京都の琵琶湖疏水を完成させた田邊朔郎が帝国大学教授職を投げ打って北海道に渡り、その能力を遺憾なく発揮して推進した事業の記念碑です。石炭の搬出を目的として整備された北海道の鉄道を旭川まで延伸し、道内各方面へ広げて内陸部の振興と北方の防備を図る計画が策定され、北海道庁鉄道部が発足しました。その最初の事業が「北海道官設鉄道 上川線」(のちの函館本線 滝川−旭川間)であり田邊が直接、指揮を取っています。この区間での最難関が神居古潭(アイヌ語「カムイ(神)コタン(集落)」)の渓谷でした。1896年(明治29)6月、工事が開始されると蛇紋岩質(空気に触れると膨張する岩質)のために掘削は難航しました。翌年にトンネルは完成、その後も険しい断崖を這うようについていた線路の路線改良工事が続き、春志内トンネル(昭和2,3年頃)、伊納トンネル(昭和2,3年頃)が掘削されています。 ※画像をクリックすることで拡大してご覧いただけます。
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