黒部ダムは、鬼怒川発電所の前身・下滝発電所の取水用ダムとして、1912(大正元)年12月に鬼怒川水力電気鰍ノより利根川水系鬼怒川と土呂部川との合流地点に築造された、わが国初の発電用コンクリートダム(重力式、曲線)である。この鬼怒川発電所は、鬼怒川水力電気会社(社長は利光鶴松。大分県の元城主で当時における政財界の有力者)が東京市電への送電を目的として、明治40年以降、鬼怒川の水力発電計画を進めたことがそのはじまりである。
黒部ダムの構造上の特徴は、半径121mのアーチ型の平面形状を有し、また越流部に15mの長い水平部を有していることが挙げられる。また、堤体材料は、河床の玉石を用いた粗石コンクリートで、表面には0.09〜0.2㎥の大きさに加工した石材を畳積みにした張石工が施された。諸元は、堤高33.91m・堤頂長150m・洪水吐き22門・堤体積80,542㎡である。
建造以降、上流に建設省(現国土交通省)川俣ダムが1963(昭和38)年に設置される等発電設備が増強され、高度経済成長期のわが国の重要電源として位置付けられた。また、増強工事に伴い、下滝発電所から鬼怒川発電所へと名称変更され、黒部ダムは日負荷調整機能を担い、鬼怒川の効率的な発電運用を果たした。
その後、施設の老朽化を踏まえ、1987(昭和62)年9月から洪水吐きを中心に大規模な改良工事が行われ、1989(平成元)年3月に現在の姿となる。主な改造は、
①洪水吐き22門→8門(木製スルースゲート20門→鋼製ローラーゲート6門)
②堤高33.91m→28.70m
③堤体積80,542㎡→77,822㎡
であり、また改修に際し、国立公園内に位置することを踏まえ石張りを再現した。
黒部ダムは、国立公園内という豊かな自然景観の中にあって、往時の土木技術を駆使して建造された重厚かつ荘厳な面影を止めつつ、わが国の近代化の歴史と文化の薫りを今に伝えている。