北用水樋門は、小貝川に構築された豊田堰より農業用水を取水し、幹線用水路を通して送られてきた水を、さらに水田へと引き入れるため、建設された煉瓦造りの樋門である。
江戸時代に小貝川に建設された豊田堰は、岡堰、福岡堰とともに関東三大関に数えられる関東有数の堰であり、その当時から、この周辺地域では盛んに新田開発が行われてきた。
現在の北用水樋門は、木製であったものを明治33年に煉瓦と接合材セメントを用いて改築したものである。
北用水樋門が建設された当時は、豊田堰及び当樋門をはじめ北用水路に関連する樋門等も同時期に改築されたが、現在では、当樋門以外は残っていない。
当樋門は茨城県において、江連用水旧構宮裏樋門(選奨土木遺産平成28年度認定)と並び現存する最古の煉瓦造り樋門である。
設計者は茨城県技師工学士の関屋忠正氏である。
是永定美氏の調査によれば、関東地方では煉瓦造り水門等は、木や竹に代わる恒久的な材料として煉瓦を用い明治30年代を中心に前後10年間に多く築造されたが、その後は、セメントの普及と鉄筋コンクリート工法の発展により衰退したものであり、茨城県において存在の確認できた煉瓦造り水門等は17施設で、そのうち現存するものは3施設、①横利根閘門(大正10年竣工、重要文化財、設計者不明)、②江連用水旧構宮裏樋門(明治33年竣工、選奨土木遺産、設計者不明)と③当樋門である。また、設計者が判明しているものは、飯沼反町水閘門、六ヶ村入樋、八間堀川樋門の3施設の設計者が笠井愛一郎氏であり、当樋門、岡堰、豊田堰(10連アーチの煉瓦造りの堰)および北用水に関連する立木締切閘門他5施設の設計者が関屋氏である。
関屋氏は茨城県の技師として、このように大型の豊田堰をはじめ多数の煉瓦造り水門等を設計しているが、その中で、現存している施設は当施設だけである。
北用水樋門は主として煉瓦の小口積みで造られ、アーチ状の樋管の内部も煉瓦造りでる。また、樋門のゲートの取り付け部や局面施工された両側の翼壁の上部には石材が使われ、石の色と煉瓦の色のコントラストが樋門の彩色を際だたせている。
また、樋門の上部には「北用水樋門」の文字と設計者や工事監督者の名前、竣工年が刻まれている。
現在は、農業用水をコントロールする樋門の機能は廃止されているが、樋管上部は町道として供用されている。
利根町の指定有形文化財になっており、付近には由来を紹介する看板も整備され、保存状態も良好である。
- 日本の近代化土木遺産2800選 Cランク
- 利根町指定有形文化財