関東の土木遺産 関東の土木遺産
土木遺産の概要 施設位置図 施設一覧
   
山梨県甲州市
にっかわのえんていとすいせいぐん
日川の堰提と水制群
平成20年度認定(2008年)
■日川水制 
日川水制
 明治40年に山梨県を襲った大水害は1日で日川村を砂礫の地と化し交通路を寸断しました。県は日川の河道を拡幅し両側に護岸堤・雁行堤(霞堤)を築きましたが、明治43年の災害で瞬時に流失してしまいました。広瀬鶴五郎は「日川は河床勾配が急なので山地崩壊による土石流が発生する。これを食い止めるためには、上流部に土砂止めを設けること、下流部の両岸は護岸堤ではなく切々の堰堤と河道に直行する水制工を設けることが有効である」と唱え、この意見が取り入れられて明治44年に日川水制工が着工されました。長さ20m程度の水制が河川両岸に74基設置された大規模なものです。土砂で埋められた水制の間は現在、ぶどう畑として利用され、完成当時の水制基部の一部をぶどう畑の中に見ることができます。
 日川水制の完成を待った大正4年、上流部で河床勾配を緩やかにして土砂を止めるために、赤木正雄の計画による勝沼堰堤が着工しました。湾曲して流下していた河川右岸(上流から下流方向を見て右側)の祇園淵と呼ばれた蛇行点を堰堤で締め切り、左岸の岩盤を堤体に利用したもので、一見自然の滝のように見えます。締め切りの堤体部分はぶどう畑の下に隠れていましたが平成11年から発掘が行われ、現在では巨大な砂防堰堤の全容を見ることができます。
 これらの工事は、明治時代の石積み砂防堰堤に変わるコンクリート砂防堰堤建設技術の完成に貢献し、さらに堤防だけでは困難であった扇状地の治水に砂防技術が有効であることを証明しました。この工事の完成以降、日川の大規模災害は治まって集落・農地は安定し、河川災害に起因する交通路寸断も無くなり日川周辺は、水はけの良い砂礫地を活かしてぶどうの生産地として発展していきました。
■勝沼堰堤 
勝沼堰堤
所在地: 山梨県甲州市勝沼
竣工年: 日川水制群:大正4(1915)年
勝沼堰堤:大正6(1917)年
構造形式等: 日川水制群:T型水制工、頭部はコンクリートで目地を固定した練石積、基部は空石積。扇状地河川の砂防事業でT型水制が用いられるのはめずらしい例。
勝沼堰堤:堰堤高18.3m、堰堤長99.8mの重力式堰堤。岩盤を利用して堤体としたもので、自然を有効に利用したのがこの堰堤の特徴である。一見自然の滝のように見え周辺の自然に溶け込むと同時に将来の維持管理も容易にしている。
授賞理由:  この土木遺産は扇状地河川の治水によって勝沼のぶどう生産が発展する基盤をつくったものであり、山梨県の歴史を語る上で重要な遺産である。また、甲州市勝沼では近代化遺産を活かしたまちづくりに取り組んでおり、この土木遺産が地域の誇りとなり地域の活性化に生かされることを期待したい。
管理者: 山梨県
参考文献 1) 『日本土木史(大正元年〜昭和15年)』(社)土木学会、1974年
2) 『山梨県の近代化遺産』山梨県教育委員会、1997年
リンク 山梨県庁砂防課
http://www.pref.yamanashi.jp/sabo/index.html
勝沼フットパス (解説付きウォーキングイベントのご案内など)
http://katsunumafootpath.web.fc2.com/
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