福山波止場は、松前城の袂に位置し、小松前と呼ばれる入江を囲む東西の磯に各1提ずつ築かれています。
その整備は、衰退する福山港の再興を目指し、福山の豪商有志の寄付金と新政府からの借入金により、東側の大松前波止場約118m、西側の小松前波止場約154mが1875(明治8)年に完成しました。施工は、五稜郭工事にも携わった石工井上喜三郎に依頼しました。
その後、2度の補修工事の記録がありますが、1892(明治25)年の工事については、1894(明治27)年の函館港の調査設計の中で「北海道セメントを先年福山防波堤築造に使用して好結果を得ている」とあり、セメントの製造法が国内で周知されていない時代の最も初期の材料を使用している構造物といえます。
現存する波止場の延長は、東側が約71m、西側が約65mであり、堤体の石材は、1875(明治8)年に解体された松前城の石垣である地元産の緑色凝灰岩を使用しています。石の積み方は、間知石を各段の高さを揃えて積む「布積」に、石の間にコンクリートを詰めながら積む「練積み」です。突堤周囲の岩盤に穿孔して立てた石柱は、船括り用と突堤の防護を兼ねており、石材は北前船のバラストとして積まれてきた瀬戸内の花崗岩であるとされています。