榎戸新田橋りょうは、総武本線の榎戸駅と八街駅間に位置し、用水路を跨ぐために建造された煉瓦造拱渠(アーチ橋)である。総武本線の前身となる総武鉄道は、1894(明治27)年7月に市川駅-佐倉駅間が開業し、同年12月に本所(現在の錦糸町)まで伸びた。その後、佐倉から成東を経て銚子までの延伸が計画され、1895(明治28)年12月4日に免許が下り、土地分筆届および買収土地登記に着手している。この免許状は、総武鉄道且ミ長・本間英一郎から逓信大臣・白根専一に1895(明治28)年3月19日付で提出された「銕道布設免許状御下付願」に対する請書として出されたものである。その内容は、“千葉縣下佐倉ヨリ成東ニ至ル銕道、並ニ成東ヨリ銚子ニ至ル銕道ヲ敷設シ、運輸ノ業ヲ営ム”ことの許可と、“免許状下付ノ日ヨリ起算シ、満五箇年以内ニ敷設工事ヲ竣工スヘシ”と言うものであった。これにより、敷設工事が進められ、1897(明治30)年5月1日に佐倉〜成東間が、また同年6月1日に成東〜銚子間が開通している。なお、榎戸新田橋りょうの竣工は1897(明治30)年12月と記録されており(東日本旅客鉄道叶逞t支社『竣工図』)、“12月竣工”との記載経緯については、開通した5月から12月までの同橋りょうの完成の度合いを含め現時点では詳らかではない。
竣工した榎戸新田橋りょうは煉瓦造のアーチ橋で、アーチ環は焼過煉瓦で4重に巻かれた半円形であり、腰部およびポータル壁面は赤煉瓦によるイギリス積みで組成されている。翼壁は切石による谷積であり、題額や笠石・ピラスターなどの装飾は見られず簡素である。しかしながら、榎戸新田橋りょうから佐倉駅方向2.98qにほぼ同規模で同様の形状をした上勝田第一アーチ橋が位置しており、これら2基の煉瓦アーチ橋は千葉県における最初期の煉瓦造アーチ橋であると思われる。
管理者への聞き取り調査では記録に残る補修履歴は無く、竣工から120年経ているが大きな損傷もなく保存状況は良好である。また、今後も改築等の予定はないとのことである。
榎戸新田橋りょうに隣接して児童公園が位置しており、この公園が良い視点場になっている。現在、地元で活動する『八街郷土史研究会』では、榎戸新田橋りょうを地域の大きな歴史遺産と位置付け、その活用を検討している。市教委に働きかけ児童公園内への解説板の設置や、研究会発足15周年記念事業として市の発展と鉄道に関する報告会の開催を企画するなど、榎戸新田橋りょうを基軸として地域の歴史文化の啓発に取組むことにしている。今回の選奨土木遺産の認定が、その取組みの弾みになるものと思われる。