宗谷線剣淵・士別間は、過湿泥炭地のために、樹木の生育にまったく適さず、線路周辺の防雪林は枯死に瀕している状態でした。このため、吹雪になるたびに一瞬にして線路は埋没し、列車の立ち往生が頻発していました。
深川冬至氏は、泥炭の分解を促進する土壌改良法を取り入れ「ドイツトウヒ」を植栽した結果、12.7kmにも及ぶ立派な防雪林となり、列車の安定輸送が現在もなお確保されるようになりました。1966(昭和41)年には、旭川鉄道管理局長以下職員一同で、その林地に「緑林護鉄路」の文字を刻んだ鎮魂碑を建立し、その後一部はふれあい公園やパークゴルフ場として町民に親しまれています。