1923年9月1日に発生した関東大震災により、横浜市内にある土木施設の多くが崩壊した。震災後、内務省復興局・横浜市が総力を挙げて土木施設群の新設・改築を行った。震災復興事業で建設された施設は、綿密な地質調査等を反映し耐震・耐火構造として設計がなされた。また、近代的な意匠も取り入れるなど、土木技術の大きな発展につながったとされる。
現存する元町・山手地区の震災復興施設群は、モータリゼーションによる市電の廃止や高速道路の建設と言った都市の変遷の中でも、現在まで廃止・架替えが行われることなく約1世紀にわたり市民の生活を支えてきた。当地区は、横浜発展の機である開港の場となった関内地区に隣接しており、震災後に建設されたこれらの施設群は横浜の都市形成において特に重要な役割を担ってきた。また、5つ当該施設はそれぞれ横浜市認定歴史的建造物に指定されており、横浜市が推進する「歴史を生かしたまちづくり」を展開する上で重要な資産であり、当市も資産の保全に力を入れている。
このような中で、「元町・山手地区の震災復興施設群」を土木遺産として推薦することで、更なる歴史的土木構造物としての認識の喚起や保全に資するようにしたい。
以下、当該施設群の土木遺産としての説明である。
(山手隧道・櫻道橋)
山手隧道、櫻道橋の整備は、市内の復興事業でも最大級の規模である。
山手隧道は元町と本牧をつなぐ隧道であり、震災後の本牧地区の発展を支えた。また当時の先進土木技術である大断面掘削が可能になった初期の隧道である(戦前の道路トンネルとしては最大幅員)。坑門はアーチ型の縁取りを行って全体を石貼りで仕上げ、地表面との処理は円弧で側壁を一体化されたデザインが施されている。
櫻道橋は山手隧道の建設によって山手地区にある櫻道の分断がないよう架けられた陸橋で、上路式アーチ形式の採用、山手隧道と同様に化粧石貼りにより隣接する山手隧道との景観調和が図られている。
(谷戸橋・西の橋)
開港場の整備にあたり開削された堀川に架橋された橋であり、横浜の都市の歴史を振り返った場合に重要な位置にある。鋼アーチ形式は関東大震災後に復興事業の一環で技術が普及した形式であり、当該橋梁にもその技術が取り入れられている。また、谷戸橋の親柱はアールデコ調のデザインでシンボル性の高いものであり、地域の重要な景観構成要素となっている。
(打越橋)
切通しに架けられた橋梁で、当該地区周辺の多くの外国人居住者を意識して建設された優れた土木遺構の一つである。上部工はアーチリブとトラス補剛材で構成される鋼ランガ―橋である。アーチリブはカーブが急でリブ断面は中央が大きく両端のヒンジに向けて小さく変化しており、リブのカーブがより鋭く見え、特徴的なものになっている。リブとトラス桁の間は垂直材のみで簡潔にまとめられており、さらに、創建当時の横浜での流行ともいえる、端部の縦桁に意匠的な装飾がなされている。また、切通しに建設された橋梁のため、身近に感じられる橋台も屋根の軒先をモチーフにしたクラシックな装飾が施されているなど、細部までしっかりと作られた美しい鋼橋である。