明治初めの石狩平野は、曲がりくねった石狩川が雨のたびに氾濫し、農業や町づくりには適さない湿地が広がっていました。
生振捷水路は、1918(大正7)年に着工された北海道で最初の本格的な治水工事です。延長約3.7km、堤防幅約910mの規模で行われた工事には、全国で使用されていた掘削機、機関車、土運車などの土木機械が投入されました。以降、石狩川本流の捷水路工事は1969(昭和44)年の砂川捷水路まで計29カ所で行われ、石狩川の長さ約60kmが短縮されました。
生振捷水路に始まる石狩川の捷水路工事の効果は大きく、広大な石狩平野の洪水氾濫は減少し、豊かな耕地が開かれました。現在、これらの治水事業や自然短絡により数多くの三日月状の河跡湖が残され、石狩川を象徴する壮大な景観を醸し出しています。