわる議論が私の耳により強く残っている。 例えば、本当に河川堤防の断面は角張っていてはだめなのか、橋梁は地域の個性を反映しなければならないのか、などなど。もちろん場所による。即地的である土木のデザインは、地球上に二つとして同じ場所がない以上、場所ごとに解が変わるのは当然である。それを勘案した上でなお、社会のまなざしの変化の影響が、建築などに比べてはるかに慣性力がつよい土木のデザインにもあることを考えた。 どの時代の考えが正しくどれが間違っているのかを問いただそうというのではない。時代の要請と優れたデザインとをア・プリオリに連結して考えることに何度か戸惑った。 今回の授賞作品の過半が発案から二十年あるいはそれ以上を経ている。この間の社会の変化は小さくはない。その変化と応答を作品の中に丁寧に捜し、私は冒頭の思案にもどることとしたい。 |
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「土木のデザイン」 島谷 幸宏(九州大学工学研究院 教授) |
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土木施設が果たすべき景観上の役割について考えてみると以下の3点になろうか。 まず1つめは、地域の風景が形成されていくための土木施設という観点である。土木施設自体が美しいことはもちろん必要であるが、社会資本が本来持っている地域の骨格を形成し、地域の生活を支え、基盤を整える結果、地域の景観は形成されていくという観点である。たとえば、美しい街路ができると周辺の街も活気付き、周辺を含めて美しい景観が形成されていくというように。いわば土木施設が社会資本として景観形成する 波及効果ともいうべき観点である。 次は空間の形成という空間デザインの観点である。土木施設が整備されることによりそこには何らかの空間が形成される。それは、単独で存在しているのではなく、周辺の空間と関係を持ちながら存在している。時間的あるいは空間的な脈絡にのっとって、うまくデザインされているかどうか、地域の空間形成にどの程度貢献しているかという観点である。 最後は土木施設自体のデザインの完成度、美しさの観点である。 今回、はじめて審査に携わったが、3番目の「美しさ」という評価軸は、ある意味で主観に基づくものであるが、審査の過程できわめて重要な位置を占めた。「感動がありましたか」「本当に美しかったですか」などの言葉が選考会では多く聞かれた。 最優秀賞となった和泉川はすべての点で優れていたのであるが、空間デザインという視点が特に際立っていた。都市郊外の住宅地を流れる川のひとつのスタイルを示した。都市域だから空間に制約があるという既成概念を覆し、長い時間をかけて崖線の斜面林と一体的空間を確保し、都市域に見事に自然的な空間を再生した。水辺と樹林地がセットになった空間が中小河川の風景として優れていることを実感させてくれた。大地のデザイン、空間のデザインが土木デザインの重要な仕事の一つであることを教えてくれる。 |
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ぽんと抜け出した作品もあってよい 樋口 明彦(九州大学大学院助教授) |
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今回の候補作品を拝見して感じたことは、ダムならこのあたり、高速道路高架橋ならこうしたポイント、河川改修ならこんな方向で、といった具合に、多くの作品がこれまでに時間をかけて議論・整理されてきた景観設計の「ツボ」をはずさなくなってきていることです。これは土木の世界で景観設計という新しい概念がある程度浸透してきていることの証である、と前向きに捉えたいのですが、その一方で、そうした作品の中に、様々な工夫はなされているものの、従来の土木構造物の「雛形」・これまでに普及した既成概念のようなものからぽんと抜け出し、新たな展開を見せたものはあまりありませんでした。 土木構造物の形態が構造的な条件・施工性・社会資本としてのコストの妥当性等からある程度規定されてしまうということは当然のことであり、その制約の中でいかに工夫して美しい構造物・周囲の風景に馴染む構造物・時間とともに成熟していく構造物を作っていくかが景観設計の基本であることは言うまでもありませんが、そうした作業の手引きとして世に出ている様々な「景観設計トラの巻き」の殆どは、これまで40点だったものをどうすれば75点にできるかにその紙幅の多くを割いており、そこから先何点増やせるかは各エンジニアの力量次第の世界です。 我々土木エンジニアは仕事柄ついこうしたマニュアル類に依存しがちな性をもっており、またそうした拠り所がないと関係者の間で調整が取りにくい実態があるのも確かですが、次回の応募作品にはゼヒ新しい土木構造物のあり方を提起した野心的な120点狙いのものが多数出てくることを期待しています。 |
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土木屋のぼやき 三浦 健也(株式会社 長大 構造事業部長) |
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土木学会の景観・デザイン委員会、デザイン賞の選考委員の依頼を受けた際、正直辞退することも考えたが、構造物の合理性、ディテールの処理等の観点からなら、何か役に立てることもあるかもしれないと思い引き受けた。 このデザイン賞というのは懐の深い賞で、対象とするのは橋梁、トンネル擁壁等の道路構造物、ダム、堰、堤防、護岸等の河川、港湾構造物、さらに街路、広場、公園をも含み、非常に間口が広く、かつ奥行きというか時間軸についても、竣工後2年以上経過したものであれば制限がない。 しかも、全てを景観、デザインという尺度で、評価することになっている。 内藤委員長は異種格闘技という表現をされているが、年令制限もないということを付け加える必要がある。 選考作業は大型構造物のように重力、風力、地震力に耐えるために、圧倒的なボリュームとならざるを得ないものと、手摺とかベンチのように、取るに足らない外力に抵抗するだけで形態に自由度のあるもの、植栽を施した作品のように計画が素晴らしいのか、樹木そのものが素晴らしいのか解らない作品、対象そのものと周辺と風景の見分けのつかない作品を、一つの尺度で評価する訳であるから、景観とかデザインに素養のない小生には全くお手上げであった。 ある程度予想されたことであるが、全体に占める人工構造物のボリュームの少ない、河川、水辺、街路を対象とする作品が高い評価を得た。 河川とか街路に関する作品そのものを評価し、それに係った人々の努力に頭が下がる思いもするが、大型の土木構造物が、ハンディキャップマッチのような状態に置かれているのには、釈然としない感情が残ったのも確かである。 ぼやいていても仕方がない。土木屋の奮起に期待したい。 |
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多様なエレメント、事業主体、設計者の総合がつくる景観デザイン」 宮沢 功(株式会社 GK設計 取締役社長) |
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昨年に引き続き2回目だが、景観デザインの難しさと深さを感じた選考会であった。その一つは単体としての景観デザインと複数要素の総合としての景観デザインである。「イナコスの橋」などの橋梁やダム、高架道路などはその技術、造型、細部の処理が単体として美しいか、完成度はどうか、設置される場所との景観的整合性等を評価するもので比較的分かりやすい。「新潟みなとトンネル(西側の堀割区間の道路)」「皇居周辺道路及び緑地景観整備」などの道路、駅前広場等まちの景観は、沿道建築、道路線形、街路灯、防護柵、ペーブメント、バスストップ等、様々な要素の統合が一つの景観をつくる。「新潟みなとトンネル(西側の堀割区間の道路)」では坑口やガードレール、道路灯等にデザイン的な配慮がなされているにも関わらず、擁壁のみが審査対象となっていた事が気になった。ここでの重要な要素は作り上げるための仕組みと継続のための仕組みである。質の高い景観デザインを成立させるためには、住民参加や複数の事業主体の調整と目的の共有、異なる専門家のコラボレーション、複数の景観構成要素を総合的に考えるデザイン力が景観デザインの質に影響する。竣工後もその景観を継続させる仕組みとしてのメンテナンスや運用、社会状況の変化に対する景観的問題の対応が景観の善し悪しに大きく関係する。景観デザインに関わる設計者の役割をどこまでと考え評価するのか難しいところである。複数の関係者、時間等、限られた条件のなかで計画・実施されたものを評価しなければならない景観デザインの難しさを感じる。もう一つ「和泉川 / 東山の水辺・関ヶ原の水辺」と「横浜市における一連の都市デザイン」は、景観デザインのもう一つの大切な視点として、そこで生活する人々が、その環境に育まれ、つくられる性格や人生観、価値観等、人の心や感性に対する影響までをも、その目標として考えなければならないような部分があるのではないかと考えさせられた。 |
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