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新潟県/十日町市 |
しなのがわせんじゅすいりょくはつでんしょしせつぐん |
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信濃川 千手水力発電所施設群 |
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H28年度認定(2016) |
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- 1.名 称:
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しなのがわせんじゅすいりょくはつでんしょしせつぐん |
信濃川 千手水力発電所施設群 |
- 2.完成年:
- 1938(昭和13)年〜1954(昭和29)年
- 3.形式:
- 5施設で構成
- ①宮中取水ダム 形式:コンクリート重力式ダム、堤頂長:330.815m、堤高:16.757m(非越流部)、
総貯水量:970,000m3、有効貯水量:710,000m³
- ②水路トンネル 形式:標準馬蹄形、断面(高さ、幅共):6.82m、延長(1期):7k631.60m
延長(2期):7k633.10m、勾配:0.5/1,000
- ③圧力トンネル 形式:円形(鉄筋コンクリート造及び一部鋼板張)、断面:6.70m
- 延長(1期):3k112.90m、延長(2期):3k021.50m、勾配(1期):3.5/1,000
- 勾配(2期):2.5/1,000
- ④浅河原調整池 形式:ゾーン型アースダム、堤頂長:291.8m、 堤高:37.0m
貯水量:1,065,000m³、有効貯水量:853,000m³
- ⑤千手発電所
- *建物 形式:鉄骨鉄筋コンクリート造、床面積:3,239u
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*水車 形式:立軸フランシス型(単輪、単流、渦巻)、出力:36,500kW、回転数:150rpm
台数:5台
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*発電機 形式:立軸三相交流同期(回転界磁空気冷却器付閉鎖通風)、台数:5台、
電圧:11,000V、周波数:50Hz、出力:37,000kVA、回転数:150rpm
- 4.設計者等:
- 鉄道省の信濃川電気事務所(昭和18年から運輸通信省の信濃川地方施設部に改称)が設計及び工事を担当した。施工者は直轄、栗原組、鹿島組、間組、西松組、星野組、西本組、鉄道工業、川崎車両である。
- 5.推薦理由:
- ■大正時代から昭和時代にかけて施工された大工事
第一次世界大戦を契機に日本国内の鉄道輸送が増大する中で、石炭節約が急務となり、大正8年に「国有鉄道運輸ニ関シ石炭ノ節約ヲ図ルノ件」が閣議決定されて、鉄道電化の推進と低廉かつ豊富な電力の安定確保を目的として水力発電が唱導された。信濃川、天竜川、熊野川などの水力発電計画を比較研究した上で、首都東京に近い地理的条件等により信濃川の開発が有利と判断され、大正9年にはこの水利使用について新潟県知事の承認を受けた。信濃川の発電計画では、(1)現在の宮中から取水して千手と小千谷に発電所を建造する案、(2)宮中より上流の鹿渡から取水して小千谷に発電所を建造する案、(3)さらに上流の長野県戸狩付近から取水して関川に放流する案が比較検討された。その結果、(2)案は地質が透水性のために不適当、(3)案も全地点の地質が軟弱である等の理由により不適当と判断され、地質的に問題がない(1)案が採用された。
当初の発電計画では、千手発電所の最大出力を77,000kWと見込んでいた。1,000kWの水力発電所が決して小さいものではなかった当時としては、千手発電所の建造は世紀の大工事とも呼ぶべきものであった。大正10年に信濃川電気事務所が設立され、工事準備が進められていったが、この時期に国内では大変珍しいスチームショベルやブルドーザ等の建設機械の購入が進められ、当時の大工事に向けた意気込みが伺える。また、この大工事では後述するように施工時には未解明な事柄も多く、試行を重ねて実施した工種が多い。
昭和6年に新潟県中魚沼郡千手町に信濃川電気事務所が設置され、工事着手となった。昭和14年には浅河原調整池関係を除く第1期工事が完成して50,000kWの発電を開始した。昭和15年には第2期工事に着手し、昭和20年に浅河原調整池等が竣工したことで千手発電所の出力は120,000kWとなった。昭和29年には千手発電所の全設備が完成し、これをもって、信濃川 千手水力発電所施設群を建設する第1〜2期工事の全てが完成となった。
- ■信濃川本川最下流のダム
宮中取水ダムは、日本最長の河川である信濃川本川上に建造された高さ15m以上のダムの中で、最も下流に位置している。重力式コンクリートダム部には15.15m×7.88mの制水門9門及び7.58m×7.88mの排砂門2門を設けた。昭和7年に右岸方の締切り工事を始め、その部分の完成後に左岸方を施工した。建造から約70年を経過した現在でも、ダムとしての機能を有している。
- ■コンクリートの施工技術を向上させる契機となった工事
水路トンネル及び圧力トンネルは、アーチ部に場所打ちコンクリートの施工技術が導入され始めた昭和初期から戦中にかけて建造されたものであり、また日本で初めてコンクリートバイブレータを使用したトンネルである。当時はバイブレータを使用することで骨材とモルタルが分離す
るのではないかという議論があったものの、後世に良い品質の発電設備を残したいという思いで、当時の土木技術者が試行研究を重ねて実施した。建造から約70年を経過した現在でも、水路トンネル及び圧力トンネルとしての機能を有している。
- ■近代的な土質工学が確立されていない時期のゾーン型アースダム
第二次世界大戦前に設計、施工された浅河原調整池は、まだ近代的な土質工学が確立されていない時期に建造された大型フィルダムである。当時のフィルダムの設計にあたっては、英語、ドイツ語、フランス語の土質関係の資料や、当時の東京市の村山貯水池、山口貯水池の土堰堤を参
考にした。その中でも特にアメリカの飛行場滑走路建設の締固め資料が参考になったこと、日本で最初のブルドーザが輸入されて稼働したこと、粘性土を人力で締固めて染み出てきた水を雑巾で丁寧に拭きとりながら施工したことが伝えられており、当時の土木技術者の創意と知恵と努力によって建設が進められた。建造から約70年を経過した現在でも、調整池としての機能を有している。
- 6.所在地:
- 新潟県十日町市
- 7.管理者:
- 東日本旅客鉄道株式会社
- 8.特記事項:
- 浅河原調整池:2800選ランクB、千手発電所:同ランクC
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宮中取水ダム
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全景(左岸方から)
■宮中取水ダムは、日本最長の河川である信濃川本川上に建造された高さ15m以上のダムの中で最下流に位置する。
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建造時の写真
■宮中取水ダムは昭和7年に着工し、昭和13年に完成した
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魚道(右岸方から)
■多様な魚類を遡上させるために、昭和63年より魚道改良を実施した
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※補足千手発電所の概要
宮中取水ダムの宮中取水口で取り入れられた水は、2条の水路トンネルを通って浅河原調整池に入る。 ここで電力の需要に応じて調整された水は、2条の圧力トンネルを通って千手発電所に導かれ、発電機を回して電力を発生させている。
建造されてから70年以上経つが、現在も機能を有したまま電力を生産している。電力は送電線を経由して首都圏に送られ、主に山手線などの首都圏の電車運行に使用されるほか、上越線や新幹線の運行にも使用されている。
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水路トンネル・圧力トンネル
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水路トンネル(1期)
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圧力トンネル(1期)
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建造時の写真(水路トンネル)
■アーチ部の場所打ちコンクリートの施工技術が導入され始めた、昭和初期から戦中にかけて施工された(写真は昭和9年)
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建造時の写真(圧力トンネル)
■日本で初めてコンクリートバイブレータを使用した。当時はフランス製の電動式とエアー式の両方を用いた(写真は昭和9年)
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浅河原調整池
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全景(左岸方から)
■浅河原川の渓谷にゾーン型アースダムを構築して湛水している構造
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建造時の写真
■昭和8年に着工し、昭和20年に完成した。ダムの盛土締固めには、当時では大変珍しい機械施工を実施した(写真は昭和10年)
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設計図面(ダム標準断面図)
■近代的な土質工学が確立されていない時期のフィルダムであり、設計は英語・ドイツ語・フランス語の土質関係の資料や、当時の村山貯水池、山口貯水池の土堰堤を参考にした
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信濃川宮中〜千手水力発電施設群の構造的特徴
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① 宮中取水ダムのエプロンと歯型閾(はがたしき)
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② 浅河原調整池連絡水槽
1期・2期の2条の水路トンネルから流入する大量の水を効率的に活用するため、2本の連絡水槽を並行して設置し、使用水量に応じて運用を変更可能とした。
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宮中取水ダムは、付近で唯一ともいえる信濃川が曲流した地点をダムサイトに選定したため、地層の走行と堤軸がほぼ平行している。
このため、ダム基礎としては高透水の部類に入る魚沼層群を基礎岩盤としながら、河川方向に断面を取った場合、魚沼層群の中では比較的透水の低い凝灰岩がどの断面でもカーテンのように深部に入り込んでいる。
このことと、堤体のエプロン部を適切に下流側延伸していることが浸透流長を長くし、せん断摩擦安全率を高めている。
また、信濃川は水量が多く、多くの砂礫が運ばれてくるため、
エプロンの先の洗掘が懸念される。建設時には、この洗掘の防止法を検討するため、
様々な模型を作成して実験を実施した結果、歯型閾(はがたしき)
設けることとなった。
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③ 千手発電所水圧鉄管
当時としては稀有な大口径(4.8〜6.7m)の分岐管は、水圧の伝達、応力の分布を明確にし、水流を妨げないよう、内部のステーやRCで包む構造を排し、純粋な鋼構造とした。
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