関東の土木遺産 関東の土木遺産
土木遺産の概要 施設位置図 施設一覧
   
栃木県、群馬県、茨城県、埼玉県
わたらせゆうすいち
渡良瀬遊水地
R4年度認定(2022)
1.名 称:
わたらせゆうすいち
渡良瀬遊水地
2.完成年:
1910(明治43)年〜1972(昭和 47)年 ≪第2調節池概成まで≫
3.形式等:
遊水地 南北約9q、東西約6q、周囲長約30q、面積:約3,300ha
主な対象施設
 @周囲堤 約12q、天端幅 7.5m
 A囲繞堤 第1調節池 6.1q、第2調節池 7.0q 天端幅 7.0m
 B越流堤 第1調節池 2.5q、第2調節池 0.79q 天端幅 5.0m
 C排水門 第1調節池:ローラーゲート、総幅員 30m(=10m×3連)
        第2調節池:ローラーゲート、総幅員 10m(1 門)
4.推薦理由:

 渡良瀬遊水地は、東京から約60q圏に位置し栃木・群馬・茨城・埼玉の4県に跨るわが国最大級の遊水地であり、外周距離は約30q、面積は約3,300ha、また洪水調節容量は約17,680万m³である。遊水地とは、河川の増水時において大量に流れ込む流水の一部を一時保留し、下流に流れる水量を少なくするための貯水施設をいう。因みに、わが国における他の遊水地としては、一関遊水地(岩手県一関市。面積1,450ha、容積12,450万m³)、鶴見川多目的遊水地(神奈川県横浜市。100ha、390万m³)等がある。
 日光連山を形成する皇海山(すかいさん)および庚申山(こうしんざん)などの湧水を合わせ源流とする渡良瀬川は、群馬県みどり市・桐生市から栃木県足利市内を流下し、秋山川・巴波川・思川などの小河川を合わせ利根川に合流する。明治期までの渡良瀬川下流部流域は、狭く蛇行した河道で流水の疎通が著しく妨げられ、加えて、赤麻沼・石川沼・板倉沼等が散在する低湿地帯であり、破堤による氾濫がたびたび起こる洪水の常襲地帯であった。そのため周辺地域の住居は、自然堤防上や微高地に建てられた。谷中村もその一つで、集落のまわりを堤防で囲う囲堤(かこいづつみ)集落であった。一方、渡良瀬川の上流域に位置する足尾では、明治10年代以降、古河市兵衛による銅の精錬の近代化により産銅生産が飛躍的に進展した。精錬のための山林伐採による山地の荒廃と精錬過程における鉱滓等を含んだ土砂の流出が常習化し、洪水時には渡良瀬川中下流部地域では鉱毒被害が蔓延するに至った。
 そのような状況を踏まえ、1902(明治35)年に設置された『第2次鉱毒調査委員会』の報告を受け、渡良瀬川の改修が計画された。しかしながら、その当時すでに利根川の改修工事が施工中だったことから、利根川の計画高水流量に影響を与えないということが必須の条件であり、そのため、渡良瀬川の改修に際し一時的に湛水させるための遊水地の建設が必要となった。加えて、鉱毒の拡散の誘因となった頻発する洪水被害への対応として、堤防の修復・新設強化策が図られることになった。遊水地は、渡良瀬川河川改修計画の要の施設として位置付けられ、鉱毒被害が最も深刻だった渡良瀬川下流域の谷中村がその候補地となった。1905(明治38)年、栃木県により谷中村の“遊水地化”と住民の移住方針が出され、集団移転とともに最後まで移住に反対した16戸の強制収容が1907(明治40)年に行われ、移転がすべて終完了したのは1917(大正6)年である。
 遊水地化の工事は1919(大正8)年に開始した。周囲の延長約27qのうち、堤防を築く必要がある区間は、自然の高台約15qを除く残りの約12qの区間である。この新しく築造する遊水地周りの堤防(周囲堤)は、天端幅4間(約7.2m)で築造され、1921(大正11)年に概成した。
 その後、1947(昭和22)年に発生したカスリーン台風は、渡良瀬川・利根川の決壊だけに止ま らず渡良瀬遊水地も十数カ所で決壊する等、周辺地域にも大きな被害をもたらした。これを契機として、利根川の改修計画は全面的に見直され、1949(昭和24)年の『利根川改修改定計画』では、渡良瀬遊水地の“調節池化”が進められることになった。この調節池化は、概成していた遊水地の周囲堤を嵩上げすることに加え、その内部に“囲繞堤”と“越流堤”の新設による調節池を築造することにより、洪水時における増水のピークに対する貯留機能を高めることを企図したものである。“囲繞堤”とは、調節池と本川との間に設けて各調節池を区切る堤防であり、また、“越流堤”は、洪水時においてある一定の水位になった段階で各調節池の調和が図れるように切り込みを入れた堤防である。遊水地の調節池化が推し進められる中で周囲堤の嵩上げ・囲繞堤および越流堤が築造され、第1調節池が1970(昭和45)年、第2調節池が1972(昭和47)に概成した。
 現在、渡良瀬遊水地では、第3調節池が1997(平成9)年に概成、さらに、首都圏の水需要の高まりへの対応として渡良瀬貯水池(ハート型をした谷中湖)の造成、1988(昭和63)年の『アクリメーション構想』の策定(新しい環境への適応を標榜した第三セクターによるリゾート開発計画)、2010(平成22)年の『渡良瀬遊水地湿地保全・再生基本計画』、さらに2012(平成24)年には世界ラムサール条約に批准される等、環境保全に積極的に取り組み、また評価されている。
 渡良瀬遊水地は、これまで相反するものとして位置づけられてきた“建設と環境の両立”を具現化したインフラとして重要かつ貴重な施設である。そのflash pointとなったのが低湿地・鉱毒被害への対応として計画された渡良瀬遊水地造成とその基幹施設としての築堤である。今回、選奨土木遺産に推挙するのは、当該事業の歴史的中核施設である周囲堤・囲繞堤・越流堤および排水門 (第2調節池まで)である。2022年は、治水事業から100年、ラムサール条約批准10周年の節目の年でもある。現在も機能整備が進められるliving heritageとして、あらためてその果たしてきた役割・意義を後世に伝えていくべき重要な歴史的土木施設・文化遺産といえよう。

5.所在地:
栃木県栃木市・小山市・野木町、群馬県板倉町、茨城県古河市、埼玉県加須市
6.管理者:
国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所
7.特記事項:
管理者および関係官庁等と調整済み。
8.PR方法:
11月24日に開催される土木学会関東支部栃木会の「土木の日の集い」において、認定書および銘板の授与式をおこなう。また、新聞各社などマスコミへの周知を積極的に行う。
9.連絡先:
国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所
専門調査官 與儀 亜希子 氏
〒349-1198 埼玉県久喜市栗橋北 2-19-1
tel.0480-52-3958
≪位置図 および 写真≫

渡良瀬遊水地全景
(「国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所:提供」2020.1.31 撮影)

現在の渡良瀬遊水地-調節池等の位置-
(「渡良瀬遊水地〜生い立ちから現状〜」(財)渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団)

渡良瀬遊水地の周囲堤・囲繞堤・越流堤および排水門の位置
(「渡良瀬遊水地〜生い立ちから現状〜」(財)渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団)

“周囲堤”の位置と築造年(〇数字は大正年次を表わす)

『昭和24年改修改定計画』における“周囲堤”標準横断
(「渡良瀬遊水地工事史」より転載)
≪「渡良瀬川改修工事記念寫眞帖」より転載≫

前原築堤工事(大正 4.3.10)

雀宮築堤工事(大正 4.3.10)

小野袋築堤工事(大正 4.3.12)

海老瀬築堤工事(大正 6.3.21)

中田築堤工事(大正 6.3.30)

新巴波川平水路浚渫(大正 6.4.1)

柏戸竣工堤(大正 6.3.31)

本郷樋門杭打(大正 6.3.30)

白馬築堤工事(大正 7.3.27)

“囲繞堤”標準横断
(「渡良瀬遊水地工事史」より転載)

囲繞堤第30築堤法面締固め(同上)

囲繞堤施工状況(同上)

“越流堤”標準横断
(「渡良瀬遊水地工事史」より転載)

第2越流堤アスファルト法覆工事

アスファルト舗装工
≪ 現況写真(2022.3.15 撮影)≫ 撮影者/折田利弘氏(あどもい会長,フォトグラファー)

周囲堤@

周囲堤A

周囲堤B

周囲堤(右)囲繞堤(左)

囲繞堤@

囲繞堤A

越流堤@

越流堤A

越流堤B

排水門(第1調節池)

排水門(第2調節池)

晴れ渡る富士の僥倖とコウノトリの営巣。建設と環境の共生をみつめる。
(撮影:伴瀬恭子氏 / 特定非営利活動法人『わたらせ未来基金』, 2022.4.22)

コウノトリ / ひかる&レイ(撮影:同上)

(ヨシ焼き/『再生の原風景−渡良瀬遊水地と足尾−』堀内洋介写真集から)
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