舞鶴橋は、北海道第二期拓殖計画時代に進められた橋梁永久橋化で誕生した橋であり、北海道に残された戦前の数少ない鋼橋の一つであります。
1932(昭和7)年からの千歳川屈曲部の切替工事により旧舞鶴橋の位置が廃川となるため、1935(昭和10)年になって急速に架け替えの議が起こってきました。長沼・恵庭両村で協議の上、北海道庁札幌治水事務所への陳情がなされました。その主な理由は、1936(昭和11)年の陸軍特別演習において、付近一帯が演習区域に入ることとなったので、軍隊輸送上緊急を要するものとされたためです。その結果、恵庭角田線が1935(昭和10)年5月に準地方費に編入され、翌1936(昭和11)年に治水費による架設が決定されました。4月に起工、大演習に間に合わせるため工事を急ぎ、9月に竣工、こうして長沼及び近隣に偉容を誇る舞鶴橋が誕生しました。
1988(昭和63)年舞鶴橋の架け替えに際し、町のシンボルである橋を残そうと、有志による舞鶴橋保存期成会が発足し、保存運動を展開しました。現在の舞鶴橋の完成により、1993(平成5)年にその役目を終え撤去されましたが、歴史的価値が評価され、1995(平成7)年に「ながぬまコミュニティ公園」内に移設・復元されて親しまれています。