昭和初期、道北の拠点都市旭川は交通量も増え、石狩川を渡り市街地南北を結ぶために二代目の旭橋の建設が望まれていました。
新しい旭橋は厳しい北の自然に耐え、そして道北の中心都市・旭川の象徴となるように考えられ、当時の北海道庁の若手技師たちにより、北海道帝国大学吉町太郎一教授の指導の下で設計が進められました。
32万本のリベットと分厚い鋼板を使った旭橋ですが、一部に溶接を使うなど当時の最先端技術や季節による温度変化に耐えられる機構を取り入れるなど様々な工夫がなされた旭橋は北海道三大名橋の一つといわれました。
太古の恐竜が川辺でたたずむような重厚な姿で石狩川を跨ぎ、北海道の屋根といわれる大雪山旭岳を背景にした旭橋の雄大なバランスドタイドアーチの景観は、旭川を代表する風景の一つとなっており、旭川八景にも選ばれています。