稚内港北防波堤ドームは、北海道と日露戦争後にわが国の領土になった南樺太とを結ぶ稚泊航路の施設として誕生しました。防波堤の陸地側を岸壁とする設計でしたが、海が荒れると防波堤に激突する波しぶきがひどくなるため、列車や乗客を包み込むようなドームを計画したのでした。こうしたデザインは世界でもほかになく、ここだけの珍しい構造物です。
稚内港の連絡船作業を風雪から守ってきたドームは終戦後、航路が消えたため石炭置き場や倉庫に使われました。昭和50年代になると老朽化により一時は解体の方針が立ちますが、稚内市の発展を伝える記念構造物である、と地元からの保存要請が上がり原形のまま改修復元されました。
現在ではドームを資産として活用する「みなとまちづくり」の取り組みが行われ、地元アマチュアバンドによるコンサートやスノーキャンドルがドームを幻想的な光で彩るイベントなど、市民のイベントスペースとしても活用されています。