猿島は東京湾で唯一の自然の島ですが、江戸幕府が海上防備のために3か所の台場を築いてから「要塞の島」としての歴史が始まりました。
1877(明治10)年海軍省の所管となったものの1881年には陸軍省の所管に移り、この時本格的な西洋式要塞が建設されました。
1923(大正12)年の関東大震災で通路や兵舎が被災すると、1925年には再び陸軍省から海軍省に所管が移り、
第二次世界大戦の激化によって高射砲が配備されましたが、戦後進駐軍によって解体され、現在は砲台のみが残っています。
猿島で特筆すべきは明治期の要塞で、総面積917uの建造物が、海上から見えないように、全て地山をくり抜いた中に設置されています。
中央部のトンネルは精緻なフランス積みで、これに平行するように司令部、兵舎、弾薬庫など12室が2階建ての構造に掘込まれています。
明治初期を代表するレンガの構造物で、当時の技術力をよく伝えています。見学には、横須賀新港の三笠桟橋から船の便があります。
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