聖橋は、関東大震災の復興橋梁として、昭和2年(1927)年に国の機関であった復興局により建設された。橋長79.3mのうちアーチ部の長さは36.3mで、内部には鉄筋ではなく鉄骨が使用されており、当時国内では最大級の鉄骨コンクリートアーチ橋であった。このアーチは、開腹アーチと呼ばれる構造で、アーチ側面を壁で塞ぐことなく、アーチの上に立てた柱により桁を支える形となっている。
この橋のデザインは、表現主義の一派である分離派に属していた建築家山田守のデザインとして知られている。山田のデザインらしく、アーチのスパンドレルにはパラボラ型アーチの開口部が設けられ、アーチの表面も石貼りなどせずに化粧モルタルにより平坦に仕上げている。また、側径間には鋼鈑桁が用いられているが、橋梁全体をコンクリート橋に見せるため、外側の桁の表面にはモルタルが施され、統一された一体的な美を演出している。なお、構造の設計者は、復興局技師の成瀬勝武である。
山田は後に日本武道館や京都タワーの設計を行うなど我が国を代表する建築家になる。また成瀬は後に日本大学教授となりやはり我が国を代表する橋梁技術者となる。聖橋は、やがて土木と建築の分野でそれぞれ大家となる、2人の新進気鋭のエンジニアのコラボレーションによって生み出された橋である。