基調講演会-会長講演
8月30日 (木) 14:00~14:45 かでる2・7(北海道立道民活動センター) かでるホール
入場無料(一般参加可能)
第106代土木学会会長
小林 潔司 KOBAYASHI Kiyoshi
京都大学大学院経営管理研究部 教授、大学院工学研究科 教授
講演題目: 明治150周年を迎えて:この国の来し方行く末を考える
奇しくも、今年は明治150周年にあたります。このような記念すべき年に、土木学会会長の重責を担うことに対して、身の引き締まる思いがしております。
太平洋戦争を折り返し点と考えれば、明治維新から戦争までの前半の75年間、日本は近代化の道を突き進みました。短いといえばあまりにも短い期間です。明治元年の日本は、産業といえば農業と商業しかない極東の小さな国でした。明治政府は、この国の近代化のために、国内の殖産興業を進めると同時に鉄道・港湾などのインフラ整備を進めました。司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、この時代の日本人の気質を「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう。」と書きました。この時代、どのような階層の子供でも、努力とチャンスがあれば、立身出世の道が開かれたのです。この時代の明るさは、人々が社会や経済の急速な発展を昂揚しながら体験したことを理解しないとわかりません。残念なことに、その楽天主義が、周辺諸国への配慮を欠き、無謀なまでの戦争に突入していくという不幸を招いたことも事実です。
インフラはわれわれ世代だけでなく、これから生まれてくる子供たちの世代にも役に立ちます。インフラの整備には、いまの消費を切り詰めるという自己犠牲が必ず伴います。誰もが自分の消費ばかりを優先させる社会にはインフラは蓄積されません。われわれは、過去の世代がこれまでに綿々と努力を重ねて蓄積したインフラから多くの恩恵を受けています。太平洋戦争により、戦前に蓄積した多くのインフラが灰燼に帰してしまいました。ここから、後半の75年が始まります。1945年8月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに敗者の卑屈や憎悪ではなく、改革への希望に満ちた民衆の姿だったといいます。新しい時代において、人々は自分たちの国は何を目標とし、何を理想として抱きしめるべきかを真剣に考えました。そこには、民主主義の実現とインフラの発展に対する力強い国民の合意がありました。新幹線ネットワークであれ、高速道路ネットワークであれ、国土づくりの基本となる青写真が明確に示されました。それに沿ってインフラ整備が進められ、日本は驚異的な戦災復興と経済成長を成し遂げました。明治150周年の前半の75年がインフラのコア要素の整備期だと考えれば、後半の75年はインフラシステムの整備期であったといっても過言ではありません。
人生100年時代になったといわれます。とはいえ1日の長さが変化したわけではありません。われわれの1日は、労働、レジャー・食事、家事、育児、介護、移動、学習等の活動に使われます。明治の頃と比較して、われわれの1日は比較にならないほど忙しくなりました。そのために、労働、家事、育児、介護、移動等の一部をアウトソーシングするなど合理化が必要となりました。レジャーや学習をアウトソーシングできないからです。これらの活動は、自分の時間を使って自分自身で行わざるを得ません。ビッグデータ技術、AIの技術の発展、自動運転、リニアー新幹線、航空ネットワークの発展など技術革新の成果を活用し、時間利用の効率化が達成されつつあります。一つ一つの技術はわれわれの活動の合理化に対してささやかな効果しかもたらさないかもしれませんが、さまざまな分野におよぶ効率化により、現代人はレジャーや学習のための時間を獲得し、時間の制約を克服しているように思います。IoT(InternetofThings)技術は、さまざまなシステムをつなぐことにより、システムのシステム化(systemofsystems)を実現する潜在的な力をもっていると思います。明治150周年を迎えた今、これからの75年における社会の進化は、このようなシステムのシステム化によってもたらされると思います。まさに、インフラシステムのシステム化が求められているのです。
このような社会の進化は容易なことではありません。土木技術者には「よりよき社会とは何なのか」、この途方もない大問題に対する答えが求められます。よりよき社会の理念は、時代とともに変化しますが、その中にも忘れてはいけない部分があるように思います。日本人は天与の自然条件を幸いとしつつ、きめ細やかな社会ときちんとした備えを物心ともに保ち、国内外の人と人とのつながりをこそ無上のものとして着実に歩んできました。人々の強さとしなやかさ、人と人とのつながりを大事にし、知恵や知識に支えられて、たくましく着実に生きていく。さらには、まちや自然の麗しさや佇まい、多くは背伸びをしない人々の暮らし方。人々が多様な価値観をもち、さまざまな家族構成やライフパターンをもちながらも、それぞれの人生を楽しんでいく。このような生きていくかたち、それはよりよき社会像をさながらにして世界に対して示しているのではないか。そう思う次第であります。
最後に、土木学会会員のすべての皆様とともに、「よりよき社会」にむかって新しい土木の地平を拓いて参る決意を表明いたします。よろしくお願い申し上げます。