稲荷川は、その源を日光火山地帯の東端に位置する女峰山・赤薙山に発し、日光東照宮・二荒山神社・輪王寺などの世界遺産に登録された歴史的建造物の東部を流れ、神橋の約300m東で大谷川に合流する急流河川である(流域面積12.4㎢、流路延長9.8q、平均勾配1/10)。この急峻な山地斜面には薙(なぎ)と呼ばれる深さ100m程の大小側刻渓が谷壁を刻んで両側から流下し、この地形条件のもと豪雨出水に伴う土石流による既往災害は甚大であった。そのため、栃木県では1916(大正5)年頃から砂防工事に着手するための調査に入ったが、その重要性から1918(大正7)年に内務省直轄事業として着手されることとなった。
工事の目的は、堆砂による現勾配の1/2修正、山脚固定・流出土石防止・河道整理など、①土石流の発生、巨大な転石の流下および甚大な縦浸食の防止、②砂礫を貯留し両岸の崩壊の防止、③稲荷川河口における流心を河心に導くこととされ、堰堤17基および床固め8基が計画された。
1918(大正7)年7月10日に内務省東京第一土木出張所稲荷川工場が設置され、主任や技手など6名の職員構成により着工し、1919(大正8)年8月21日竣工の稲荷川第一堰堤を皮切りに1955(昭和30)年2月20日竣工の小米平下流堰堤まで、20基の堰堤および15基の床固めが完成した。この間、稲荷川第一堰堤は竣工後間もない同年9月15日の暴風雨に伴う土石流により流失し、これを機に空石積から練石積への築石工法の見直しが行われることとなった。
今回、選奨遺産に推薦するのは、この稲荷川流域に現存し現在もその機能を果たしている堰堤の内、第2次大戦終結以前に竣工した国登録有形文化財8基を含む16基である。これらの堰堤群は、セメントの出現によるコンクリート工法の導入など技術革新が進行する中で、わが国における砂防工事の重点が山腹工事から渓流砂防工事に移行する時代の比較的早期に着手され完成した砂防構造物である。過酷な自然条件下における流下土石の貯留という近代砂防の歴史を今に伝えるとともに、丸みを帯びた台形水通部の形状は他地域に類のない“蒲式”と呼ばれるデザイン的特徴を有する堰堤群であり、周辺渓谷に融合し新たな景観美を醸成する歴史・文化遺産と言えよう。