1910年、明治43年の大洪水として今も歴史に残る大惨事が関東を襲った。
国は利根川の改修計画を改訂し、新たに江戸川の舟運路の確保とともに洪水の流下能力の向上を目的とする改修計画を策定した。
関宿水閘門は、翌1911年からの江戸川改修工事により、江戸川放水路開削、河道拡幅、江戸川流頭部の付け替えの中で、
1918年の着工から1927年の竣工まで約10年の歳月を経て完成したもので、利根川と江戸川の分流地点で江戸川の低水流量を調整。
堰には水門と閘門が設けられ、8門の水門はスートーニー式鋼製ゲートを蒸気エンジン(現在はディーゼルエンジン)で駆動、
閘門はマイター(合掌式)式鋼製ゲート2門で手動で開閉するものとなっている。
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