長いトンネルを掘ることができなかった昔は、山を越えるために急な坂道を登っていました。しかし、これでは時間もかかり、重い荷物を運ぶのがたいへんなため、そのふもとにトンネルを掘り、たくさんの人々が楽に通れるようになりました。
地下街は、トンネルの技術を応用してつくられた地下の商店街です。地下街では、雨降りや風の日でも快適にショッピングが楽しめます。また、地下に大きな駐車場や駐輪場をつくって、限られた土地を有効に活用しています。
水は上から下へと流れるため、途中に山があるとトンネルを掘って水を通さなければなりません。そこで、農業用水や飲料水として使う水を通すために、昔から世界各地で水路トンネルがさかんに掘られました。日本でも、江戸時代に辰巳(たつみ)用水(石川県)、深良(ふから)用水(神奈川県箱根町芦ノ湖~静岡県裾野市深良川)などがつくられました。
トンネルは列車や自動車がくぐるだけではありません。地面の下にもぐっているため、ふだんは見ることができませんが、生活に必要な電気やガス、水道もトンネルを通ってみんなの家庭や学校までやってきます。こうした生活に必要な設備を、ひとつのトンネルにまとめたのが共同溝です。
鉄道や自動車は、こう配がゆるいとそれだけ楽にたくさんの荷物を運ぶことができます。こう配をゆるくするためにはなるべく山のふもとのにトンネルを掘る必要がありますが、そうするとどうしても長くなってしまいます。長いトンネルが掘れない時代はなるべく坂の上まで登り、坂が急になった所ではじめてトンネルを掘っていました。また、長いトンネルは蒸気機関車の煙や自動車の排気ガスがたまりやすいこともあって、昔は長くても3~4キロメートル程度のトンネルしかありませんでした。
今から約70年前、上越線にそれまでのトンネルの2倍近い延長9.7キロメートルを誇る清水トンネルが完成しました。これは、川端康成の小説「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という書き出しで有名なトンネルです。その後、昭和42年に新清水トンネル(13.5キロメートル)、昭和55年に大清水トンネル(22.2キロメートル)が完成しましたが、できるだけゆるいこう配で一直線に結ぶために、清水トンネルよりも低いふもとの部分を通っています。このため、トンネルの長さもだんだん長くなりました。