@概 要 本標石は、1915年(大正4年)に阿賀野川では初となる国直轄による河川改修事業(阿賀野川第一期改修工事:通称「大正の阿賀野川大改修」)が着工された際、測量・工事計画図作成・工事施工を行うための基準点として内務省が設置したものである。 工事計画図は現在の阿賀野川を形作ったものであり、本標石はいわば「現在の阿賀野川の形を決めた原点」とも言うべき存在である。 また、内務省と陸地測量部の2つの組織名が刻字されているなど、標石自体にも希少性・独自性がある。 A歴史的意義 1)地域住民の治水への願い かつての阿賀野川は、平野部で大きく蛇行していたため常に洪水の脅威にさらされ、特に1913年(大正2年)8月に発生した新潟市江南区木津地先での破堤による洪水、通称「木津切れ」では阿賀野川と信濃川に囲まれた低平地である亀田郷の大半が水浸しになるなど、非情なものであった。これが契機となって治水を願う地域請願運動が展開され、「大正の阿賀野川大改修」が着工されることとなった。 本標石は、阿賀野川大改修を後世に伝える証(あかし)として保存されている。 2)内務省と陸地測量部の共同作業 本標石には「内務省」と「陸地測量部」という2つの組織名が刻まれているが、これは内務省が独自の基準で測量を行ったのではなく、当時最先端の測量技術を有する陸地測量部が行った「全国一等水準路線網」の基準を使用したことを意味しており、より精度の高い測量を行うべく、異なる組織が協力して測量作業を行ったことを示している。 3)河川の原点を示した石 当時作成された「阿賀野川改修計画縦断面図」には、標石のある満願寺に「基線(参謀本部水準基面)=0」と記されており、この地を中心に阿賀野川の流路を設計していたことがうかがえることから、本標石は「現在の阿賀野川の形を決めた原点」と言える。 B希少性・独自性 1)標石の形状 明治・大正時代に設置された「載頭方錐形」と同形の標石は、内務省が明治初期に設置した「原三角測點(げんさんかくそくてん)」のみで、以降は四角柱のものが主流となったため、大変貴重なものである。 なお、現存する「原三角測點」は全国で3基のみ。 (標石研究家 中村宏氏、阿賀野川河川事務所調べ) 2)標石の刻字内容 2つの組織名が刻字されていることも大変珍しいが、それに加え、天端に刻まれた方位も測量目的の標石において、方位磁石が普及されていなかった当時としては貴重なものであり独自性がある。 3)その他 他にも、測点の位置を天端高としている点(通常は天端に付けた×や+印の中心、又は球体の頂点)や、高度な職人技による加工が施されている点(天端角の面取り、他)など、一般的な標石とは異なる扱いが見られる。
■阿賀野川満願寺「基準点標石」
■関係資料